秘密の切り札 後編

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秘密の切り札 後編

 「しばらく戻らない。その間リーゼの指示に従え。」  「はい。」  昨夜も気絶するまでアデーレを抱き続けた男は、逞しい肢体に衣服を纏いながら無造作に言った。喘ぎ続けたせいでかすれた声を絞り出して返事をするアデーレに、フェリオルは僅かに口角をあげた。  不遜なその笑みの蠱惑的な美しさにしばし見惚れる。彼は本当に美しい。そんなアデーレをあざ笑うように、フェリオルは酷く冷静な声で問いかける。  「家門の名誉のためにその身を擲つ覚悟がある。それは今も変わりはないか?」  「はい。」  「ならば覚悟をしておけ。望み通り、お前の果たすべき役割を与えよう。」  「……っ!!……はい。」  冷や水をかけられたかのように息が一瞬止まった。フェリオルが出て行った部屋の扉を見つめ、滲み始めた視界を誤魔化すように両手で自分を抱きしめた。湧き上がってきた感情を踏み潰す。  (……そのために私はここにいる)  自分に言い聞かせるように呟いて俯いた。秘密の切り札として、誘惑し篭絡する。  何を勘違いしていたのか。何を傷ついているのか。そのための1か月半だった。今更怖気づくことなんてありはしない。フェリオルの手を取った時から踏み出していた。後戻りできない道を自分で選んだ。  (……取り戻すのよ、アデーレ)  家族を家門の栄誉を。例えこの身を穢されようとも、フェルーディオの矜持だけは手放さない。ずっと守られるばかりだった。今度は自分が守るのだ。愛しい家族を、連綿と受け継がれてきた誇りを。  アデーレは寝台から立ち上がり浴室に向かった。その身に残るフェリオルの体温を、甘く疼く残滓を振り払うように洗い流していく。既に貴族令嬢としての婚姻は望めない身。冷たい水が現実に引き戻していく。夢見る時間は終わったのだ。  秘匿された間諜。秘密の切り札。奪われ貶められたものを取り戻すため、アデーレは後戻りできない道に踏み出す覚悟を決めた。 ※※※※※※    王宮へ。フェリオルからの指示だと着替えさせられたアデーレは、割と悲壮な覚悟で王宮に来たはずだった。だが、着いてみればどういうわけか、アデーレが誘惑し籠絡して証拠を得るための王弟は処罰を受けた後だった。  状況が全く飲み込めず呆然とするアデーレに、元気いっぱいに現れた父と弟。喜んだのも束の間、これまでの経緯を聞くごとにアデーレは美貌を歪め、父のデリオスと弟のゼディフィスはしょんぼりと肩を縮めた。  「つまり、父様が不正と違法薬物の流通を止めるためにわざと冤罪で囚われたということですか?どうして説明してくださらなかったのです!」  「ご、ごめんよ、アデーレ。突然だったし、保護を頼んだエリック殿下がきちんと説明してくれると思ったんだ。」  「そ、そうだよ!姉上!なんでフェリオル殿下と一緒なの?エリック!!姉上とフェリオル殿下を絶対に会わせるなって言っただろ!!」  「えっと、兄上が……」  「ゼディフィス。エリックは鶏の餌やりという大事な用事があった。」  勝ち誇った笑みを浮かべながらフェリオルが鼻を鳴らした。デリオスとゼディフィスが、射殺さんばかりにフェリオルを睨みつけた。国王が額を覆ってその光景にため息をついた。  「……デリオスは突然ぎっくり腰で倒れた私を笑いに来てね……」  腹を抱えて転げまわりながら気が済むまで笑った後、デリオスは箝口令を敷いた。私室で倒れ時間帯的に知っている者が少なかった状況を利用し、さも重体のように噂を広めた。  その結果、王弟はその報を受けてまんまと罠にかかったのだ。さっそくでっち上げた罪でデリオスとゼディフィスを拘束し、国王が倒れている間に代理として、都合のいい人事やどっぷりつかった放蕩と王位簒奪への準備を始めた。  最大の邪魔であったデリオスを排除したことで、だいぶ油断して大胆に動いたらしい。