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いつだったかは思い出せないけれど、彼が説明してくれたことがある。魂についてを。
「鬼が解き放つ魂の中には、稀だが呪われているものもあってな」
「呪われてる……」
「そうだ。攻撃性がある。そういうものは、ある程度の処置を施してからでなければ成仏の儀式が行えない」
「戦うの?」
「ああ。……そんなに不安そうな顔をするな。滅多にないことだと言ってるだろう」
彼は、少女の心を見透かしたようにそう言って、おかしそうに笑う。それでも、この話をすることにはなにか意味があるのだろうと理解している少女は、胸中から不安を拭いきれずにいた。
そして、彼に連れられて行った先で。
呪われた魂に出会った。
視界が真っ暗になる。
液体が飛び散る音、体同士がぶつかるような音が静かな夜の街に響く。不協和音というべきおぞましい音に、耳を塞ぎたくなる。彼によれば、この音は力を使って一般人には聞こえないようになっているそうだけれど。
視界が暗い。見ると気分を悪くするかもしれないから、と言って彼は、少女に何も見えないようにする力を使ってくれた。少女は、やっぱり色々な力を持っていてすごいな、と感嘆の息を吐く。
心配はしていない。彼が強いだろうことは、纏う空気でわかる。
きっと勝つ、と無意識に信じていた。
そういえば、ぼんやりと周りが見えるようになっている、と気が付いて。次に目に飛び込んできたのは、血を流す彼の姿だった。
自分の口から出てきた「ひっ」という声があたりの空気を揺らす。
彼は振り向かなかった。ただ、ひたすら目の前の魂を相手に体を動かし続けている。
じきに、相手は大人しくなった。彼は血の流れる脇腹を押さえたまま、成仏の儀式を行う。やがて、服を残して魂が目の前から完全になくなると、彼はその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫!?」
少女が駆け寄ると、彼は緊急性を孕んだ声で告げた。
「戻るぞ」
「え?」
「家に、戻る。帝都の家に」
それだけ言うと、彼は少女を抱き上げて走り始めた。風を切る音を聞きながら、少女は恐る恐る、悲鳴のような声で尋ねる。
「死なない? ねえ、死なない!?」
「大丈夫だ。鬼でいる間は、不老不死と言ったろう。死には至らん。……ただ、そうだな。しばらく、お前とは会えなくなるな」
彼は無表情を装ってこそいるものの、言葉の端々から苦しいのだと容易に知れた。
「なんで? どうして会えないの? 嫌だ、そんなの」
「すまない……。だが、これだけの傷を治すには、眠る必要がある。体を休めれば、備わっている自己治癒力で回復するだろう。時間は必要だがな」
目の前が真っ暗になる。
彼が示した時間は、およそ一年だった。
「着いたぞ」
家の前に来ると、彼は少女を下ろして扉を開けた。それだけすると、その場に蹲ってしまう。掠れた声で小さく言った。
「悪いが、布団を敷いてくれるか」
頷くしかない。少女は涙が零れ落ちるのも構わず布団を敷き、玄関で座り込んでいる彼を寝室まで運んだ。
布団に横たわると、彼は傷口に布を当てた。彼がかつてないほど弱っているのが、傍目にもわかる。
彼は一言、呟くように少女に告げた。
「お前がこの先どこに行こうとも、目が覚めたら必ず迎えに行く。だから、待っていてくれるか」
「うん」
しゃくりあげながら答えると、彼は微かに微笑んだ。
「そうか、よかった」
そして目を閉じる。彼は、深い眠りの世界に飲まれていった。
少女はじきに、山奥の家に里子に出され、帝都を離れる。
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