第三話 説明とお風呂

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第三話 説明とお風呂

「魔法かあ……一から説明するには旧帝国の話をしなければならないけれど……  そうだね、旧街道すら知らない君に話すにはちょうどいいかな?」 アズレッタが言うところのゴーレム、マリーが言うところのトラックは それまでよりだいぶゆっくりとした速度で、二人を乗せて街道の隅っこを走っていた。 『ススケムリ』の町に繋がる道路に入ったのだ。 ここまでの無人の道とは違い、馬車とすれ違い、旅人を追い越すようになっている。 「それ……魔法のこと、教えて、ください」 移動を再開して四半時、ずっと黙り込んでいたマリーはそう言った。 その表情はアズレッタの魔法を見た時のような怯えよりも、怒りの色合いが強い。 命懸けの戦いが仕事であるアズレッタが軽く気圧されるほどの眼光だった。 いったい魔法の何がまずかったのかと戸惑いながらも、アズレッタは促されるまま話し出した。 「時間はあるので話すが……聞き飽きたらそう言ってくれ。  これから話すことは、これだけ覚えていればいい。  『"こんなのはおかしい"と思ったら、それは旧帝国のせいだ』」 「旧帝国……?」 「ああ。昔そういう国があって、全部その国がやらかした。  ――それさえ覚えていれば、後は聞き流してくれてもたぶん問題ないと思う」 アズレッタが言ったのは、この世界のほぼすべての人間の共通認識だ。 勝手に押し付けられたか、望んで取り返したかの違いはあれ、 魔法も魔物もゴーレムも、すべて旧帝国の遺産である。 「ほら、あれ……見えるかな。北の空の向こうに、城の輪郭があるだろう」 「はい。何ですか、あれ?」 アズレッタの指した窓の左手、北の青空をキャンバスに、雲の絵の具で描いたような城がある。 城の絵はまるで本当にそこに城があるかのように精緻であったが、 その膝元に広がっているであろう城壁と市街は、霞む山並みに隠れるまでもなく、途中で薄く掻き消えている。 『実はあそこに城がある』と『たまたま城に見える雲』であれば、後者の方を信じたくなる光景だ。 だが大陸の歴史と常識においては、一応、真実は前者であるとされていた。 「千年前までこの大陸を――世界を支配していた統一国家の成れの果て。  旧帝国の四つの遺産のひとつ。蜃気楼の廃都。  帝政ロマルヘイムの都が、あそこにあったんだそうだ」 ロマルヘイム帝国は、およそ千年前まで確かに実在したとされる大国だ。 大陸で単に『旧帝国』と言えば、それはロマルヘイムを指す。 今の人類からはほとんど失われた技術である魔術の力をもって、 現代とは比べ物にならないほどの高度な繁栄を誇ったという。 「今となってはどこまで本当の話だったのかはわからないけど、  旧帝国人というのは、今の人間が思いつくような夢物語は、たいてい実現していたそうだよ。  当たり前のように空を飛んだり、言葉を介さず意思疎通をしたり――  私個人はだいぶ盛ってると思っているけどね。  ――ただ、そんな旧帝国にも、不可能はあったらしい」 実際に何をしたのかは、今の世には伝わっていない。 一説には、時の帝王が不老不死の肉体を求めたのだとか、 また別の説では、この大地を離れて空の向こう側を目指しただとか、いろいろと言われている。 だが、現代にあってはそこは重要ではない。 彼らは何かをやった。何かをやらかした。 その結果、ロマルヘイムはこの世界から消えた。 「ある日突然、各地に街道だけを残して主要な都市ごと、そこに住んでいた人々ごと消えたんだそうだ。  何をやったのか、何がやりたかったのか……もう誰にもわからない」 旧帝都ロマルヘイムの幻影は、大陸のどこにいようと、北の空の同じ位置に浮かんでいる。 それは夜空に浮かぶ月のように、離れれば近づいて来るし、追いかければ遠ざかる。 