第十一話 三英雄アグラ

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第十一話 三英雄アグラ

現会長アルフレッドが誕生したその時には、すでにアグラ運送協会は存在していた。 協会の歴史はそれなりに長い。 とはいえ、協会を興した初代会長アグラが未だ風邪ひとつ引かず健在なのだ。 領邦や国の範囲で探せばそう珍しくはない、百年、二百年と血を継ぎ続ける貴族、老舗の商家などからは 運良く金を手にしただけの、ぽっと出の若輩者と蔑まれることもごく稀にある。 かつて黄金の鎧を身にまとい敵陣を暴れ回ったとされる成り上がり武将の逸話より、 短期間で金持ちになった者や家を、大陸では『成金』と呼ぶ。 アグラ運送協会が成金であるという意見を補強するかのように、協会長宅の応接室は豪華だ。 アグラやアルフレッド、協会に連なる者の一切に金銭を見せびらかす趣味がなくとも、 半ば公的な大組織であるアグラ運送協会の権威はどうしても内外に示す必要があり、 そのためその一室は、時に高位の貴族すらもが身をすくませる、一流の調度品によって見事に飾られている。 だが、一般的な建物のそれよりだいぶ大きな応接室の扉を開けたアズレッタの隣、 この部屋を初めて見るマリーが唖然とした表情を浮かべているのは、 そんな豪奢な内装に気圧されたからでは決してないのだろう。 応接室に居るマリー以外の人間――協会長アルフレッド、そしてその子アズレッタとアルベルトからしてみれば、 それは生まれた時からそばにあった当たり前であり、理解は容易でも共感はしにくい驚きであった。 部屋の話ではない。 見開かれたマリーの眼の先には、アグラ運送協会前会長、三英雄アグラの姿がある。 「……君が、ランスローの孫か」 アグラがつぶやく。 何なら年若い青年であるアルベルトのそれより低い、男のような声。 道を極めた人間の放つ気迫は、時にその人間を大きく見せるものだ。 ましてアグラはかつて魔王討伐を成し遂げた、当代における人類最強の戦士の一人。 今のマリーには、アグラの姿が人の数倍以上の巨躯を誇る巨人に見えているのではないだろうか。 何しろアズレッタの目にも、アグラの背丈は自身の倍近くに見えているのだから。 精神的な錯覚ではない。 実際にアグラの身体は、人間の倍は大きいのである。 三英雄の全員が魔法使いであるのは常識であり、行使する魔法の概要も、ある程度は知れ渡っている。 ガレオンの『戦神』、ランスローの『大軍』、そしてアグラの『巨人』である。 アグラは魔物を含めた生物全体で見ても屈指の体力と、その怪力を発揮するのに相応しいだけの人外の巨体を持つ。 魔法の中には、発動のするしないに魔法使いの意思が関わらないものが存在する。 特定の状況下でのみ使用できるもの。条件を満たせば勝手に効果を発揮してしまうもの。 そして、魔法使いがどれほど望もうと、魔法の発動が止められないもの。常に発動し続けてしまうもの。 アグラの『巨人』もその類だ。 彼女は常日頃から巨人である。何らかの条件で普通の人間の身体になれるわけではない。 人の域を外れて身体が大きく、相応以上に力も強い。 それだけと言えばそれだけの魔法である。 あるいはアグラが単に個体差で巨体に成長しただけの人間である可能性もなくはないのだろうが、 そんな線は切り捨ててしまって問題あるまい。 『"こんなのはおかしい"と思ったら、それは旧帝国のせいだ』 かつてアズレッタもマリーに語った、大陸では極めて一般的な物事の考え方だ。 応接室でアグラ一人が、そのまま王族との謁見にすら臨めるような本格的な礼装に身を包んでいる。 高い身分の女性が着るようなドレスではなく、半ば男装に近いジャケット姿。 マリー以外の全員が、アグラが女性的な衣装の類を好まないことを知っている。 そしてそれを知らないマリーも、彼女がスカートをはいてみたところで、まるで似合わないことを悟っているだろう。 厚い生地のジャケット越しにもはっきりとわかる、鍛えに鍛え抜かれた筋肉。 例えば腕だ。あまりにも太い。 決して太ってはいない一方、絶対に痩せてもいないマリーの腰よりも、アグラの腕は太い。 もちろん腕だけではない。 腰も、脚も、圧倒的な高身長をなお太ましく誤認させるほどに過剰に肥大化している。 ウェーブのかかった長髪は、地の色が銀であるために混じり始めた白髪が目立たない。 