事前に事情を聞かされていた第二王子のエリックを主体として証拠を集め、揃ったところで一網打尽。弟ながらここまで堕落していたことに失望を隠せない。  「なぜフェリオル様には説明がなかったのですか?第一王子なのですよね?」  父と弟がめんどくさがりの怠け者と評していた第一王子。それがフェリオルだと知って、アデーレは驚いた。めんどくさがりの怠け者ではないし、少し話しただけで相当優秀だとわかる。そもそもどうして王太子に定まっていないのか?首を傾げるアデーレに、フェリオルがニヤリと笑みを閃かせた。  「さあな。お前と年が釣り合うからじゃないか?」  デリオスとゼディフィスが般若の形相でフェリオルを睨みつけた。フェリオルは馬鹿にしたようにふふんとそれを受け流す。国王がそっと視線を逸らした。  デリオスは反撃できないだろう。口を開けば幼少期から再三に渡って、フェリオルとの婚約の申し入れを突っぱねていた事実が明るみに出る。  「それで本当にもう解決したのですか?」  「もう大丈夫だ!アデーレ!心配かけてすまなかった。王弟殿下は王籍を抜いて地方に蟄居。ジリバルド公爵は当主交代して降爵。前当主は終身刑になった。父様が腐ったミカンを取り除いたからね。」  褒められるのを待つ犬のような顔をして、今帰ろうすぐ帰ろうと必死だ。だがアデーレは顔を曇らせて俯いた。  「どうした、アデーレ?処罰が不満か?」  「いえ、そうではありません。」  被害を最小限に抑え無事に解決したことは素直に嬉しい。父と弟の元気な姿を見て心底安心もした。けれど手放しで喜べないわだかまりが胸を塞いでいた。  「……私は何もできませんでした。守られるばかりで、父様とゼディの力になることもできませんでした。」  事前に説明をしてもらえないほど頼りなく役立たず。家族のために家門のために力を尽くしたくても、何もできないお荷物のままだった。 「フェリオル様は知らされていなくても、エリック殿下を助けて解決に向け尽力なさったのでしょう?」  エリックはなんとも言えない表情を浮かべた。知らされていなくてもかぎつけて、光の速さでアデーレ保護にさっさと行ってしまった。証拠集めはのらりくらり。かと思えば突然ごりごりと介入しては、陣頭指揮を取り始め、エリックはこき使われ振り回されただけだった。  おかげでゼディフィスの視線がヤバい。間違いなく呪い殺そうとしている。  「私は誘惑も籠絡もフェリオル様の求める水準には届かせることもできなくて……。秘密の切り札になると言っておきながら、秘密のまま役目を終えました。」  しょんぼりと肩を落とすアデーレの頭上から、ぶはっ!!と吹き出す声が漏れた。見上げたフェリオルは唇に拳をあて、視線を逸らしていた。なんでもないというように手のひらを振って見せる。  「は?誘惑?籠絡?どういうことだアデーレ!!」  顔を真っ赤にして口角から泡を飛ばす勢いのデリオスに、アデーレは気圧されながら頷いた。  「父様とゼディが違法薬物の咎を受け拘束されたとの報があり、その後フェリオル様が助け出してくださいました。父様の計画だと知らなかったので、どうにか救うための手立てはないかと考えたのですが、私にできることは何もなくて。そんな私にフェリオル様は忠誠と引き換えに全てを取り戻すための武器をくださると約束してくれました。ですから決めたのです。誘惑し籠絡し証拠を集め、父様とゼディを救おうと。顔を知られていない秘密の切り札として冤罪の証拠を集めようと思ったのです。……ですが、秘密のまま……その、練習している間にお力になれる間もなく、こうして解決に至っていたようです。役に立てなくてごめんなさい。」  落ち込むアデーレにデリオスとゼディフィスが青ざめた。震えながらフェリオルに視線を向ける。勝ち誇ったようにニヤリと笑みを刻まれ、膝から崩れ落ちる。  