誘拐屋怪談(800文字VERSION)

1/1
39人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 わたしがを起業して最初に直面した課題は、単語を選ぶセンスだった。  たとえば、〈平和〉。  この二文字を誘拐すると、この世界から平和が無くなってしまうのだ。だから、このような依頼は、安易には受けられない。たとえ売上げが減っても、断固として依頼を断る経営判断も必要だ。  あるいは、〈殺人〉。  これなら、この世界から殺人が無くなることだから、誰からも歓迎されるはずなのに、〈殺人〉の二文字を誘拐してほしいという依頼は、いまのところまったくない。オーダーなしに仕事はできない。このあたりがなんともこの商売では難しいところだ。  先日、久しぶりに仕事の依頼があった。  〈希望〉を誘拐して欲しいというものだった。依頼主はおそらく闇の世界に属するものであったろう。  わたしは思案した、考えた。  この依頼を受けるべきかどうか。迷いに迷った挙句、やはり、依頼を()ることにした。この世界から、〈希望〉をすべて奪ってしまうのは、いかがなものか……とわたしなりに判断したのだ。  その代わりに……と、わたしは代案を提案してみた。せっかくの依頼を断ってばかりいると、依頼主(クライアント)からの信用を失いかねない。事業家としては、逃げる経営者、などと失格の烙印(らくいん)を押されかねない。わたしとしてもここが正念場というものだ。  そこで、代案を企画書のかたちで提出してみることにした。逆提案で、依頼主(クライアント)の意向を満たしつつ、こちらの良心にも恥じない程度のもの=単語を選ぶことにした。  ブレーンミーティングを重ねて、慎重かつ大胆に単語を選んでみたつもりだ。 「うーん、キミ、これでは、なんだかインパクトに欠けるのではないかね」  先方の担当者から、そんな嫌味をチクリと言われた。  けれど、ここで引き下がってしまっては、わたしもプロとしてのプライドにかかわる。何度も説得し、ついにゴーサインがでた。  よし、いいぞ……わたしはニヤリと微笑んだ。  依頼主(クライアント)からゴーサインが出た、誘拐対象は、〈今日〉。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!