同じ太さの首に乗った頭、マリーを真っ直ぐ見据える鋭い瞳は、この場に居る血縁と同じ青色。 加齢から来るしわの刻まれた顔は顎先が広く角ばって、全体は整ってこそいるものの、どこまでも男性的だった。 今にもシャツのボタンを弾き飛ばしそうな大胸筋から、何かの肉腫のように丸く膨らんだ脂肪がなければ、 誰も彼女を彼女と認識するまい。 それと知らなければ、決して女性には見えない。 ただ女性の乳房が控えめにくっついているだけの、雄の巨人である。 「アグラ運送協会前会長、三英雄――ランスローの友。アグラだ」 「……Γ●Θ△です。Ξ△〈▼ΞΞ、から、来ました」 「マリーか。会えて嬉しいよ」 マリーたちが入室するや立ち上がっていたアグラは、マリーの言葉を聞いて感慨深げに目を細めた。 一方のマリーは何か力なく口角を上げていた。 緊張が過ぎて笑みに化けたのだろうか。アズレッタはそうなることを疑問には思わない。 やがてアグラが動いた。 マリーの頭より大きくごつい手を握手を求めて差し出し、そして言う。 「……Σ▼Ξ▼、Λ□、§▼、Ξ●±◆Θ□」 その場にいた誰もが驚いた。 アグラが口にした言葉が、大陸共通語ではなかったからだ。 聞き慣れない響き。アルフレッドもアルベルトも、その発言の内容を理解できない。 それはアズレッタも同様で、しかし彼女だけは気付いた。 この場においてマリーだけは、たった今驚いた理由が、自分たちとは違うのだろう。 今のは、マリーの故郷の言葉だ。 アズレッタは確信する。 ランスローの盟友たるアグラならば、ある程度彼の国の言葉を話せたとしても不思議ではない。 アズレッタにはあくまで意味不明な声としか認識できておらず、 今のがマリーが時折口にする彼女の母国語であるという証拠はないが、 この場においてその他の言語を話す理由は皆無だ。アズレッタの口元が緩む。 これに問題なく応じることができたのであれば、 マリーがランスローと同郷であること――異世界からの来訪者であることは、少なくともアグラの中では確定する。 ランスローの血縁である証明にはならないことをアルベルトは懸念していたが、 ひとたび異世界出身の事実を信じてもらえたならば、後はこちらのものだとアズレッタは思う。 アグラも、三英雄ガレオンも、ランスローの出身のことは家族にしか話さない。 誰にも信じてもらえないと知っているからだ。 実際、家族ですら本心から信じてはいなかった。アズレッタも例外ではない。 そしてそのことは、ランスローにも当てはまるに違いない。 マリーがどのような世界からやって来たのか、アズレッタには想像もつかないが、同じ人間が住まう世界である。 異世界転移などという馬鹿げた出来事が、そうそう一般的なものだとは思えないし、思いたくない。 マリー本人からして、いざこの世界に来るまでは、異世界の存在など信じていなかった節がある。 知れば誰もが頭の病を疑う、誰にも信じてもらえない真実―― そんなものを語れる相手がいるとしたなら、まずは家族であろう。 ならば大陸の言葉やアグラ運送協会、つまりはこの世界をある程度知っていたという事実が、 マリーとランスローが家族であることの証明になるはずだ。 「……良い、ですか?」 「ああ。Σ▼Ξ▼、Λ□、§▼、Ξ●±◆Θ□」 アズレッタには意味の分からない言葉を繰り返し、アグラはマリーへ握手を迫る。 マリーはしばし戸惑ったようにアグラの手と顔を見比べていたが、 やがて納得したように頷くと、おもむろに右の拳を引き絞った。 「マリー?」 行動の意図が読めず冷や汗を流したアズレッタの前で、 マリーは実に素人臭い、無駄に力の入った動きで振りかぶった拳を、 恐らくは彼女なりの全力で振り抜いてみせた。 ――ぱちん。 静寂の応接室に、乾いた音がやたら大きく響き渡る。 あろうことかマリーは、差し出され続けていたアグラの手の平に拳を打ち込んだのだ。 「――何、やって、な――何、何やってるんだ!?何やってるんだマリー!?」 マリー渾身の一撃を受けてなお微動だにしなかったアグラの腕を押し退け、アズレッタはアグラとマリーの間に割って入る。 血の気が引いていくのが自分でもわかった。 いざ本人を目の前にすると我慢ができなくなったのか。 マリーのランスローに対する恨みの念は、そこまで強いものだったのか。 「申し訳ありませんお婆さま!どうか落ち着いてください!