諦めずに幻影を追った冒険者は歴史上何人もいたが、 その大半が北の果ての海岸に立ち、水平線の向こうに浮かぶ都の幻影を見て心折れるのである。 たまに海の向こうまで都を目指す命知らずがいるものの、誰も生きて帰ってこない。 「何もかも旧帝国が滅んだせいだ。  旧帝国はありとあらゆるものを魔術で都合よく造り替えていたのに、  それがいきなり失われたものだから、必然、ありとあらゆるものが狂った。  魔術による改造生物――魔物は旧街道沿いを縄張りにして大陸の各地にあふれ返ったし、  人には魔法なんてわけのわからない力が備わるようになった」 今は失われた魔術の残滓を持って生まれた人間を、魔法使いとは呼ぶが、魔術師とは呼ばない。 旧帝国が滅んで割とすぐ、魔術は魔法と名を変えた。 この千年、人が意図的に魔法を習得した、習得させた前例は存在しない。 誰に対して、どのような手段を用いても、魔法使いが他人に自分の魔法を教えることはできなかった。 魔法使い同士であっても同じことだ。魔法の効果は人それぞれに異なる。 一見して同じことができる魔法であっても、魔法使い本人が認識している魔法の使用方法はたいてい異なるため、 それらは別種の魔法であると考えられている。 『魔法使いを生む方法は?』という質問に対し、 『生まれるまで産み続ける』と返答する古典的な笑い話が存在する。 つまり魔法使いになるためには魔法使いとして生まれてくるほかないのだが、 生まれた人間が魔法使いであるかどうかに、生まれる前の環境は関係がないらしい。 性別が男でも女でも、出身が北でも南でも、身分が貴族でも奴隷でも、 そんなものは一切考慮されず、魔法使いは生まれてくる。人の世に、たまに生まれてくる。 血縁に魔法使いがいるかどうかも例外ではない。 例えば三英雄は全員が強力な魔法使いであったが、複数人いるアグラの子は皆、魔法が使えない。 孫であっても、今生きている魔法使いはアズレッタ一人だ。 故人であればもう一人いる。 アズレッタの従兄妹は幼き日、『自分の頭部を爆発させる』魔法が発動して死んだという。 実際にそういう魔法だったのかはもはや確かめようがないが、 家族に見守られながら庭でボール遊びをしていたところ、何の前触れもなく頭蓋が弾け飛んで死んだそうなので、 そのような魔法に覚醒してしまったらしいと考えられている。 たまたま魔術の力を持って生まれ、偶然その使い方に気付き、運良く生き残れた場合、人は魔法使いになる。 かつて人が意図して行使する『技術』であったその力は、 今やこの世界に生きていく以上は従わざるを得ない『法則』の一つとなった。 ゆえに魔術は魔法と名を変えた。 リンゴが木から落ちるように、風呂から水があふれるように、 人は魔法を『そういうもの』と受け入れている。 受け入れざるを得ない。 「…………では、アズレッタの魔法は……あー、生まれつき?  誰か、教えた、覚えた、違う?」 「そうだよ。私に限らず、教えられて魔法を覚えた魔法使いは一人もいない。  皆例外なく生まれつきだ」 「他の魔法使い、アズレッタ、関係ない、ですか?他の魔法使い、アズレッタの仲間、違う?」 「運送協会には魔法使いもそれなりに所属している。そういう意味じゃ仲間ではあるけれど。  特別親しい人は、家族含めて数名……かな?」 マリーが突如としてアズレッタに怯え始めたのは、アズレッタがカマキリ型の魔物を倒してからだ。 単純に暴力を恐れた可能性もなくはないが、そもそも狼型の魔物と戦おうとしている際に出会った間柄である。 アズレッタに戦闘能力があることくらいは把握しているだろう。 彼女が恐怖したのは戦闘力それ自体ではなく、魔法。 アズレッタが魔法使いであることらしい。 そして彼女は真っ先に、アズレッタの魔法が、誰かに教わったものでないことを確認した。 ならば、今、返すべき答えは。 「繰り返すが、魔法は教わっても覚えられない。私の魔法は、この世の誰とも無関係に得た力だ。  