シイタケ大好き

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「陽ちゃん、ほら、いつまで睨めっこしているの?」  向かいの席に座る春子が言う。  俺の目の前、ローテーブルの上には、日本三大祭りの一つ某パンの春祭りで貰った白い皿が置いてあり、更にその上には奴がいた。黒い頭に十時の切れ目が入れられた拳骨大の巨大なアレ。素焼きしてその上に醤油を数滴垂らしただけのアレ。ああ、名前を思い浮かべるのも憚られる宿敵、『椎茸』が。  ことの始まりは数日前。  同棲中の彼女、春子が、ハンバーグを作ったことに始まる。  およそ一年前、広さ二十平米ほどのこの狭いアパートに半ば無理矢理転がり込んできた彼女、春子は、交際を始めたばかりという所為もあってか、甲斐甲斐しく俺の身の回りの世話をするようになった。当初は無精な俺に代わって積極的に家事をしてくれる彼女の存在は、ただただ有り難かった。  ところが、次第にそれは若干の煩わしさを帯び始めた。まるで母親かのように俺の行動一つ一つにケチを付けるようになったのだ。風呂場で歯を磨くな、靴は揃えて脱げ、廊下の灯りはこまめに消せ。まあ、その辺りは一理あるとも言えるし、我慢できる範疇なのだが、耐え難かったのが、食事についてのことだった。  好い歳して、と知人からも咎められることではあるが、俺は食べ物の好き嫌いが激しい。特に、前述の通り椎茸が大嫌いである。そのことに対して彼女は苦言を呈し、好き嫌いを克服せよと言わんばかりに、あえて俺の嫌いなものを食卓に並べるようになった。  春子はなかなかの料理上手で大半の食材はそれによって食べられるようになったので、ある意味感謝もしてはいるのだが、なにぶん椎茸に関してはどんな調理をされようと、その絶大な攻撃力によって、味覚、嗅覚、視覚、触覚、聴覚、ついでにシックスセンスもフル動員で俺の体は拒絶をした。  話を戻そう。問題の、数日前のことである。春子がハンバーグを作った。どこからどう見ても普通のハンバーグだ。ネタをばらすと、その中にはフードプロセッサでペースト状になるまで粉砕された椎茸が練り込まれていた訳だが、見た目だけではそれに気付くことが出来ず、俺は何も警戒することなく一切れ口に放り込んだ。  並みの椎茸嫌いであれば口に入れようと気付くことはなかったのかも知れないが、二十数年の人生をもって培われてきた俺のアンチ椎茸レーダーは敏感にも敵の気配を察知し、頭の中でエマージェンシーランプが点灯、スクランブルハッチが全開となり、舌という名のカタパルトによって安全圏の外に敵は射出された。分かり易く言うと、俺は反射的にハンバーグを口から出したのだった。  当然ながら春子は俺に軽蔑の視線を寄越し、「吐き出すなんて酷い」と呟いて悲しげな顔をした。酷いと言いたいのは俺の方だとも思ったが、さすがに手料理を吐き出されたのはショックだろうと即座に反省し、俺は畳に額を擦りつけて何度も謝罪をした。しかし彼女は俺のことを許さないばかりか、物騒なことを口にした。 「こうなったら正攻法しかない……」  そうして、今日という日を迎えたのである。 「陽ちゃん、じっとしていても椎茸は減らないよ」  箸を持ちながら冷や汗をかいている俺を横目に、春子は冷たく言い放った。 「そうは言うけど、いくらなんでもこれは無理だろ。まんま椎茸じゃねえか」 「カモフラしても駄目なんだから、そのままでも変わりないでしょ?」  クッ。こんなことならハンバーグ状態のものを食べる方がまだマシだった。だが後悔しても遅い。歴史に関して『IF』を語ることほど愚かなことはない。今現在の事実として敵は既に目の前に鎮座しているのだ。 「ほら、冷めちゃうと美味しくないから」 「熱々でも俺は美味しいと思えないんだよ」  むしろ臭いを強く感じるので熱い方が苦手かも知れない。 「あのね。わたしは陽ちゃんに最高に美味しい椎茸を食べさせてあげたいの。だから今日という日のために、わざわざ能登から取り寄せた六個入り二万八千円の最高級椎茸を用意したんだよ。美味しい状態で食べて貰わないと困るなあ」 「一個五千円弱? マツタケよりも高え!」 「マツタケよりも更に美味しいよ。濃厚な香り、アワビを思わせる弾力、溢れるエキス。椎茸に対する価値観、っていうか人生観が変わるから!」 「人生観って……繰り返すが、だからと言って丸のまま椎茸って」 「もちろん椎茸だから色々な料理に使えるけど、あ、大事なことだからもう一度言うね、椎茸だから色々な料理に使える!けど、この椎茸に関しては、バター醤油でステーキにするとかホイル焼きにしてポン酢で食べるとか、あまり手を加えない方が美味しいんだよね。だから網焼きにしてみた」  春子は悪びれる様子もなく、それどころか誇らしげな面持ちをしていた。食べて貰えるかどうかも分からない食材に三万円近くも支払うなんて正気とは思えない。 「ちなみにね、十箱買っておいたから」  否、正気とは思えないではなく、これは間違いなく正気ではない。 「ほらほら、冷めちゃうよ。冷めたら次のを焼き始めるからね。早く食べないとドンドン増えるから。椎茸だけに、ドンドン、ドンドン、どんこ椎茸」 「どういう強迫だよ!」  全く笑えない冗談だ。 「そういえば、どんこ椎茸も買っておいたよ。それも料亭御用達の最高級干し椎茸『花どんこ』をね。今度煮てあげるね」 「参考までに聞くが、それはいくらだ?」 「300gで一万五千円。グラム単価だと今日の生椎茸よりもちょっと高いね」  駄目だこいつ、頭がおかしくなっている。  つい先程笑えない冗談と思ったばかりだが、それを通り越して笑いが込み上げてきた。俺の人生観を正すよりも春子の金銭感覚を正す方が先だろう。 