第4章 野良猫と夜祭り

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「…びっくりした。部活やっと引退して、ようやく遊べるってところで。せっかくの夏休みなのに、ほんとにずっと勉強してたの?出かけたくない口実とかじゃなくて?」 全然日焼けしてないじゃん、と休み明けの日に呆れた口調のだりあに言われた。いや、あんたも。別に日焼けしてないけど。 それを指摘したらぶん、とあからさまにむくれて文句を言ってくる。 「だって。うゆちゃんが全然付き合ってくれないんだもん。プールとか一緒に行けたら今頃はもっとこんがりしてたのに。中学最後の夏なのに何もできなかった。受験なんて冬じゃん?まだだいぶ時間あるし」 「そうだよ、お前が付き添ってやんなきゃ。木村だってナンパとか怖くてプールなんか行けないだろ。そこは気を利かせてやれよ。ガードするやつがいないとさ…」 休み時間の教室で、わたしたちのやり取りを小耳に挟んだ越智が傍から横やりを入れてくる。わたしは肩をすくめて次の教科のテキストとノートを机の上に揃えつつ言い返した。 「だったら、越智が付き合ってあげればよかったのに。あんただってそこそこ強いでしょ。その辺のちゃらちゃらした高校生や大学生にはそうそう負けないんじゃないの」 「いやいや、…俺が木村と二人で。一緒に泳ぎになんか行ったら。そりゃまあ、まずいでしょ…」 何故か耳を赤く染めて口ごもった。何リアルに脳内で想像を巡らせてんだ。そういうとこだよ。 自分の水着姿を妄想されていちいち真っ赤になられたらやっぱり、こいつと一緒にプールはやめとこ…って引くよな。まあ、男子中学生には。好きな女の子のそんな格好、何も感じるなと言われても。さすがに目の毒か。 「てかお前、どこ志望してんのか知らないけど。正直空手で推薦いくらでも取れるだろうが。俺程度ですら結構いろんな高校から声かかってるぞ?天ヶ原ならそれこそ、東京でもどこでも。日本中どんなスポーツ強豪校でも特待でより取り見取りだろ」 「空手の推薦は使わない。普通に勉強だけで行くよ」 「ええー、何で。勿体ないようゆちゃん」 だりあがうっかり悲鳴のような声を上げたので、周囲にいた数人の生徒がつられてこっちに顔を向けた。 「あたしがそんなに空手強かったら。絶対それ活かして進学するなぁ…。いくらでも空手の超強いとこ選べるし。全国どこの学校でも、特待生で奨学金出てタダで通えるじゃん。寮だってあるだろうし、東京の高校も夢じゃないよ?てか、普通に学力で進学するメリットって。何かある?」 声大きいよ。まくし立てるだりあを少しでも落ち着かせようとわたしは冷静な声で端的に答えた。 「空手をやるやらないの主導権を他人に握らせないこと。あくまで自分がやりたいからやる、ってのが大事だから。部活引退してからも短い時間ながらも毎日道場で身体は動かしてるし、空手をやめたいわけじゃないよ」 「ああ。…まあ、特待生で進学したら。在学中に退部はそりゃ、できないもんな」 越智は内心うっすら自分も空手部の特待で進学することを考えてたらしく。ちょっと真面目な顔つきで思い当たる様子で呟いた。 「そんなの重要?だって、スポーツ推薦とか受ける人は。普通にみんなそれで進学してるよ?三年間その部活に打ち込むつもりで入学して、そのまま卒業まで頑張るのって。そんなにハードル高いの?」 だりあは自分ごとじゃない分あっけらかんとしてる。別にわかってもらう必要もないけど、わたしは一応さらなる説明を付け加えた。 「特待で進学すると、否応なく空手中心の生活を送る義務が生じるのが嫌。今は身体を動かしてすっきりしたり、強い相手と勝負をすること自体が楽しいからやってるけど。強豪校に入ると結果を出すのも絶対に達成しなきゃならないタスクになる。全国に出といて日本代表を目指さない、とかいう我儘も通らなくなるし」 「ほんとだよ。俺なんか無理を承知でセレクション受けたけど。結局途中で落ちたのに」 越智が自虐気味にこぼす。わたしは首を振ってその台詞をフォローした。 「あんたはコンスタントに全国行きを狙える力があるし。成長期でこれからもっと伸びる余地があるから別に無謀なことだとは思わない。本人が上を目指そうって思うことまで否定するつもりはないよ。でも、わたしはそういうヒエラルキーに参加する気はないってだけ。空手強豪校の部に入ったら、その中でそんな価値観は絶対通らないってわかってるからね」 「ああ、…まぁ。そりゃ、そうだよなぁ…」 越智がそこで納得したような声を漏らして遠い目をしたのは、多分今の状況でも部活や道場でわたしが陰でどう言われてるか、多少は耳に挟んでるからこそ実感があるんだろう。 師範がわたしって人間を把握してて、やりたくないことを無理にやらせる方法はない。って割り切ってるからこそ自由に任せてくれている。だけど特待生が列を成しているような空手の強豪校で、そんな感覚の顧問やコーチがいるだろうと期待するなんて阿呆の骨頂。わたしとは絶対に考えが合わないに決まってる、そりゃ見るまでもなくわかるよ。
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