始まりの日。

4/4
前へ
/108ページ
次へ
そうだ、あの日の俺は確実にいつもよりは疲れていた。 だから、イケメンの彼に不覚にもドキッとしてしまったのは仕方のないことなんだ。 金曜日の夜19時。 いつも通りの時間に来た彼は、本当にいつも通りに、ビール2杯と海鮮チヂミに枝豆を注文して1時間ほどで会計に立ったんだ。 そして俺もいつも通りに彼から伝票を受け取って『2180円になります。』って言って、彼が銀色のトレーに2500円を置いて釣り銭を置き返した。 そこまではいつも通り、いたって変わらない日常。 だけど彼は、初めて俺に向かって話しかけたんだ。 「ねえ、この花、いつも置いてあったっけ?」 目の前には彼しかいなくて、彼の目の前にも俺しかいない。 だから、その言葉は必然的に俺にだけ言われているということだ。 いちいち考えなくても接客業の俺には息をするのと同じくらいに自然なこと。 しかも、難解な質問をされたわけでもない、何だったら常連さんがよく聞いてくるようなこと。 それなのに、俺の頭はフリーズしてしまって、思考停止状態だ。 「あ、ああ、これは店長の知り合いの方が持ってきてくれたんですよ。殺風景だからって、造花でも置いたらもっとお客さん来るんじゃないかって。」 「そうなんだね。この店によく似合ってる。じゃあ、ご馳走様でした。」 時間にして数秒、ただの雑談。 他のお客さんとはもっとくだらない話しなんてよくするのに、この時の俺は柄にもなく心臓がドキドキしすぎて呼吸まで荒くなっていたと思う。 彼が急に話しかけてきたから? 意外とハスキーな声だったから? 花に興味あるなんて思いもしなかったから? それとも、去り際にニコッと笑っていったから? 考えれば考えるほど、わからない。 だって、いくらイケメンでも相手は男だ。 意外性があったからって、同じ男にドキッとさせられるなんて、おかしいだろ。 やっぱり疲れてたんだ、俺は。 そう思い込ませていたのに、頭の中ではさっきのやり取りがずっとリピート再生されている。 いい加減にしてくれよ。
/108ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加