「まさか……そんな……アデーレ……」  「あ、姉上が……姉上が毒牙に……」    絶望に打ちひしがれる二人にわざとらしく笑みを浮かべ、フェリオルは俯くアデーレの腰に腕を回し優しくささやいた。    「落ち込むことはない。なかなかの腕前だぞ?」  結局翻弄されるがままで一度も主導権を握れなかった。慰めのための嘘だと、アデーレは力なく首を振る。フェリオルはやれやれとアデーレを引き寄せた。  「そもそもお前の望みは間諜となることだったか?違うだろう?穢された名誉の回復。それがお前の望みだったはずだ。冤罪とは証明されたが、一度は奪爵までされたフェルーディオの名誉は完全に回復したとは言えない。」    はっとしたように顔を上げたアデーレに、フェリオルはニヤリと笑みを浮かべた。悪魔のように魅惑的な笑みに魅入られたようにアデーレは視線を逸らせなかった。    「俺は取り戻すための武器()を約束した。間諜になれなど一度も言っていない。アデーレ、まだお前の望みはかなっていないだろう?」  「……望み」  「完全なる名誉の回復。それが望みだったな?アデーレ、俺の妃になれ。俺の子を産み唯一の寵妃となれ。王太子の寵愛を一身に受ける妃。その妃を輩出した家門。俺の寵愛が続く限り、家門の名誉は揺らぐことはない。」  「……唯一の寵妃……」  澄み渡る空色の瞳に射すくめられ、アデーレは喉を鳴らした。もとよりすでにフェリオルに全てを捧げた。他で婚姻を結ぶことはもうできない。妃となれば家門の栄誉は守られる。それに、この先ずっとフェリオルのそばにいられる……?  「それこそお前が果たすべき役割だ。その指輪は外すな。婚約の証としてずっと身に着けておけ。」  「…………わ、私に務まるでしょうか?」  「務まるか、ではなく務めろ。全てを擲つ覚悟があるのだろう?身も心も俺に捧げろ。」  「……はい。」  フェリオルの色の指輪。もうすっかり馴染んだ証に触れながらアデーレは頷いた。家門のため、なによりこの人のそばにいるために。決意を秘めた瞳を覗き込みながら、フェリオルがうっそりと嗤った。  「いい子だ。アデーレ。俺によそ見をさせるなよ。」  アデーレを引き寄せたフェリオルが、呆然と絶望するデリオスとゼディフィスに振り返る。  「そういうわけで俺はアデーレを娶る。もとより俺の子を宿しているかもしれないアデーレを連れ帰らせることはできない。なので義父上と義弟は気を付けて帰るといい。」  高笑いでもしそうな足取りでアデーレをからめとると、デリオスとゼディフィスが覚醒する前にさっさと部屋を後にする。  エリックはその姿を見送りながら感心した。ああやって丸め込んだんだな。自分の望むように誘導して丸め込む。デリオスのように。  たった一度幼い頃に会っただけらしい宰相の娘に、あの兄がそこまでこだわっていたとは。  (だから早く婚約を了承すればよかったのに……)  婚約の申し入れを突っぱね続けた結果、動かしようのない既成事実を引っ提げて搔っ攫われた。    「あー……その、デリオス?此度の件は愚弟が迷惑をかけた。奪爵された爵位と宰相位は元に戻す。此度の功績を鑑みて陞爵を受けてもらえたら……」  「いらん!!」  「しかしだな……」  「そんなもんよりフェルーディオの宝、我が娘アデーレを返せ!!返してくれ!!」  「無理だよ。既成事実できちゃったし。フェリオルが婚約させるなら王太子になってもいいって言ってた辺りで妥協すればよかったのに。あいつが一度言い出したことを曲げるわけ無いだろ?」  そしたらこんな事件も起きなかった。  「恩を仇で返しやがって!!純真なアデーレの家族を思う気持ちにつけ込んだんだ!!あの野郎!!」  「フェリオルを教育したのはお前だろ?」    実にデリオスがやりそうな方法で、フェリオルらしいアレンジが加わった幕引き。教育の成果が如実に現れている。 「お前が前もって計画的にぎっくり腰になってれば!!ちゃんと説明できたんだ!