これは何かの間違いです、マリーは――」 「大丈夫だよアズレッタ。私がやれと言ったんだ」 「は……?」 「アズ、さっきの、Σ▼Ξ▼、Λ□、§▼、Ξ●±◆Θ□、あー……『手、殴れ』、意味です」 今が初対面であるはずなのに、打ち合わせたかのように頷くアグラとマリー。 ひとり狼狽してみせたアズレッタがぽかんと口を開ける。 「ランスローは、自身の魔法――『大軍』で呼び出した兵に、故郷の言葉で指示を出していたからな……  共に戦場にいたせいだ、その手の言葉だけは覚えてしまったんだよ。  Ξ●±◆Θ□、Σ□Θ□、Σ▼Θ▼ф□」 「あー……『殴れ』『蹴れ』『殺せ』」 「……ああ、信じるよ。そもそも面影がある。  仮に今、私の態度だけを見て握手に及んだとして、それだけで偽者と断じはしなかったろうが……  こうも完璧にランスローの言葉を理解しているなら、信じるとも。  君は確かに異世界から来た。――ランスローの住む、異世界から」 そう言って、アグラはマリーの手を取った。 軽くひねるだけでへし折れそうなほどに大きさに差のある手を注意深く、しかししっかりと握り締める。 「マリー、よくぞ私の元に辿り着いてくれた」 そして唐突にその場にひざまずいた。 アグラの巨体がふいに膝を突くと、頑丈な石造りの床に毛足の長い絨毯が敷かれているというのに、 ずんと地響きがしたかのように錯覚してしまう。 「あ……」 「お婆さま……?」 やがて誰もがその行動の意図を理解する。 「よくぞ来てくれた……よくぞ……」 単に立っていられなくなったのだ。 ただでさえ誰もを震え上がらせる厳めしい顔をくしゃくしゃにして、アグラはぼろぼろと泣き出した。 マリーも、アズレッタも、アルベルトもアルフレッドも、そんな彼女にかける言葉を持たない。 * * * * * 「……では、信じていただけるのですか?マリーがランスローの孫娘と?」 「ああ、信じるとも」 ひとしきり泣いたアグラが落ち着くのを待ち、会話が始まる。 アズレッタとマリーが、アグラと長机を挟んで座り、向かい合っていた。 「あのゴーレム……デコトラについては、アルフレッドから聞いた。  マリー、君はあれを私の元に届けに来てくれたんだな」 マリーは無表情を崩さなかったが、アグラの言葉にアズレッタは動揺を隠し切れない。 「……父さま、何と説明したのです?いや、アルベルトか?」 「僕はほんのちょっと前にお婆さまと会って、ついさっき姉さまと一緒に入室したんだぞ。  何を説明する時間があるもんか」 「私も、お前に聞いた話と、お前たちがやってのけたことについて話しただけだ。  あのゴーレムの速度と積載量、『ススケムリ』での話や、『リュウコツダニ』は『カイヅカ』山の一件だな」 アルベルトは憮然とした顔で言い、銀髪を香油で丁寧に整えた、四十過ぎといった年頃の男――アルフレッドが引き継ぐ。 山村の被災支援から今日まで、十分に時間はあった。 アズレッタは話しても構わないことはすべてこの父親に伝えてあるし、父はすでにマリーとも顔見知りである。 そしてその『話しても構わないこと』の中に、 マリーがこの世界に送り込まれた目的は含まれていないはずだった。 デコトラはランスローが造り上げたものであること、 マリーはランスローの孫であり、デコトラの動かし方、動かす権限をランスローより得たことなどは確かに話したが、 肝心の『マリーが今、デコトラを所有している理由』については、アズレッタは意図的に話していない。 アグラは家族にランスローが異世界から来たことを話していたから、 その中でランスローが異世界に来た理由についても触れている。 何もない。 ランスローがこの大陸に訪れたのは、少なくとも彼の意思ではない。 彼は何の前触れもなく、ある日唐突に大陸に転移させられたのだ。 そもそも家族の誰もがまともに信じていなかったので、誰もが深く考えていなかったというのもあるが、 ある意味では信ぴょう性のある話とも言えるだろう。 わからないものはわからないと言った方が、かえって話に真実味が増すことがある。 どうせこの世界の恐らくは誰もが、異世界に行く方法など知らないのだ。 例えば、どこかの誰かが『異世界人を召喚する魔法』に覚醒し、そうとは知らずに誰かを呼び出した。 たまたまそれに巻き込まれたのが、ランスローだった。 どうせ誰も真相を知らないのだから、理由などその程度で良い。 