私に君が考えるような、魔法使いの師や仲間はいない」 「……ほああああああ」 アズレッタが言うと、マリーは大袈裟なまでにため息をついて舵輪に倒れ込んだ。 ぱぱー、ぱーとラッパの音が鳴り響く。昨夜、狼型を威嚇したあの音だ。 見れば舵輪の中心は押し込めるように造られているらしく、連動してこの音が鳴るらしい。 「ありがとうございます。わたしの、心配、なくなるでした」 「ふむ、どういたしまして。  ……察するに、敵と呼べるような魔法使いの知り合いが居る、とかかな」 「はい……」 アズレッタの推測に、マリーが頷いた。 魔法を恐れ、魔法使いの仲間がいないことに安心するということは、 つまりそういうことなのだろうと考えた。その通りだったようだ。 当の魔法使いであるアズレッタからしても、わけのわからない力なのだ。 これが後天的に習得できるものだとして、それを教える師との関係は、浅薄なものにはなり得まい。 その正否はともかく、師を絶対的なものとする徒弟制度など珍しくもない。 ゴーレム技術などはその典型だ。 マリーは、アズレッタ個人にそんな意思がなくとも、 アズレッタの操る魔法から来るしがらみが、自身を害することを恐れたのだろう。 「そういうことなら、そこは安心して良いよ。ゴーレム技術とかとは違う」 「ゴーレム」 「ああ。私に言わせれば魔法より稀有な才能だと思うけど……  一応、学習と訓練で覚えられるものらしいからね。  あれは、師の言うことは絶対であると学ぶらしいからなあ」 「……その、ゴーレムは、黒い人、呼ぶ、できるですか?」 「は?」 「黒い人、です」 緩やかな左曲がりの道に合わせて舵を切りながら、マリーは続けた。 「体、全部、真っ黒、長さ、あー、背丈、大きい人、です。急いで、あー……急に。急に出ます。  急に出ます。して、急に消えます。指、ぱっちん、消えます」 マリーは片手で危なげなく舵輪を操作しつつ、 反対の手の中指の行く手を同じく親指で拒み、ぐぐっと力を込め、 やがてパチン、と器用に弾き鳴らした。 「そんな魔法、ゴーレム、知る、ないですか?」 「……話を正確に理解できたかどうか自信がないが……指を鳴らすと消える、黒い人?」 アズレッタは顎に拳を当て、ふむと息をつく。 「そんなことができるとしたら、魔法だ。  この世に指を鳴らすと消滅する物質がない以上、それはゴーレムではありえない」 アズレッタ自身はゴーレムを造れたりはしないが、それについて一般人以上の知識はある。 戦闘用のゴーレムというのは存在するので、仮想敵として対策を練った経験があるためだ。 ゴーレムとは、石や金属といった非生物を、魔術の力で生物のように動かす技術、 またその技術で造られた機械そのものを指す言葉である。 そもそも旧帝国が滅びてすぐの時点で、魔術の力を取り戻そうとする動きはあったらしい。 考えてみれば魔術によって栄華を極めた国家なのだから、生き残りが魔術を求めるのも当然だろう。 時が過ぎ、世代が変わり、旧帝国の文化自体は忘れられつつも、 魔術は魔法に姿を変え、人の世に魔法使いが絶えることはなかった。 その魔法の力に憧れ、我が物としようと試みた人間たちは、 数少ない旧帝国の遺跡や旧街道、魔物の身体構造を研究することで、 やがて物体に魔術の力を宿らせる手法を再開発した。 それらは後にゴーレム技術として体系化され、今に伝わる。 現代のゴーレムはほとんど例外なく、生物の形と動きを模している。 技術の発展に、魔物の身体構造が大きく参考とされたためだ。 そうして造られたゴーレムはその身体のあちこちに、 色とりどりの蛍光を放つ発光部を持ち、この光は魔力光と呼ばれている。 「それ自体は多くのゴーレムマスターが目指すところだから、  人型のゴーレム自体は珍しくないけど……それが真っ黒となると難しいと思う。  ゴーレムは基本的に体のあちこちが光るんだ。この荷車のゴーレムだってそうだろう。  その黒い人はどこか光っていなかったか?」 「いいえ。光る、隠す、できるますか?」 「弱める程度はともかく、全く光らせないのは神業らしい。