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わたしは、「いぬ」の「だっくすふんど」である。仕事に行く者たちとは違い、ずっとこのゲージの中で過ごしている。
今日も、暇で楽しい1日がはじまる。
「行ってくるね。ダックス。」
隣のケージのしば。いつもわたしに絡んでくるやつ。わたしは静かに過ごすのが好きなのに、それをわかっていて話しかけてくるこいつに、つい返事をしてしまう。悔しいけど、しばとの会話は楽しい。悔しいけど、認めてやろう。
毎朝、なぞに「行ってきます。」を言ってくるこいつに「行ってらっしゃい。」を返してやった事は無い。そこまで心を許すのはなんだが癪で、ずっと意地を張っている。
「ねぇ、ダックスってば。1回ぐらい、行ってらっしゃいって言ってくれたっていいじゃないか。」
隣のケージから文句が飛んできた。
「なにさ。そんなの言って意味あるの?」
「あるよ。」
「ないでしょ。」
「あるある。」
「えー。めんどくさい。」
ふわぁっとあくびしながら伸びをしたわたしに、しばが拗ねたような声で言った。
「いつ、ここに帰って来なくなるか、わかんないだろ。」
正直、ドキッとした。
ここへ帰って来られない。
それは、しばに「かぞく」が見つかるということ。それは、しばとお別れするということ。
それは、いつか来る日のこと。
「…だれか、家族のあてがあるの?」
「最近、よくボクに会いに来てくれる人間達がいるんだ。…一昨日も来たよ。」
最初は、たまに週末、見に来るだけだったんだけどね。今じゃ、平日の、夜遅くにも会いに来てくれるんだ。
しばの言っていることが、なんだかよく分からない。そんなこと、ちっとも言わなかったじゃないか。そりゃあいつか、そんな日が来てしまうことくらい分かっていた。分かってたけど、あまりに急じゃないか。
「ねぇ、ダックス。お願い。行ってらっしゃいって、言って。…今日、1回だけでいいから。」
なんだそれ、これでお別れ、みたいな言い方。なんか腹立つ。別に、コイツがいなくなったってなんにも変わらないさ。どうせコイツは仕事に行く犬なんだから、朝から夕方まで表に出ていたんだ。1日のうち、しばと過ごす時間なんてちょっとなもんさ。
でも、まあ、そのちょっとが楽しかった、とは、思う。思ってやらんでもない。
ずっと黙っているわたしに、しばは何を思っているんだろう。いつもはどうでもいいことわんわこ話すくせに。黙るなし。
ガチャっと扉を開けて、いつもわたしたちの世話をする人間が入ってきた。仕事に行く犬たちをケージから出して表へ連れて行く。
どうしよう。
いっちゃうのか。
どうしようか。
隣のケージの前に、世話役の人間が立つ。しばのケージを開けた。
…しょうがないな。
「行ってらっしゃい。しば。」
人間に抱えられたしばに向かってそう言った。
しばの顔をちゃんと見て話したのは、久しぶりな気がする。いつもケージ越しだし。
しばは驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに返事をした。
「うん。行ってくるよ。ダックス。」
なんとなく、そのまま連れられて行くしばを眺めていた。
……アイツの毛、光に当たると金色に見えるんだよねぇ。
ちょっと、綺麗だと思う。
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