「そんな大金を投じてまで俺の椎茸嫌いを直す必要あるか? これを食べれば人生観が変わると言うが、椎茸一個で人生の大勢に変化が生じたら、それこそ俺の今までの人生ってどんだけ惨めだったの?って話になるだろ」 「分かってないなあ、陽ちゃんは……」  え? 分かっていないのは俺? 「いい? 陽ちゃんは、花を見て綺麗だなあって思うことない?」 「花にもよるが、まあ、桜とか見ると綺麗だと思うよ」 「でしょ? それはとても幸せなことなの。じゃあ、暖かな風は心地良い?」 「まあ、うん、心地良いかな」 「それも幸せなこと。人は感動を得ることで幸せになるの。嫌いなものがあるとその分幸せが減るんだよ。陽ちゃんはわたしよりも、少なくとも椎茸を食べる幸せを知らない分不幸。つまり、陽ちゃん不幸」 「おいおいおい、俺の幸せ総量のうち椎茸を食べる幸せはシェア何%なんだよ」 「限りなく100%に近いね。限りなくだから、lim[n→∞]ね。つまり、100%-lim[n→∞]1/n=100%だね」 「ごめん。何言っているのか分からない……」 「要するに、椎茸食べないと地獄に落ちる」 「極論!」  説き伏せるのは無理な気がしてきた。仮に本気で椎茸を食べないと地獄行きという宗教観、あるいは思想を持っているのだとしたら、椎茸に大金を投じることに躊躇いは微塵もないだろう。とは言え、それはあくまで個人的思想であり、他人に強要するものではない。 「春子、こんなことを真剣な顔で言うのも何だが、椎茸食わないだけで地獄に落ちることはないと俺は思っている、いや、世の中の大半の人はそう思っているぞ」 「陽ちゃんは世の中の人代表じゃないでしょ。確かに『地獄に落ちる』っていうのは言い過ぎたかな。物騒だよね。具体的には殺されるって言った方が良いかな」 「そっちの方が物騒に聞こえるよ!」 「まあ、聞いて。陽ちゃんってさあ、お父さんにそっくりだよね? たぶん、遺伝子が濃い目なんだと思うんだ」 「遺伝子濃い目って非科学的な……それ以前に親父に会ったことないだろ」 「この間、電話で話をしたよ」 「は?」  初耳だ。 「家の電話に着信があって受話器を取ったらお父さんだったの。でね、声が陽ちゃんにソックリだったから、わたしてっきり陽ちゃんだと思って職場の愚痴を三十分くらい話しちゃった。もう、最初から名乗ってよって感じだよね」 「ちょっ、何してくれてんの……」  実は両親には俺が春子と同棲していることを伝えていない。あの堅気な父のことだ、おそらく電話口に女が出ただけでも衝撃を受けたはずだ。その上、三十分も愚痴を聞かされるなんて。 「声が似ているってことは、声帯、それと顎の骨格が似ているってことでしょ。だから見た目も似ているし、親子ともなれば往々にして嗜好も酷似していたりするよね。つまり、陽ちゃんのお父さんも椎茸嫌い。違う?」  春子の言う通りだった。うちは親子揃って椎茸が苦手だ。かと言って、春子の推理を口に出して認めるのも癪に障り、俺は不機嫌そうに首肯のみで応じた。 「オケ。ここからが問題なんだよね。将来、わたしと陽ちゃんの間に二人の子供が生まれるでしょ。わたし、二人は子供欲しい派だから」 「お、おい、さらりと凄いことを言っているが大丈夫か?」  俺は春子にプロポーズなどしていない。それどころか、二人の間で結婚のけの字も俎上に載ったことはない。 「話の腰をポキポキ折らないでくれる? でね、今のままだと陽ちゃんの椎茸嫌いはその二人の子供にも受け継がれてしまうと思うの。更にその二人の子供が其々子供を二人作って四人の孫も出来るでしょ。その子達も椎茸が嫌い。三世代目ではまだ四人だけど、これが四世代目になると八人、五世代目で十六人、六世代目で三十二人、ネズミ算式に増えていって三十四世代目になると約八十五億人で地球の人口を越えるのね。地球ヤバイ!」 「その発想がヤバイよ」 「そうすると、僅かに生き残った椎茸大好きレジスタンス勢力が歴史を変えるために過去の世界、つまり現代に、『I'll be back』が口癖のロボットを送り込んでくる訳。陽ちゃん、命狙われちゃうよ。陽ちゃんヤバイ!」 「だから、その発想がヤバイって」 「I'll be back!」 「ああ……未来の人だ……」  過去のことについて『IF』を述べるのは愚かなことというのは確かだが、未来のことについても行き過ぎれば愚かだということを身に沁みて感じる。こういうのを何て言うんだっけ。杞憂? 絵に描いた餅? 取らぬ狸の皮算用? 鬼が笑うんだったか? 「陽ちゃん、それはともかく椎茸食べなよ」  ああ、目の前で鬼が笑っている。  それにしても、なぜ春子は今日に限ってここまで椎茸に拘るのだろう。一年間一緒に暮らしているが、今まで、こんなにも執拗に食うことを強要してきたことはない。よほど料理を吐き出されたことが嫌だったのか、それとも他に理由が。 「ほら、わたし達の未来のためにも椎茸を食べて」  その言葉を聞いて俺は察した。分かった。これは椎茸入りハンバーグだ。つまりはカモフラージュ。本当に伝えたいことはここまでのやり取りの中に椎茸の如くさり気なく隠してあったのだ。おそらくは俺の父親と電話で話をしたことで発奮したのだろう、春子は俺との今後を気にしているに違いない。 「あのさ、春子。言いたいことは分かったよ」 「ホント? やっと分かってくれたんだ」 「この間は本当に悪かった。せっかくの料理を口から出すなんて最悪だよな。でもな、決して春子の料理が嫌だった訳じゃないんだ。むしろ春子の料理はいつも美味しいと思っているし、これからもずっと食べていきたい」 「で?」 「春子、俺と結婚しないか?」  そう言うと、春子は呟いた。 「そんなことより、いつになったら椎茸食べるの?」 