『"こんなのはおかしい"と思ったら、それは旧帝国のせいだ』 かつてアズレッタもマリーに語った、大陸では極めて一般的な物事の考え方だ。 異世界など行こうと思って行ける場所ではないのだから、むしろ説得力がある。 だが、ランスローについては単なる偶然で片付けるにしても、 同様にマリーがここに来たのも偶然だとは、アズレッタは思っていない。 ランスローは常々、デコトラをこの世界に、アグラの元に送りたがっていた。 そしてマリーがこちらにやって来たのは、ランスローの死にほど近い時分であるらしい。 おまけに辿り着いて数日と経たず、アグラの孫であるアズレッタと遭遇している。 マリーにこちらの世界で動く術を身に付けさせるため、 仮にも自分の孫に遠慮なく体罰を与えているのだ。 ランスローの意思が狂気に近いものであったことは容易に想像がつく。 大方、できるものなら自分でデコトラをアグラに届けたかったに違いない。 だが彼は、何故自身が異世界に辿り着いたのかを知らない。察するに、元の世界に帰れた理由も知らないだろう。 アグラやガレオン、かつての仲間にデコトラを届けて、いったい何をしたかったのか―― 目的が何であれ、その願いが叶わないのはもはや確定的であった。叶える手段を知らないのだから。 ランスローはアグラやガレオンより年上だったと聞く。 己に残された時間の少なさに絶望し、狂い、マリーに悲願を押し付けた。 半ば八つ当たりに近い行為だったのだろう。 本気でマリーをこちらに送れるなど思っていなかったのではないか。 それでなくてどうして、実の孫娘の全身に傷跡を残すような真似ができようか? 後から聞いた話だが、マリーがこちらに飛ばされた際、 デコトラよりもマリーの近くに位置していたのにも関わらず、こちらに辿り着かなかった物品はたくさんあるそうだ。 例えば異世界に続く穴が開いて、マリーと周囲の道具がまとめてそこに落ちたと言ったような、単純な偶然ではない。 明らかにマリーとデコトラを――いや、デコトラと、それを動かすのに必要なマリーを、 何らかの意思が選択的にこの大陸に送り込んでいる。 そしてその何らかの意思が、ランスローの遺志と無関係であるという可能性を、 アズレッタはどうしても考慮することができなかった。 命を懸けさえすれば引き換えに奇跡を起こせるなどとは思わないが、 されど投じられた命が、世界の湖面に波紋ひとつ残せないのなら、そんな真実からは目を背けたい。 ランスローの狂気が、マリーをこの地に送った。 それを父や弟、親友ステファニーに伝えなかったのは、今後に不都合があるからだ。 マリーが大陸に送られた経緯については多分にアズレッタの感情論、想像が含まれるが、 ランスローがデコトラをアグラに届けようとしていたこと自体は紛れもない事実である。 そしてそれは、できることならマリーを自分の協力者として迎えたいアズレッタと、 デコトラをアズレッタのため役立てたいと――どうやらアズレッタ以上に強く――思っているらしいマリーの展望には都合が悪い。 デコトラの所有権を主張するのであれば、デコトラは『アグラに届けるための預かり物』でなく、 『偶然共に異世界に飛ばされてきた自分の物』の方が良いに決まっている。 だから、マリーがここにいる理由を、アズレッタは誰にも話さずにいた。 かつてのランスローと同じように、誰の意思が介入したわけでもなく、 たまたまこの世界に飛ばされてきただけの人間とするつもりであったのだ。 「まさにあれこそ、ランスローの――私たちの悲願の体現と言えるだろう。  世界すら別たれてなお、私たちの想いは同じであったのだ……不謹慎ではあるが、胸を熱くせずにはいられない」 そのはずが、何故かアグラはアズレッタが隠そうとした肝心要をすでに知っている様子である。 冷や汗でシャツが背中に貼りつく気持ち悪さにアズレッタが身じろぎした。 「あ……あの、お婆さま、話が見えませんが……」 「あれ、デコトラ、わたしのものです。アグラさん、届け物、違います」 一方でマリーの立ち振る舞いは普段とまるで変わらず、己が意見を主張する声も堂々としたものだ。 過度に緊張する必要はない。他でもない自分がそう伝えたとはいえ、 人間二人が肩車をしても及ばない背丈の女丈夫を相手に、まるで臆さず当初の予定通り行動するマリーを、 アズレッタは思わずとんでもない化け物を見る目で見てしまう。 