可能性は低いと思うよ。  それにさっきも言った通り、ゴーレムは物体だ。  何かしら変形したりならまだしも、指を鳴らすだけで消えたりしない。  ――そういうことができる誰かに知り合いがいたなら、そいつは十中八九、魔法使いだ。  正直なところ、似た魔法を使う人間に心当たりはある――」 アズレッタの言葉に、マリーがぐるんと首を回す。 その目にまたどす黒い何かが宿ったのを感じ、アズレッタはごくりと唾を飲み込んだ。 魔物だろうと盗賊だろうと臆せず立ち向かうアズレッタが、思わずひるむほどの情念。 この少女の内に、いったい何が潜むのだろうか。 そもそもアズレッタの予想が正しければ、その魔法の使い手は、マリーの―― 「……すまない、心当たりはあるけど、その人はもう長いこと行方不明なんだ。  私も直接の面識はない」 嘘は言っていない。とはいえ言葉を濁したアズレッタだったが、 マリーはそうですか、と一言つぶやき、再び正面に向き直った。 アズレッタは内心で息をつく。 件の魔法使いに、マリーは明らかに敵意を抱いている。 不用意な発言は彼女の信用を失いかねない。 「わたし、そいつ、嫌いです。そいつ、わたし、嫌いです。  そいつの仲間、いらないです。会う、嫌です」 「君の宿敵というわけか」 「はい。わたしの国、魔法使い、そいつだけです。たぶん。  なので、アズレッタの魔法、わたし、驚くました。仲間、思いました」 「私や他の魔法使い、ゴーレムマスターが皆そいつの仲間かと思ったわけだな。  今まで魔法を見たことがなかったなら、それも無理はないか……」 人類の全体で見れば魔法使いの割合は少ない。 魔法がない世界が成り立たないとはアズレッタは思わなかった。 マリーが本当にこの世界の人間でないとして、彼女が元居た世界に魔法がなかったとしても、 それはこの世界と異世界の差異としては細やかなものだろう。 「アズレッタ、そいつの仲間、違いますか?本当に?」 「もちろん。さっきから言ってるように、魔法は余人に教えられない。  だから、魔法使いというだけでは誰の仲間にもならない。  仮にその黒い人型がゴーレムだとしたら師匠や弟子の繋がりはあるだろうけど、  ゴーレムは光るものだから、それも違う。  ――君の宿敵の仲間は、たぶん、まだ君の近くにはいないと思う」 だから今は安心して良いよ、とアズレッタは続けた。マリーはようやく笑みを見せてくれた。 実際にゴーレム技術を学んでいるゴーレムマスター達を除けば アズレッタは相当にゴーレムに詳しい部類の人間だった。 が、彼女ほどの知識はない一般人であっても、ゴーレムが光るというのは常識である。 極端かつ悪趣味な例では、本当にただ光るだけのゴーレムを照明として用いた王族の伝説もある。 あまりにも無駄であるため、信ぴょう性は低いが。 アズレッタが今乗っている、この得体の知れない乗り物をゴーレムと判断したのも、 これが夜闇の中、色鮮やかに輝いていたからに他ならない。 もし狼型に襲われていたあの時、このゴーレムが一切光らずに走って来たならば、 アズレッタはこれを人間が動かすゴーレムではなく、見たことのない新種の魔物と判断したかも知れなかった。 一見して生物に見えない魔物というのは案外多い。 マリーの手元を見る。 舵輪の向こう側には時計を上下に割ったような半円の仕掛けがあり、 アズレッタにも読める数字が書かれた目盛の間を、ぼんやり光る針が行ったり来たりしている。 どうもゴーレムの速度に連動して動いているらしく、それは速度計に間違いないだろう。 一般的ではないが、風車に向かい風を受けて動く馬車用の速度計を見たことがあった。 昼間なので気にしていなかったが、思えばこのゴーレムはこの速度計以外、今は特に光っていない気がする。 あるいはこうしてゴーレムの中にいるから、外側が光っていることに気付けないだけだろうか。 「ゴーレムは光る。  だから私はこの引かれずとも走る荷車をゴーレムだと判断したし、  生き物の形をしていないことに驚いたんだ。  