「え! そんなことよりって」  一世一代のプロポーズよりも椎茸の方が大事、だと? 「ねえ、陽ちゃん。そんな言葉でわたしが騙されると思う? っていうかね、椎茸を食べたくないから求婚で誤魔化すって、人としてどうなの?」 「いやいやいや、結構真剣に言ったんだけど」 「真剣なのはわたしの方だよ。ほら、早く椎茸食べて」 「どこが真剣だよ。さっきからおかしなことばかり言ってるだけだろ」  俺の言葉を聞いて春子は鼻で溜め息をつき、口元を引き締めた。 「……わかった。じゃあ、そろそろ真剣な話をするね」  おい。やはり真剣じゃなかったのか。 「陽ちゃんは、椎茸って英語で何て言うか知ってる?」 「悪い。知らない」 「SHIITAKEだよ。ちなみにフランス語でもドイツ語でも椎茸はシイタケ、そして学名はレンティヌラエドデス。このエドデスのエドは江戸時代の江戸という説もあるの。分かる? つまり椎茸はSUSHIやTEMPURAと同様、日本を代表する食べ物なのね」 「は、はあ……」 「だから陽ちゃんが海外に行った時、日本人ってことで『シイタケ』というあだ名を付けられるかも知れないの。シイタケ君が椎茸嫌いなんて笑えないでしょ?」 「シイタケ君っていうあだ名を付けられた時点で笑えん! 何だよ、その『眼鏡を掛けている人のあだ名は博士』的な考えは」 「かつて歌手の坂本九がアメリカでデビューをする際、日本人ということで、その楽曲『上を向いて歩こう』は『SUKIYAKI』ってタイトルに改められたの。陽ちゃんがシイタケって呼ばれることも十分に有り得るでしょ」 「いつの時代の話だよ。今日日そんなあだ名を付けたら、特定の民族に対する偏見やら差別やらで叩かれるだろ」 「そんなにシイタケ君が嫌なら、『シイ・タケオ』でどう?」 「地井武男みたいに言うな!」  これのどこが真剣な話なんだ。 「それじゃあ、ここからが本題ね」 「まだ本題じゃなかったのか!」  一体いつまでこの話は続くんだ。 「さっきも言った通り椎茸は日本を代表する食材なの。しかも、ローカロリーかつ栄養満点ということで、体に良いものとして世界から注目を浴びているんだよ」  出た、出た、椎茸は体に良いです話。椎茸が嫌いということを人に告げると大抵の相手は春子と同じようなことを言う。だが、これだけ多種多様な食材が手に入る時代に栄養のことで諭されても納得できる訳がない。極論を言えばサプリでも何でも代用品は幾らでもあるのだ。  俺は誇らしげに言い返した。 「甘いな春子。その手の椎茸の素晴らしい話っていうのは、幼い頃から何十回、何百回と聞かされてんだよ。それを承知の上で俺は椎茸が嫌いだ!」 「何を偉そうに。その鼻、摘んで引き千切るよ」 「い、いちいち言うことが怖いんだよ……」  春子は俺の発言など意に介さず、再び話し始めた。 「椎茸の利点を承知しているって言うけど、その絶大なポテンシャルは把握し切れていないと思うよ」  自己主張をしようと敢えて悪態をつく。 「ポテンシャルという言葉がこれほど似合わない物も珍しいな」  すると春子は険しい視線を向けてきた。 「黙ってわたしの話を聞けないなら、その耳を噛み千切るからね」 「だから、怖いって……」  そして、またもや何事もなかったかのように話が始まる。 「椎茸は栄養が多いだけじゃなくて、旨味成分であるグアニル酸を豊富に含んでいるの。特に干し椎茸の場合その含有量はあらゆる食品の中でトップ! だからダシとしても使えるんだよね」 「残念だったな春子。その話も何となく知ってるよ」 「今度勝手に口を開いたら、その唇を唇で塞ぐよ」 「お、おう……」  反応に困る。どうせ脅すなら、ちゃんと脅して欲しい。 「液体に食材の旨味成分を溶かし込んだもののことをダシと呼ぶでしょ。国によってスープとかタンとか名称は変わるけど、世界中ほとんどの地域にダシの文化は存在するの。ここで質問。陽ちゃんはダシ食材と聞いて何を思い浮かべる?」 「あ、発言しても良いのか?」 「質問に質問で返すな!」  なんて理不尽なんだ。そう思いながらも律義に返答する。 「……カツオブシ」 「うん。日本人だと真先に連想するのはカツオかな。他にも、いりこ、豚骨、鶏ガラ、色々あるけどね。さて次の質問。今列挙した食材の共通点は分かる?」 「ラ、ラーメン?」 「ブッブー! はい、椎茸もう一個追加」  そう言って春子は皿の上に箱から取り出した椎茸を置いた。 「焼かれてもいない!」 「生食は体に悪いから気を付けてね」 「じゃあ、出すなよ!」 「そんなことはともかく、答えを言うよ……」  また、そんなことって言ったよ、この人。 「さっきわたしが言った食材は全て動物性のものなの。それがこれからの時代、問題なんだよねえ」 「悪いが、俺は菜食主義者になるつもりはないぞ。春子だってそうだろ」 「まあ続きを聞いて。最近クロマグロが絶滅危惧種に認定されたのは有名な話だけど、実はカツオも漁獲量が年々減っているの。消費量が減ったから獲る量を減らした訳ではなく、生息数自体が減少しているんだよね。ちなみに、いりこの原料となるイワシも数が減っている。その原因は乱獲なのか地球環境の変化なのか不明だけど、とりあえず海洋生物の数が減っているのは確か」 「へえ、知らなかった」 「次に家畜。これも近年問題になっているんだよね。まあ、動物愛護の観点から問題視する人は大昔からいるけど、それだけではなくて環境破壊が洒落になっていないの。分かり易いところだと、広大な牧草地のために森を切り拓かないといけないってことだけど、他にも色々あってね……」 「なあなあ、今、椎茸の話をしてるんだよなあ?」 「言ったよねえ? 勝手に口を開いたら唇を唇で塞ぐって!」 