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ジギタリスは愉快そうに笑った。地下牢に反響したその声は上の見張りまで聞こえたかもしれない。
「バンラードでは日常茶飯事なんだよ。騙すも騙されるも、利用するのも利用されるのも、殺すのも殺されるのも。まあ、やり返すのはここを出てからだな」
「その機会はあなたにはありませんよ。明日には魔塔に移送します。が、このままだとあなたが封印拘束を解いてしまうかもしれないので誓約をしてもらいましょう」
「誓約? おれは他人に縛られるなんてごめんだ」
見た目は完全に縛られてるよ。
「誓約が不服なら、もう一度傷を負ってもらいましょう。イヌエンジュ、わたしが差し上げた魔法剣は持ってきていますか?」
「えっ……、あ、はい」
「どこでもいいので拘束を傷つけないよう適当に斬ってください」
イヌエンジュは「わかりました」と躊躇いがちにうなずき、小型ナイフを取り出した。鞘から抜くと闇属性の真っ黒な刀身が露わになる。エリの短剣と違って刃渡り十センチほどの小さなものだ。
あたしは牢屋の外に出て、入れ替わりに入ったイヌエンジュはノードの魔法陣を壊さないよう遠回りしてジギタリスに近づいた。
「ちょっ……待て、イヌエンジュ。おまえに他人が傷つけられるのか?」
「できます。ゾボルザック魔術師団にいたラフリクス元師団長はおれが闇属性の魔法剣で刺しました。駐屯地を全滅させようとしたから」
ジギタリスは信じられないというように目を丸くする。
「ラフリクスだと? あいつは上級だったはずだぞ」
「上級魔術師だからこそ闇属性魔力が致命傷になるんです。ジギタリスさんもすでに経験済みじゃないですか」
ジギタリスはイヌエンジュが本気だと悟ったらしく、諦めたように「あーぁ」とため息をついた。
「誓約する。誓約の縛りで魔術を封じるつもりなんだろうが、めまいがないだけマシだ。なんなら帝国に寝返ってもいい。大公からもシドからも捨てられたんなら、あいつらに義理立てする必要ないしな」
どれだけ修羅場をくぐり抜けて来たのか、この男は何があってもヘラヘラ笑っていそうな気がした。ただし、闇属性魔力に侵されなければだけど。
「あなたは有益な情報源ですので早いうちに安全な場所に移します。殺しはしませんが完全な自由はないと思ってください」
ノードは展開していた魔法陣を解除し、詠唱してこぶしサイズの小さな魔法陣を描いた。ジギタリスが「ゥイァーラ」だか「クリァールァ」みたいな言葉を発すると、魔法陣が彼の胸に吸い込まれていく。
「これでおれも魔塔主の犬か。人生何があるかわからんな」
「せいぜい大人しくしていてください」
ジギタリスは「はいはい」と軽く答え、イヌエンジュはホッとした顔で魔法剣を鞘にしまった。やはり人を傷つけるのは嫌だったようだ。
地下牢から出たあと、イヌエンジュはエリと一緒に支部に帰っていった。ノードは地下牢入り口の鍵を閉めるよう男爵へ使いをやり、ゲートで離れ家に戻る。空腹なんて忘れてたのに、階下から漂ってくる匂いにグゥとお腹が鳴った。
一階のリビングに顔を出すとゼンと魔獣二匹はすでに食事にありついている。2番地の夫妻はすでに帰ったらしい。
「温め直すのは魔術でできるから帰ってもらったんだ。パブの営業もあるだろうし」
ゼンは喋りながらもぐもぐしている。マリアンナに「殿下の前で品がない」と叱られ、それでも懲りずに「これ見て」と手のひらをあたしに向けた。パッと花のように火が灯り、それはまさに――、
「ガスコンロ!」
うっかり口にして慌てたけど、なぜかゼンは落ち着いている。
「皇女様には前に話したんですが、今考えてる調理魔法具『ガスコンロ』の炎です。熱効率を考えたらこの形がいいと思って。魔塔主様、いいアイデアだと思いませんか?」
ノードは「そうですね」と軽く流してテーブルについた。マリアンナはゼンがガスコンロを消すまで彼の手のひらを見ていた。
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