そしたらアデーレが勘違いすることもなかったのに!!お前のせいだ!!」  「えぇー……それならもっと早くアデーレをフェリオルの婚約者にしてくれてれば……」  そしたらとっくに王太子が定まり、王弟がしゃしゃり出てくるスキができることもなかったはず。  とはいえ弟が迷惑をかけたのは確か。娘を取られてしくしく泣いている親友と、茫然自失のゼディフィスを前に国王は口をつぐんだ。   ※※※※※  ようやく手に入れた婚約者を盗み見ながら、フェリオルは満足げに笑みをこぼした。  美しく素直で気高い。ただちょっと素直すぎる気もするが。  辿り着いたフェリオルの私室に躊躇いもなく入るアデーレに、こっそりとため息をつく。チョロい。あのデリオスの娘とは思えないほどチョロい。私室に入る意味を分かっているのだろうか?未だに軟禁されていた事実には気づいてもいない。  「まあ、気付いて抵抗したとしても結局私室に軟禁予定だったんだがな。」  フェリオルの私室以外だとデリオスが突撃して来かねない。  「………?何か?」  「いや。あぁ、アデーレは母君に似たのか?」  「そうですね、そう言われる事が多いです。」  唐突な質問に不思議そうなアデーレは純真そのもので、確実に母親似だなと確信した。デリオスにこんなかわいげは存在しない。  フェリオルは王太子にする。でもかわいいアデーレは嫁にやらない。フェリオルに知らせずにいたのは、面倒な王位だけを教え子に押し付けるためだ。フェリオルを王位に就けるための切り札(アデーレ)を切らずにいるつもりだっただろうが、そうは問屋が卸さない。そう教育したのは他ならぬデリオスだ。  目の前でかっさらってやり、長年の溜飲がようやく下がった。できればもう少しのらりくらりと引き伸ばして、別宅で楽しんでいたかったが、本気で間諜になろうとするアデーレの行動力に早々に切り上げた。他の男を誘惑し籠絡などとんでもない話だ。  「アデーレ。」  「はい。」  素直に歩み寄りフェリオルを見上げるアデーレに頬が緩む。やっと手にした婚約者は随分と愛らしい。苦労したかいがあった。引き寄せて抱きしめる。すっぽりと覆い隠せる華奢な身体に愛おしさが募った。  「お前は俺の妃だ。」  「……はい。」  腕の中で夢見心地にアデーレが小さく頷いた。抱きしめる腕に力が籠もる。離し難いぬくもりに、そっとつむじに口づけを落として自嘲した。  (お前は確かに切り札だな)  自他とも認める気難しいフェリオル。面倒なだけの王位もアデーレを娶るためなら就いてもいい。フェリオルを振り回せる唯一の弱点。それは間違いなくアデーレだ。  腕の中でもぞもぞと動き、アデーレが顔を覗かせる。照れたような笑みに、ぎゅっと胸が詰まり奥歯を噛み締めため息を吐き出す。  「アデーレ、この部屋から出るなよ?」  「………?わかりました。」  美しすぎるのも考えものだ。アデーレにはその辺の自覚がイマイチ足りない。この美貌は自分だけが知っていればいい。  「お前は秘密の切り札だからな。」  なんせ切り札だ。大切に仕舞い込んで、誰にも見せないように。悟らせないように。得てして切り札とはそう扱うべきものだ。  切る気がない切り札(ジョーカー)。そのカードを切らずに終えるのが最善手。  きょとんとフェリオルを見つめるアデーレに深く口付ける。その唇の甘さにフェリオルはひどく満ち足りていく。  ずっと欲しかった女。これほど美しく愛らしくなっていたのは嬉しい誤算だ。一目で誘惑され簡単に自分を籠絡したアデーレ。  その甘い舌を絡めとりながら、真綿で包んで大事に隠したデリオスの心情をちょっとだけ理解した。  フェルーディオ家が12年も秘匿してきた秘密の切り札は、やたらと美しくひどく甘い。切り札とするのにふさわしい女だった。    
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