「え? あ、ちょっ、待っ…………」  ※R18指定回避のため、具体的な描写は割愛します。   しばらくの間『若大将のゆうゆう散歩』をご覧ください。  三十分経過。 「ふぅ……」  俺はとりあえず深呼吸をし、良く調教された犬のように、定位置、つまりローテーブルの前に再び座った。それに対して春子はというと、キッチンの前に立ち、網付きフライパンを火に掛けて次の椎茸を焼き始めた。  やはり椎茸からは逃れられないようだ。そう思った時、彼女は視線をこちらに向け、柔和な笑みを浮かべてこう言った。 「さて、ウンコの話をするね」 「余韻もクソもねえ!」 「ウンコの話をするんだからクソはあるでしょ」 「そんな上手い返しは期待してないよ。少なくとも今は料理中なんだからウンコの話はないだろ、ウンコの話は」  そう咎めてはみたものの、まあ予想通り、彼女は悪びれる様子も見せず、マイペースに料理をしながら話し始めた。 「ウンコと言っても家畜のウンコね。これがねえ、問題山積み。っていうか実際にウンコが山積みになっているのが現状なの。家畜の排泄物というと肥料に使えるとか自然界で分解されるとかっていうイメージがあるけど、そんなのは極一部で、ほとんどの排泄物は未処理のままその辺に積まれた状態になっているんだよね。それが原因で悪臭の飛散、土壌汚染、果ては飲料用の水源さえも汚染されているし、更に、そこから発生するアンモニアが酸性雨の原因にもなっているの。怖い!」 「大袈裟じゃね?」 「そう思うなら、農林水産省生産局畜産部畜産企画課畜産環境経営安定対策室に問い合わせてみると良いよ。もっと詳しく教えて貰えるから」 「問合せ先の名前が長!」 「わたしが考えた名前じゃなくて国が考えた名前なんだから仕方ないでしょ。それにしても、さっきからうるさいよ。黙っていられないなら……お前を、農林業にしてやろうか!」 「わあ……デーモン閣下だ……」  春子はダミ声で高笑いし出した。 「な、なあ、話の続きがあるなら、さっさと聞かせてくれない?」 「よかろう!」  まだダミ声だ。どうやらデーモン小暮の物真似をしているつもりらしいが、それにしては中途半端だ。彼女自身もそれを察したのか、次に発した声は普通だった。 「家畜にはまだ問題があってね、牛や羊といった反芻動物は胃の中で発酵を行なうことでメタン入りのゲップをするの。メタンって温室効果ガスだから、家畜が地球温暖化の一因とも言われている」 「はあ……」 「それともう一つ、餌の問題。世界で生産されている穀物の約40%は家畜の飼料として使われているの。つまり肉一切れを得るために、その十数倍の量の穀物が消費されている計算になる訳。これね、もしその分の穀物を世界に分配すれば飢餓に苦しむ人達を救ってもお釣りがくると言われているの。まあ、この辺の数字は研究機関によってかなりの誤差があるから特定の思想によるバイアスが掛かっている可能性もあるけど、いずれにしても肉の量産はデメリットが大きいのは確か」 「要するに、魚も駄目、肉も駄目、菜食主義者になれと?」  呆れたようにそう言うと、春子は真面目な面持ちで捲くし立てるように喋り出した。 「そこまでは言っていないよ。これからもカツオダシという文化は受け継がれていくだろうし、受け継がれていくべきだとも思う。文化っていうのは民俗単位のアイデンティティであって、それをないがしろにすることは人の存在意義の崩壊に繋がりかねないからね。つまり、些細な伝統も自分を自分たらしめる大事な要素。そんなことは、なぜ国という区分けがあるのか、なぜ戦争が起こるのか、なぜ宗教が廃れないのかってことを考えればすぐに分かるよねえ? たまに宗教紛争のニュースを見て、これだから宗教は、って馬鹿にするような意見を口にする人がいるけど、それって自分の立ち位置に不安を抱いていない者の無責任な発言だよね。もちろん他者を傷付けることは許されない行為だけど、自己の喪失は死に等しいんだから、必死に宗教ひいては文化を守ろうとするのは当然でしょ。無責任な発言をする人って日本がどこぞの属国になって、鯨を獲るな、祭りをするな、日本人を名乗るなって言われても何も思わないのかね……」 「お、おい、凄い方向に話が進んでいるが、椎茸のところに戻れるのか?」 「ああ、じゃあ話を戻すね。つまり、椎茸を食え」 「話が飛躍し過ぎて、意味が分からん!」  俺の突っ込みと同時に春子は満面の笑みを浮かべながらフライパンごと焼き立ての椎茸を持ってきて、それを白い皿の上に移した。目の前に、熱々椎茸、冷めた椎茸、生の椎茸と三つの椎茸が並ぶ。  椎茸を突き付けられながら延々と環境や文化について説教されるというシュールな状況、まるで洗脳を目的とした儀式のようだ。これこそ自己の喪失に繋がるのではないかといささかの不安さえ湧く。  そんな俺の気持ちは一切顧みず、春子はフライパンを片付け終えると向かいの席に座り、両腕で頬杖をついてまたもや笑顔を見せた。 「つまりね、動物性食材にのみ頼るのは今後難しいって言いたいの」 「そ、そこまでは何となく察しがついたよ」  たどたどしく返事をすると、彼女は大きく頷いた。 「そこで登場、マクロビオティクス。通称マクロビ。知ってる?」 「えっと、ベジタリアンがやってる食事法だっけ?」 「そうそう、正しくは玄米を主食とした純菜食健康法だけどね。実践している人だとマドンナとかトムクルーズとかが有名かな。あと、故スティーブジョブスもやっていたらしいね」 「ああ! それニュースで見たことあるよ。確かジョブスは癌を発見していたのに先端医療を拒否して食事療法に走ったから死んだっていうやつ。それってマクロビだったんだな。へえ、そう思うとマクロビって胡散臭くね?」 