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07
スピラが気がつくと、そこは町の中だった。
周囲には人が溢れ、出店が並び、商人の覇気のある声が響いている。
「過去に来たのか……?」
その光景を眺めながらポツリと呟いたスピラを見て、すれ違う人たちがクスクスと笑っていた。
一体何を笑っているんだと思った彼女の耳に声が聞こえてくる。
「ねえ見て、あの人。煤だらけだよ」
「本当だ。顔も真っ黒」
どうやらすれ違う人たちは、スピラが灰を被っている状態なのを笑っているようだった。
先ほどまで火に包まれていた屋敷の中にいたのだ。
黒煙を浴びて煤だらけなのだからしょうがないが、町中にそんな人物がいたらおかしく思うのも仕方がない。
スピラは手で顔を拭って灰を落とすと、ひとまず場所を移動した。
そして、歩いているうちにわかった。
多少景色は違えども、ここがロマリス帝国であることに。
何よりもそれを理解できたのは、ある建造物――この国を象徴といってもいい円形闘技場であるティンダーボックスがあったからだ。
外観もまだスピラが知っているものよりも新しい。
それからティンダーボックスの周囲をうろうろしていて聞こえてきたが。
この時代の闘技場では、剣奴に闘わせるというよりは、腕自慢の者が集まって力を競っているようだった。
他にも道行く人を見る限り、枷を付けた者がいないところから、奴隷制度そのものがまだない時代だということがわかる。
歩いている民たちにも笑顔が多く、家族連れや恋人らが仲睦まじい姿が目に入ってきていた。
「ロマリスにも、こんな平和なときがあったのか……」
つい呟いてしまっていたスピラは、すぐに自分が何をしにこの時代にやって来たのかを思い出し、魔女ルーナに渡された手紙の封を開く。
そこには黄金の指輪と地図、さらにはかなりの長文で文字が書かれていた。
「あの婆さん……。あたしが字が読めると思ってたのかよ。普通の奴隷は字なんてわからねぇぞ……」
幸いなことにスピラは他の奴隷とは違い、文字が読めた。
それでその内容は、これからこの時代で起きることと、スピラの協力者について書かれていた。
“ステュアートという家の者に指輪と手紙を見せれば、必ず後ろ盾となってくれる”
手紙を一通り読んだスピラは、まずはそのステュアート家というのを探すことにした。
何しろ硬貨も今夜寝るところすらもないのだ。
時代を変えるという大仕事があるにしても、先に住む家と食べる物が手に入る環境が必要である。
意外にも目的の家はすぐに見つかった。
道行く人に訊ねたら教えてくれたのだ。
「あんた、貴族様の家に行こうなんて用心棒かなにかかい?」
邸宅の場所を教えてくれた中年の女性は、スピラの身なりを見て不思議そうにしていた。
どうも手紙にあったステュアート家というのは、この時代でかなりの有力者のようだ。
見るからに下賤の者であるスピラの格好を見れば、女性がそんな態度をとっても仕方のないことだった。
それから郊外へと出て、ステュアート家の邸宅へと向かう。
森を抜けて見えてきたのは、真新しい建物と手入れが行き届いている庭園だった。
スピラはその光景をどこかで見た覚えがあった気がしたが、勘違いだろうと歩を進めた。
門や柵も特になかったので、建物の前まで行き、声を張って人を呼ぶことにする。
「誰かいるか! この家の……ステュアート家の者に会わせてもらいたい!」
礼儀作法を知らないスピラだったが、それらしい口調で人を呼びつけた。
彼女が真似をしているのは闘技場の審判だったせいか、誰が聞いても男性的だった。
しばらくすると、一人の子供が出てきた。
まだ十代のスピラよりも若い幼い容姿をした娘だ。
「わたしはステュアート家の者ですが、どなた様でしょう?」
「これを見せれば伝わると聞いている」
少女はこの大きな邸宅に一人で住んでいるのだろうか。
従者も彼女の両親も出てこないことに違和感を覚えながらも、スピラは娘に指輪と手紙を差し出した。
差し出した物を見て、手紙を読み始めた娘の顔が変わる。
ハッと驚いたかと思えばその身を震わせ、突然顔を上げて声を張り上げた。
「すごい! あなたは時の魔法を使ってわたしのところへ来たんだね!」
「あ、あぁ……そうだけど……」
随分とあっさり受け入れたなと思い、スピラは顔を引きつらせていた。
常識的に考えて信じられない話だというのに、目の前のステュアート家の娘は怪しむどころか歓喜の声をあげている。
だが、なぜこの娘があり得ない話を信じたのか。
その事実に、スピラは驚愕することになる。
「わたしはルーナ! ルーナ·ステュアートっていうの! あなたの名前は?」
「ルーナって……まさかお前……?」
目の前の娘の名はルーナ――それはスピラに時の魔法をかけ、この時代へと送った魔女と同じ名前だった。
スピラはすぐに悟った。
この魔女と同じ名前の少女が、あの老婆の若い頃なのだと。
「どうしたの? わたしの名前ってそんなにおかしい?」
「いや、悪かった。ちょっと驚いただけだ。あたしはスピラ」
「そう。よろしくね、スピラ!」
笑みを浮かべながら、スピラは差し出されたルーナの手を握り返した。
そして、この時代に自分を送った魔女に思いを馳せ、必ずこの国を変えるのだと決意を固めるのであった。
了
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