「……それは、まさかとは思うが、アズレッタにそう言うよう言われたのか?」 「何の話?デコトラ、わたしのもの。あなたのもの、違う。わたしの話、これだけですね?」 身内であればこそ軽い冗談とわかる、それと知らなければ気分を損ねたとした映らない睨むようなアグラの視線すら、 マリーは無表情に真正面から受け止め、感情の動きを見せない。 これほどの度胸があって、何故にただ人間並みに大きいだけのカマキリ一匹にああも動揺してみせたのかと、 アズレッタはひとり心の中で首を傾げた。 「……ふむ、そうだな。順を追って話そう。  異世界の人間が、私を知っていて、デコトラ――あのようなものを持っていた時点で、  私にはそれがランスローに託されたものだとわかるのだ。まずは聞いて欲しい」 アグラが言い、マリーが頷く。アズレッタは二人の会話に取り残された思いだった。 事の動きを見守っていると、アグラはそんな孫娘をはじめ、黙っている家族を見渡して続ける。 「急ですまなかったが、それでもなるべく家族を集めたのは、これが運送協会の始まりにも関わる話だからだ。  私がアグラ運送協会を興した理由に深く関わる話になる。  伝えるにはちょうど良い機会だ。アズレッタ、アルベルト。君たちも聞いてくれ」 アズレッタは目を見開き、アルベルトは小さく肩を強張らせた。 唯一名を呼ばれなかったアルフレッドは特に何らかの反応をすることもなく、黙ってアグラの横顔を見ている。 少なくはない兄弟の中から協会長の後任として選ばれた男だ。 アグラが話そうとしている内容をすでに知っているに違いなかった。 アグラ運送協会が作られた理由。 アズレッタとしては、これまで考えたこともなかった話である。 アズレッタの中では、三英雄とはつまり人類最強の戦士だ。 その力を活かす場はやはり戦いの中であると信じている。 魔王を倒した後もさらなる戦場を求めたのだろう、 魔物の巣食う旧街道に入り浸る理由として、運び屋を始めたのだろうと勝手に思っていた。 同じ三英雄ガレオンは魔王討伐後、この広い領地を治める領主となったが、 それは彼がもともと――ごく狭い土地の代官の家系だったそうだが――貴族の出身であったのが大きい。 一方で平民の生まれであるというアグラは、戦士であり続けようとしたのだろうと。 「災害に対する、救助支援がしたかったのだ」 アグラがどこか遠い目をして言う。聞き取りやすい発音に短い言葉であったが、意味を噛み砕くにはやや時間がかかった。 「マリー、アズレッタ。先日君たちが行ったという、崖崩れに巻き込まれた山村へ迅速に駆けつけての救護活動。  ちょうど私たちがやりたかったことに近い。理想形だ」 「は……?」 「今やアグラ運送協会は多くの国、大半の領邦において、  何らかの災害に見舞われた土地への支援に密接に関わっている。  ……多くの者が『運送協会が大規模な運送業を営んでいたため』『公的な災害復興支援の一角を担うようになった』  そのように考えていることだろう」 「……僕もそのように考えていました。事実は違うと?」 アルベルトの言葉にアグラは頷いた。 「うむ。私の中ではずっと――運送協会を興したその時より、事実は逆だ。  私は『災害復興支援を担う組織を作るため』『大規模な運送業を志した』のだ。  魔王を倒した功績を存分に利用してな」 大仰に語られてはいるが、魔王とはその字面ほど諸悪の根源というわけではもちろんない。 それは単に、やたらと強い魔物の一個体であるに過ぎない。 魔王を倒しても、それは全ての人類が幸せに暮らせる未来が訪れるきっかけなどでは決してなく、 次の魔王が生まれるまで、魔王がいない頃に戻ると言うだけだ。 そして旧街道の魔物たちをはじめ、地震や火事、嵐に洪水、ごく稀に人間同士の戦争―― 魔王などいなくなったところで、なお世界はありとあらゆる災害に満ちあふれている。 「そういった災害に対し、迅速に的確な対策を取るための総合的な仕組み作りこそ、私の目標だった。  かつてガレオンと合意した妥協案でもある。  アグラ運送協会が公の支援に携わるようになった今、それはほぼ達成された」 アグラは少しの間だけ目を伏せ、そして開き、言った。 「かつて、守り忘れたものがある」
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