「ジョブスの場合は、自分だけは何とかなる、っていうイノベイティブな性格だったのが原因でしょ」 「イノベイティブな性格って。まあ、革新的な人だったとは思うけれども……」  そんな俺の言葉を遮るように春子は咳払いをし、大きく息を吸った。また長い説明が始まりそうな気配だ。 「マクロビには万病に効くとか陰陽思想とかっていうオカルティックな側面もあって、陽ちゃんが懸念するように胡散臭さを抱く人がいるのも事実。でも菜食法としては歴史が古く、そのノウハウには学ぶべきところが多いんだよね。それにマクロビカフェに行くと分かるけど、普通の食事と大差ないよ? 豆乳クリームを使ったケーキとか本当に動物性のものが入っていないの?って思うくらい美味しいし」 「はあ、さようですか」  もうどうでも良い。早く寝たい。 「でね、マクロビって横文字だから海外発祥のものと思われがちなんだけど、実は日本生まれなの。日本人がその理論体系を築き上げて、それが海外で人気を博したんだよね。つまり、マクロビカフェって逆輸入された文化な訳」 「それが椎茸と何か関係があるのか?」 「関係あるから、こんな長い話をしているに決まっているでしょ。もう、陽ちゃんはあれもこれも下手だけど、相槌も下手だね」  どさくさに紛れて酷いことを言われた気がするが、気のせいか? 「あ、あの、長い話をしているっていう自覚はあるんだな……」 「陽ちゃんがさっさと椎茸を食べればそれで話は終わるんだけどね」  仰る通り過ぎて何も言い返せない。 「反論がないなら話を続けるね。さっき言った通り料理にはダシが使われているものが多い。もちろんマクロビにおいてもダシは使われているの。しかもそれは日本発祥ということで、精進料理と同様、昆布と椎茸の使用頻度が高いんだよね」 「じゃあ、動物の代わりに昆布をダシとして使う選択肢もある訳だな」 「甘いなあ陽ちゃん。陽ちゃん甘い。甘いよ陽ちゃん。陽ちゃんは甘いなあ」 「しつけえよ!」 「旨味って複数の旨味成分が混ざり合うことで美味しさが増すという性質があるから、基本二種類以上のダシ食材を使うんだよ。これは料理におけるセオリー。合わせダシって言葉くらいは聞いたことあるでしょ? 昆布に含まれるのはグルタミン酸。そこに普通はカツオブシなどに含まれるイノシン酸を掛け合わせるの。っていうか、グルタミン酸に関しては植物性動物性問わず色々な食品に含まれているからカツオだけでダシを取る人も多いかな。他にも市販の加工食品の成分表を見てみると調味料(アミノ酸など)って必ず書いてあるんだけど、これ、大半は昆布由来の成分だから、カツオエキス、チキンエキス、ビーフエキスといったイノシン酸を含む食材が一緒に入っていることが多い」 「じゃあ、昆布とイノシン酸食材で問題はクリアだ」 「残念。グルタミン酸と違ってイノシン酸はそのほとんどが動物性食材にしか入っていないんだよ。動物性食材の消費を抑えようとした場合、残る選択肢は一つ、三大旨味成分の一角グアニル酸、つまり椎茸、これを使うしかない」 「んなアホな。これだけ色々な食材があるのに」 「確かに松茸やトリュフ、化学調味料といった選択肢もあるけど、それらが代表的なダシ食材として使用されるとは考え難いなあ。マクロビが海外でも認知されていることを鑑みれば、椎茸がこれからのダシに選ばれると思った方が自然でしょ」 「ダ、ダシを使わない料理だってあるだろ」 「まあね。インドみたいにダシという概念自体が存在しない文化もあるし、当然ダシを入れない料理もあるよ。でも、一般に流通している加工食品で旨味成分が添加されていないものなんてないし、飲食店の料理でもちょっとした炒め物にさえ旨味成分は入っているよ」 「和食や中華ならまだしも、洋食で椎茸が使われることは滅多にないだろ」 「往生際が悪いなあ……」  そう言って春子は肩をすくめ、冷蔵庫を指差した。 「陽ちゃん、そこからイタリアンドレッシングを取り出して成分を見てみて」  渋々立ち上がり、言われた通りドレッシングを手に取る。どこにでも売っている大手メーカーのイタリアンドレッシングだ。 「な! これは……」 「気付いた? そう、椎茸が入っているの。本当はボルチーニ茸を使いたいところなんだろうけど、コストと安定供給を考慮して椎茸を使っているんだと思うよ。キノコって人工栽培が確立している品種が意外と少ないの。それに対して椎茸は一袋百円とかで売っているくらい簡単に手に入るからね。良い? とっくに世界中の料理人や食品メーカーは椎茸の可能性に気が付いているよ」  ドレッシングを冷蔵庫にしまい、スライディング正座で春子の向かいに戻る。 「マジか?」 「マジだ!」 「じゃあ、家で料理を作れば良い」 「誰が?」 「あ……」  しまった。自ら地雷を踏んでしまった。  春子は再び肩をすくめ、呆れたような顔付きで語り始めた。 「今は動物性の旨味成分が主流だけど、近い将来これらは全て椎茸エキスに切り替わる。例えばスナック菓子一つとっても、チキンコンソメやビーフコンソメから椎茸コンソメに切り替わるね。世界中どこに行っても、料理の味のベースは椎茸。それがこれからのスタンダード」 「恐ろしい世界だ。考えたくもない」 「そう? こんな素晴らしいことはないでしょ。極端な話、椎茸って鬱蒼とした森の中でも栽培可能なんだよ? これほど環境に優しくて倫理問題も解決してくれる食材が他にある? 椎茸こそ平和の象徴! 椎茸は世界を救う!」  春子は皿の上の生椎茸を手に取り、それを高々と掲げた。  そんな彼女を見て、俺は顔を引きつらせて投げやりに言葉を吐いた。 「食べると巨大化して、亀の大王を倒せたりしてな……」 「面白くない冗談だなあ。本当に椎茸は平和の象徴として崇められる時代が来るからね! 