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高等学校の授業中でも、帰りの市電でも、まだ遥二郎の耳には母親の小言が残っていた。
――この家の先を背負うのは多季なんでっせ。
――あんたみたいな余りもん、他に何の役に立つと思てるんや。
分かっていた。遥二郎はすべて心得ていた。ひさ子にとって、いやこの「家」にとって、大事なのは娘の多季だけなのだと。
長男が店を継ぐ余所と違い、船場には家の娘――嬢さんが叩き上げの番頭を婿に取り、いずれその婿に店を継がせるしきたりがあった。「商売の分からん、ぼんぼんに継がせると店が傾く」という考えからだ。
婿養子が店の主人となれば、娘は「御寮人さん」として家の一切を取り仕切り、娘の兄弟は家を出される。
しぜん、産まれる子どもも、息子より娘が喜ばれた。
母親のひさ子も、狭柳の血を引いた「家附き娘」であり、当時番頭であった男を婿にして「狭柳伊兵衛」の名と店を継がせた。娘を産み、ゆくゆくは自分と同じように婿を取らせるのが、ひさ子の宿願だった。
しかし、最初のふたりはひさ子の期待を裏切った。
礼一郎が産まれたときには、男の子と知るなり「あっちへ持っていき」と叫んだ。そして遥二郎が産まれたときには、
「また男……また男! そんなもんは土佐堀川に流しとき!」
と半狂乱になったそうだ。
だから多季が産まれたときのひさ子の喜びはこれ以上なく、多季への甘やかしようといえば奉公人の口の端にも上るほどだった。女節句には美しい雛人形、婚礼道具を模した雛道具や、御駕籠や御所車までも丹念に作りこまれた雛壇を新しく誂えさせた。
息子ふたりといえば、端午の節句には京都の老舗、川端道喜の粽を取り寄せるのがふつうであるのに、
「なんかの手違いで届かんかったらしいなぁ」
と、ひさ子は粽を用意することさえしなかった。
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