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魔法の代価
森を抜けた先の湖の畔に、赤茶けた屋根の小さな店がある。窓から淡い光が漏れていて、ずっと見ていたくなるような不思議な感覚に陥る。
わたしは、月明かりの夜にだけ現れるというその店の噂を聞いて、この場所を訪れた。湖があることは知っていたが、こんな場所に店があるなんて、この目で見るまで信じてはいなかった。
洒落たドアノブを握ってそっと引くと、チリンと鈴の音がした。
「いらっしゃいませ」
柔らかで、頭の中に響いてくる声だった。店主らしき女性が、正面のテーブル奥に座っている。長い黒髪がキャンドルライトに照らされて、美しく輝いている。同性から見ても見とれてしまう美人だ。
「今日はどのようなご要件ですか」
彼女は優しく微笑んで、わたしに尋ねた。どう答えたらいいのか悩んでいると、彼女はわたしに目の前の椅子を指して勧めてくれた。
「あの、こちらで……魔法を売ってもらえると聞いて来たんですが」
わたしは意を決して聞いた。普通なら、こんなことを正面から聞くなんて考えられない。しかし、今は藁にもすがりたい思いなのだ。
「取り扱っておりますよ。どの魔法をご所望でしょう」
彼女は辞典ほどの厚さの本をテーブルの上に置いた。誰も手を触れていないのに、表紙が勝手に開いて、ページがめくられていく。本はパラパラと音を立て、全体の真ん中程のページまでめくられたところで止まった。
「なるほど、治癒の魔法ですね。お支払いはどのようになさいますか?」
彼女はテーブルに備えてあるカードを一枚取ってペンを走らせると、わたしに差し出した。
ご注文 No・266 治癒の魔法
現金でのお支払い 480万円
時間でのお支払い 200日
「こんなに高いんですか」
わたしは多少は高くつくことを想像していたが、予想を遥かに上回る価格だった。
「魔法とは、人智を超える力ですから、それなりの代価が必要になります」
「時間での支払いというのは?」
わたしが聞くと、彼女は笑みをたたえたまま、わたしに顔を近づけた。
「文字通り、あなたに定められた人生の中から、相応の時間を頂くという事です」
わたしは考えた。四百八十万円に比べれば、二百日なんて大した事はないのではないか。
「時間でのお支払いをお考えでしたら、いくつか注意点がございます。こちらをご一読ください」
店主は、テーブル上の本の背表紙裏を開いてわたしに示した。そこには、箇条書きでこう記されていた。
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