某海洋生物保護団体のトレードマークはドクロだけど、これもそのうち椎茸マークに変わるから!」 「ちょっ、それは少し面白い……」  不覚にも、あのエコテロリスト達が椎茸の旗を振り回している姿を想像して笑ってしまった。 「これからは椎茸が世界を席巻する!」 「さっきは椎茸嫌いが世界の人口を超えるって言ってただろ」  当たり前の指摘を入れると、春子は俺の肩に手を置いて首を横に振り、哀れむような表情を浮かべながら囁いた。 「過ぎたことに拘っては駄目。未来を見て……」  解せん。 「未来では椎茸を握った者が世界を握るの! そして、椎茸の生産量が多い日本と中国が椎茸覇権を巡って争う!」 「ちっとも平和じゃねえ!」 「椎茸が嫌いとか言っていたら椎茸過激派に殴られちゃうよ!」 「ますます平和じゃない!」  椎茸過激派とは春子のことだろ? そんなことを思う。 「すぐそこまでパラダイムシフトは迫っているんだよ!」 「『な、なんだってー!』って言えば良いのか? もう完全にノリがMMRだ。ノストラダムスの大予言やマヤ文明の神話について語られている気分だよ」 「ありがと。わたしの話をそんな有名な話と同格に扱ってくれて」 「褒めてねえ! スケールがデカ過ぎてピンとこないって言ってんだよ」  そう言うと、春子は拗ねたように唇を尖らせた。 「そう? でも環境問題や食料問題は必ず近いうちに大問題になるよ? と言うより、もう問題になっているでしょ。欧米では週に一日は動物性のものを食べるのはやめようっていう運動がジワジワ広まっているらしいよ。陽ちゃんが椎茸を食べれば世界が変わる!」 「人生観だけじゃなくて世界も変わっちゃうんだ……アハハ……」  もはや乾いた笑いしか出ない。  すると、春子は溜め息をついた。否、溜め息と言うよりも、綺麗に「ハア」と発音し、それから淡々と言葉を紡いだ。 「じゃあ、本当は言いたくなかったんだけど、身近な話でもしようか?」  俺は少しヤケになって挑むように言い放った。 「望むところだ」  春子が醒めた調子で言う。 「上司や取引先の人と一緒に食事に行った時、椎茸が出てきたらどうするの?」  本当に身近な話がくるとは。  俺は戸惑いがちに答えた。 「え? あ、それは、バレなければ避けるかな。そうじゃなかったら、一旦口に入れてトイレで吐き出すとか……」 「最低。無理矢理に他の食べ物で流し込むのが妥当でしょ。どちらにしても、そんな気苦労も椎茸を好きになってしまえばしないで済むんだけどね」 「分かってるよ。でもさ、そんな状況に置かれることなんて滅多にないだろ」 「そうかなあ。陽ちゃん、そのうちわたしの実家に挨拶に来るでしょ? たぶんうちの両親と食事もすると思うんだよね。その時、わたしお母さんに陽ちゃんは椎茸が大好きだって伝えておくから」 「どうしてそんな性格の悪いことすんだよ!」 「椎茸が嫌いって伝えたら、うちのお母さんわたしと性格が似ているから余計に椎茸が出てくると思うよ」 「い、遺伝子濃い目……」  畳み掛けるように春子がなおも話を続ける。 「凄く単純な話でさあ、食べ物に限らず、嫌いなものって失くした方が良いと思うんだよね。子供じゃないんだから」 「俺だって好きになろうと努力はしたんだよ」 「あーあ、言っちゃった」  怯えながら尋ねる。 「え? 何かまずかった?」 「ただでさえ好き嫌いがあることで子供っぽく見られかねないのに、そんなことを言ったら、やっぱりガキだって思われるよ? だって、『やろうとした』って、宿題忘れた小学生の言い訳じゃない。子供の逆切れ台詞ベスト3だよ。ちなみに一位は『みんなだってそうじゃん』、二位は『お前に言われたくないし』ね。努力したかどうかは周りの人が判断することであって、自分で言うものではないんだよ」 「そんな言い方しなくても……」 「こういうのって大事だと思うよ。仕事に置き換えてみなよ。上司に『依頼した資料は出来ていないのか』って言われて、『やろうとしたんです』とか言ったら、心の拳で殴られるでしょ?」 「心の拳って何だよ……」 「『出来ていないのか』って言葉にはさ、『これからどうするんだ?』っていう問い掛けの意味も含まれているの。だから速やかに謝罪をした上で、いつまでにどういった状態にするのかって具体的に伝えるものでしょ。『すぐやります』とか『いつかやります』っていう曖昧な返事も心の拳で殴られるから気を付けてね。つまり宿題を忘れた小学生も先生に怒られたら、『誠に申し訳ございませんでした。大変反省をしております。つきましては明日の午前九時に解答欄を全て埋めたものを提出致します。その旨何卒ご了承ください』って言うべきだよね」 「そんな小学生嫌だ!」  もはや普通の説教だ。これならばウンコの話をしていた方が余程良かった。 「ともかく、言いたいことは分かった?」 「わ、わかた……」 「じゃあ、それを踏まえた上で聞くけど。椎茸、食べないの?」 「申し訳ございません。とても苦手でございます……」 「で? 今後はどうするの?」 「今後も一切食べる気はありません」 「アホー!」  死角から春子の右フックが放たれ、俺の左頬を捉える。 「な! 暴力反対!」 「これは暴力ではなくて心の拳だよ」 「どう見ても普通の拳だよ!」  いつもの調子で突っ込みを入れると、彼女はとても悲しげな顔をした。 「は、春子? 何? 本気で怒ってんの?」  心配になり、顔を覗き込む。強気な彼女がこんな表情を浮かべるのは珍しい。最近では俺がハンバーグを吐き出した時くらいだ。 「陽ちゃんにはガッカリだよ。わたし結構頑張ったんだけどなあ……今日の椎茸だって安くないんだよ?」 「あ、はい、それは、承知しております」  そして、しばらくの間を置いてから春子は目を細めて呟いた。 