「ねぇ、何を読んでるの?」

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 天使くんが笑いました。小さな白い歯が覗きます。  天使くんは雨の日も晴れの日も透明のビニール傘をさしています。  天使くんは天使なのですが、羽根は生えていません。頭に輪っかもありません。でも癖のない黒髪は艶やかです。  天使くんは五月の連休明けに現れました。僕の務める大学の図書館の前のベンチに座っていました。天気はいいのに、ビニール傘をさしています。変な人だな、と思いました。でも大学には変な人しかいませんので、気にはなるけれどそれ程ではありませんでした。  天使くんはベンチで何かの本を読んでいました。長い睫毛とすっきりとした鼻すじが陽の光に溶けています。なぜ僕がそれ程まで天使くんを観察していたかというと、天使くんのいるそこは、喫煙所の真ん前だからです。煙草を吸っていれば、嫌でも目に入ります。  それにしても喫煙者は減りました。僕の肩身も狭いです。  ニコチンを吸い込みます。肺まで押し込みます。僅かな罪悪感が生じて、煙と一緒に吐き出されます。  止めなければいけないとは思っているのです。去年の健康診断でも言われました。禁煙指導も受けました。けれど止められないのです。中毒とはそういうものです。嫌なことがあったとき、ストレスの溜まったとき、この紙巻きを一本吸うことですべて解消されるのです。まるで魔法です。一瞬で起きる魔法は、毎日こつこつと負荷を溜め込む禁煙指導とは違います。  天使くんは週に一回来るかどうかでした。そして決まって僕の午後の煙草休憩のときに、ベンチに座っています。  六月にもなると、雨も降ってきます。あれは三日間長雨が続いた日だったと思います。天使くんが来ていました。さすがに濡れたベンチには座れなかったようで、近くに立っています。立ったまま本を読んでいるので、いつもの透明なビニール傘をさしてはいるものの、上手く雨粒を避けれてはいません。背中の、丁度肩甲骨のあたりが濡れていました。それが天使の翼のようだったので、その日から変な人は天使くんになりました。  七月になりました。僕は周囲からの圧力に負けて、禁煙活動をはじめました。煙草が吸いたくなると、煙草の代わりにロリポップを咥えます。負荷は溜まっていく一方です。咥える、という行動は口寂しさを紛らわすと周囲はしたり顔で言いますが、僕は煙草が恋しくなるばかりです。第一口の中が甘くなる、というのが堪えられません。  だから僕は苦い顔で、甘いロリポップを舐めていました。そしてせめて雰囲気だけでも、と思い喫煙所へ足を向けました。いえ、正直に言いましょう。逃げて来たのです。ここは僕の安住の地。  スニーカーの爪先が、最近ではめっきりとご無沙汰だった、灰の落ちるアスファルトを踏みます。  そこで僕は久し振りに天使くんを見ました。  透明のビニール傘は閉じて手にかけ、そして反対の手には煙草を持っています。その状態で本を読んでいました。器用に片手で文庫本を開き、ページをめくっているようです。もう片方の指先には、吸い差しの煙草が一本、たまに口元に行く以外はほとんど灰になっています。なんて勿体ない吸い方をしているんだろう、と僕は思いました。  しかし何より僕は、天使くんが傘をささずに喫煙している、という状況にあ然としてしまいました。そして、何か、見てはいけないものを見てしまったような気になったのです。  慌ててきびすを返しますが、先に天使くんと目が合ってしまいました。きらきらとした目でした。天使くんにそんな目をさせる小説とは、どんな本でしょうか。興味が湧きました。  僕は好奇心半分、バツの悪い思い半分で、天使くんの隣に立ちます。天使くんは吸い差しの煙草を持った手を軽く上げて、僕を歓迎してくれました。  僕は天使くんにいろいろなことがききたいです。なぜいつもビニール傘をさしているのか。なぜ今日はさしていないのか。煙草は吸うのか。いつから吸っていたのか。それよりも何よりも、
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