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 鼻腔を掠める線香の臭いで目が覚めた。眠っている間に流れたらしい涙を拭う。  腕の上に置いていた頭を上げると、雨が降っていることに気が付いた。静かに、銀色の糸のように降る雨を横目に、ふうっと息を吐く。  走馬灯のように彼との思い出が流れたこの夢に、どういう感情を付与するのが正解なのかな、と考える。が、答えを出すのはそう簡単ではなさそうだった。  彼と別れてこの家に引き取られてから、ちょうど一年経つのが今日なのだ。もしかしたら来ないかもしれない、彼は少女のことなんて忘れてしまっているかもしれない。それでも、会いに来てくれるんじゃないかという僅かな期待があったから、ここで待つことは譲れなかった。  けれど、もう気付いている。  来るはずがない。  彼には少女がどこにいったのかなんて知る由もない。きっと、どこかで死んでいるだろうと思われて、それで終わりだ。  わかっていた。でも、思い出にしたくなかった。彼との暖かい記憶を、あそこで終わらせたくはなかった。  きっと彼は来ない。だから、せめて、少女がかつて彼の横にいたことだけでも憶えていてほしい。そう諦めながら、でも願掛けのように、この夜が明けるまでは待っていよう、と決意する。  雨が、少し強くなったようだった。雨の日は好きだな、と懐かしく思う。  なにを見ても彼が浮かんだ。  そうだ、雨の日は、一緒にお茶を飲みながら、少女が知らない話をたくさんしてくれた。あの時も、少女は雨が好きだった。  本当は、知っている。会いたいと思う、この気持ちが何なのか。でも、もう会えない人に対してそんなことを思っても仕方がないから、願うのだ。  早く、どこかへ行ってしまえ。胸中にゆらゆらと、落ち着きどころなく漂う恋心。  彼と過ごした帝都は、この空のようにどこまでも遠い。目を閉じると、布団に横たわる彼の顔が思い出されて、また涙が出た。  もう一度、少女は眠りの世界に落ちていく。
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