「もうこうなったら正攻法しかない……」  え? 「ちょちょちょ、ここまでのやり取りが正攻法じゃないのかよ」  俺の言葉を無視して春子が携帯を操作する。嫌な予感しかしない。 「な、なあ、春子? 何をする気なんだ?」  慌てて尋ねると、春子は携帯に視線を向けたまま口を開いた。 「陽ちゃんに確認なんだけど、陽ちゃんが嫌いなのは、椎茸でしたっけ?」 「は? しいたけでしたっけって、駄洒落か?」  険しい視線を向けられる。 「質問に質問で返すな!」  おまいう? 「陽ちゃん、もう一回聞くよ。嫌いなものは椎茸でしたっけ?」 「はい、椎茸ですねえ」 「椎茸でしたっけ?」 「何で同じことを聞くんだよ」 「陽ちゃん!」 「……はい、椎茸ですねえ」 「テンポ上げていくよ。椎茸でしたっけ?」 「はい、椎茸ですね」 「椎茸でしたっけ?」 「はい、椎茸ですね」 「椎茸でしたっけ?」 「はい、椎茸ですね」 「椎茸?」 「はい」 「椎茸?」 「はい」 「椎茸?」 「はい」 「椎茸? 椎茸? 椎茸? 椎茸?」 「はい。はい。はい。はい」 「椎茸椎茸椎茸椎茸椎茸椎茸椎茸椎茸椎茸……」 「はいはいはいはいはいはいはいはいはい……」  その時、春子と俺の言葉のリズムに合わせ、どこからともなく陽気な音楽が流れてきた。  ♪チャラチャッチャチャラーチャッチャッチャ…………  かなりの音量だ。複数のスピーカーが隠してあるのか、その音は狭い室内に響き渡り、微かに壁が震えている。何が起こっているのか見当もつかず、俺はせわしなく首を振って室内を見回した。瞬間、ベランダの窓が開き、そこからマッシュルームカットの男達が、十人以上はいるだろうか、侵入してきた。 「な、なんだ! あ、あんた達、何者だ!」  全員体格が良く、黄土色したピチピチのTシャツを着ている。明らかに異常事態だ。それにもかかわらず春子は澄ました顔をしている。  春子が仕込んだのか? ひょっとして椎茸過激派? 俺、殺られる?  そんな恐怖を抱いた時、音楽に合わせて体を揺らしている集団の中からマイクを持った男、否、オッサンと形容した方が良いだろうか、オッサンが躍り出て、春子の横に立った。同時に春子が立ち上がり、どこから取り出したのかヘッドセットマイクを装着。  そして、春子とオッサンは、歌をうたい出した…………  ♪ ♪ ♪  ♀シイタケでしたっけ?  ♂ハイ、シイタケですNe!  ♀シイタケでしたっけ?  ♂ハイ、シイタケですNe!  ♀シイタケ!  ♂Hi!  ♀シイタケ!  ♂Hi!  ♀シイタケ!  ♂Hi!  ♀シイタケ!  ♂Hi!  ♀♂Hi Hi Hi Hi Hi Hi Hi Hi……  ♂Say!  ♀♂SHIITAKE HIGH!!  ♀さあさ みんなで 歌えシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ みんなで 語れシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ みんなで 踊れシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ 食べろYo! シイタケ大好きー!  ♂シイタケ大好きー!  ♀Hey Ya! 聞いてる? パーリーピーポー   シイタケとっても体に良いよー   食材としてトラディション and 食べれば整うコンディション Yeah!   栄養満点 好き嫌いは×(バッテン)   香り良いのにアカンネン?   違くないそれ? 違くなくない?   分かってないそれ What a nice SHIITAKE!  ♂4649(ヨロシク)俺はMC.TK みんな好きだろ? Yes, SHIITAKE    繊維 ミネラル ビタミンB,D 抗ガン成分AHCC   こんなにイカした味なのに 肥満安心ローカロリー     嫌なことなんてLost my memory    シイタケ食えば幸せだぜ Yeah!  ♀食用の歴史BC5000 レンティヌラエドデス江戸です   SHIITAKE will represent Asia in the future!   フランス語では Le Shiitake Le Le Le キノコは男性名詞!   だからシイタケ たくましいだけ   わたしは広げて晒しちゃう Ah……  ♂天日に晒せば干しシイタケ 香り豊かな君が欲しいだけ   乾けば増えるぜグアニル酸 旨味成分アミノ酸 Yeah!   ダシに使えば 沢山! 拡散!    シイタケ屋さんご苦労さん 美味しいシイタケありがとSang!  ♀馬に接吻?  ♂旨味成分!  ♀♂UMAMI! 旨い 旨味 上手い 馬に うま煮!  ――♀うん、美味し☆  ♂It’s yummy!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♂Ho!Ho-Ho-胞子粉粉(ブンブン)   カサが開きホ→シが飛ぶぜ ヒダを焼くと風味が飛ぶぜ    飛ばして良いのは子種だけだぜ!  ♀焼くなら頭とMy heart そして 鍋なら頭を十時Cut    バディの頭はマッシュルームカット 頭の中まで見てみるか?   菌糸の如くはびこり 脳内シイタケばっかり! Wow!  ♂菌糸蔓延原木栽培 La La La ホダ木は女性名詞!   だからシイタケ 増やしたいだけ   俺は種を植えるぜ Oh……  ♀食べる部分は子実体(シジツタイ) シイタケ本当は菌糸体   そんなの全く気にしない? とにかく沢山食べたい?   世界に広がるシイタケ愛!   収穫までは2、3年 それまで気長に待ってねん  ♂胞子生殖  ♀孔子接触?  ♀♂HOUSHI! 胞子 防止 棒に 老子 孔子!  ――♀♂子曰く、シイタケを食え!  ♂Lady go, Yeah!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀Let's dance!  ♪ ♪ ♪  春子の掛け声と同時に玄関の扉が開き、花笠を被った浴衣姿のオバサン達が何人もなだれ込んできた。その両手には、直径10cm、長さ1mほどの栽培用原木、いわゆるホダ木が握られている。  改めて説明するが、俺の部屋は二十平米ほどしかなく非常に狭い。そこに数え切れないほどの人間がいるのだ。それこそ満員電車よろしく、ミッチミチ。しかも踊り狂っているというオマケ付きだ。 「た、助けて……」  俺は呟いた。しかし、大音量の中その声は誰の耳にも届かず、当然のように宴は続いた。  ♪ ♪ ♪  ♀さあさ みんなで 謳えシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ みんなで 騙れシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ みんなで 踊れシイタケ大好き  ♂Yo! Yo! Yo!……  ♀さあさ 食べろYo! シイタケ大好きー!  ♂シイタケ大好きー!  ――♀ここでお便りを紹介します。東京都在住Y君からのお便りです。 「春子さん、こんにちは。こんにちはー。僕は椎茸が嫌いで口に入れても吐き出してしまいます。どうしたら良いですか? うーん、良い質問だね。でもちょっと待って、Y君には謙虚さがないよね。君は椎茸を虐げて吐き捨てたつもりでいるようだけど、本当は君の方が椎茸に吐き捨てられたんだよ。そのおごりをまずは解消するべきだね。話はそれからだ!」  ♂シイタケ大好き! ♀シイタケ大好き! ♀♂シイタケ大好き!  ♀酒の肴にシ→タケいかが?    Which do you like? 煮る? 炒める?   シンプルレシピ シングル素材 シイタケスライス 炒めるくらい   そんなことくらいでDon't cry!   砂糖醤油and唐辛子テイスト それがわたしのフェイバリット!  ♂ヒダに塗り込めマヨネーズ チーズも乗せてトースターで5minutes!   簡単 万感 フライパンも使わん こいつが俺のフェイバリット!  ♀I luv U! 愛しチュー! あなたの名前は Yes, SHIITAKE!   あなたのことならタップリ語れる さあ みんなで……  ♀♂KATARE! 語れ 騙れ 固目 カタルシス!  ♂Believe that!  ♀シイタケ大好き!  ♂She takes the whiskey!  ♀シイタケ大好き!  ♂She takes the whiskey!  ♀シイタケタケタケタケタケシイタケ タケダケシイタケダケカイ?  ♂椎茸炊けたけ? 炊けたけ椎茸! 猛々しい武田家 甲斐!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き!  ♀シイタケ大好き!  ♂シイタケ大好き…………  ♪ ♪ ♪  いつまでも、いつまでも、室内に侵入してきた人達が踊り狂っている。春子に至っては、いつの間にやらウイスキーをラッパ飲みしている。  こいつらは何者? おそらく噂の椎茸過激派に違いない。  アンチ椎茸派は俺一人。それに対して周りには、屈強な肉体の男達と、両手に木刀よりも破壊力のありそうなホダ木を持ったオバサン達。とても勝ち目はない。  つまるところ、数という暴力によってマイノリティは駆逐されるのだ。それは世の理、あるいは民主主義とも言える。そんなことは、ネアンデルタール人が滅びクロマニヨン人が人類の祖となったように、原始の頃から連綿と繰り返されてきたことなのだ。数千年という食用の歴史を持つレンティヌラエドデス、即ち椎茸は、ある意味食材界の勝ち組とも言えよう。ああ、椎茸。されど椎茸。やがて椎茸は生殖細胞を辺り一面に撒き散らし、地球を、宇宙を、異世界をも埋め尽くす。そして菌糸による絶対支配が行なわれるのだ。これを人は、神と呼ぶ…… 「ねえねえ、陽ちゃん、一人で何をブツブツ言っているの?」  春子に耳元で声を掛けられ、我に返る。 「あ、いや……」 「陽ちゃんに大事な話があるの」 「へ?」  春子が手招きをすると、歌っていたオッサンと花笠を被ったオバサン一人が寄ってきて、俺の向かいに立った。  まだ、何かあるのかよ。そんなことを思った時、春子が言った。 「紹介するね、わたしのお父さんとお母さんです」  は?  周りにいる人達が騒ぐのをやめ、俺のことを見下ろす。俺のリアクションを待っているようだ。俺はとりあえず居住まいを正し、頭を下げた。  そして春子のご両親に対し、ゆっくりと告げた。 「あ、あの、春子さんを僕に下さい……」  マッシュルームカットのオッサン、もとい春子のお父さんが、焼かれた椎茸を何も言わず俺に差し出す。意味が分からない。食えってことだろうか。お父さんの表情を上目遣いにそっと窺うと、お父さんはクイッと顎を小さく振った。ああ、食えってことだな。致し方なく、椎茸を受け取って一口齧り、飲み込む。  すると大喝采が起こった。中には「椎茸! 椎茸! 椎茸!」と叫んでいる人もいる。その人々の騒ぎに合わせて再び音楽が流れる。 「さあ、陽ちゃんも一緒に歌おう!」  ♪シイタケ大好き! シイタケ大好き! シイタケ大好き…………    なんだこれ?  (了)
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