普通のゴーレムマスターなら、馬か何かのゴーレムを作って、それに馬車を引かせる」 「わたし、これ、ゴーレム、違う、思うでした。  これ、Λ▼Θ●Λ◆Σ◆です。わたしの国……故郷、これの仲間、いっぱい走るます。  ひとりでに車……勝手に……あー、『自動車』です」 「自ら動く車とは、また大きく出たね。君が乗らねば走らないだろうに」 「はい。なのでこれ、ゴーレム違う、言うました……言いました。  でも、今、わたし、これ、ゴーレム……今、思うます。思います。  アズレッタの話、聞いて、そう思いますでした。  このΛ▼Θ●Λ◆Σ◆、わたしの祖父、作りました。普通の自動車、違います。  魔力光、飾り、思いますた。違うでした」 「ああ、わかるよ。確かに飾りとしてもカッコいいものな」 「え?」 「え?」 ふいに訪れた沈黙。 どるるるるるるる。ゴーレムの低い駆動音だけが二人の間を支配する。 「…………まあ、いったん置いておこう。  これはマリーの祖父が造った、その『トラック』のゴーレムというわけか」 「はい」 「今話した通り、普通のゴーレムは生き物を真似て造られるんだ。  そしてそのほとんどが、基本的に能力自体は元にした生き物より劣る。  馬のゴーレムを作っても、馬より速くは走れない。  でも体力に関してはその限りじゃないし、ゴーレムマスターの命令は細かく聞けるから、  完全に生き物の馬の下位互換とはならないし、ゴーレムならではの利点もある」 そのための手段は様々だが、ゴーレムは基本的に造った人間の命令を受けて動くので、 ゴーレムの使役に関して、その製造者の存在は非常に重要である。 製造者および操作者を、特にゴーレムマスターと呼称して区別するのはそのためだ。 「だからこのトラックのゴーレムは……一言で言えば、目立つ。凄く。  それは今となっては、説明するまでもないだろうけど」 アズレッタが言い、マリーが頷いた。 これまで街道をすれ違った旅人たちは、ひとりの例外もなくこのトラックのゴーレムに驚きの反応を示す。 マリーは荷馬車やロバを追い抜くたびに窓越しにぺこぺこ頭を下げているし、 あんぐり口を開けて立ち尽くした歩行者に、アズレッタが苦笑したのも一度や二度ではない。 無理やりトラックのゴーレムを停止させようと試みた人間がここまで皆無であったことを アズレッタは奇跡とさえ思っていた。 「形も不思議だし、何より性能は圧倒的だ。  普通の人なら私程度の知識も持っていないから『珍しいゴーレム』で済むだろうけど、  ちょっとゴーレム技術をかじった人間なら間違いなく興味を持つだろう。  最悪、君をゴーレムマスターだと判断して、身柄をどうこうしようとする可能性だってある」 ゴーレムと魔法の最も大きな相違点は、技術として他人に継承できるか否かだ。 ゴーレムの製造は簡単ではない。 俗に『この大地が球体であることに気付けるような』と例えられる感性、 『その大きさを机上の計算で求めるような』と形容される頭脳が前提となり、 そこに手先の器用さ、豊富な知識、過酷な訓練、長い時間が必要とされる。 が、後天的な習得ができない魔法と異なって、人がゴーレムマスターとなることは、決して不可能ではない。 最悪自身にゴーレムを造る才能がなくとも、誰かに代わりにゴーレムを造ってもらうことだってできるのだ。 それは大抵、尋常でない対価と引き換えとなるが、魔法の習得よりはよほど可能性がある。 ゆえに、高性能なゴーレムを造ることができるゴーレムマスターは、権力に重用される。 アグラ運送協会にも、ゴーレムに荷車を引かせる運び屋が何人かいる。 どの者もそれなりに厚遇を受けている。 そのような知識ある者が、このトラックのゴーレム、そのゴーレムマスターであるマリーを知ったなら。 「君のためを思って言う。現状が落ち着くまでは、なるべく私のそばを離れるな。  このトラックのゴーレムには、相応のリスクを冒すだけの価値がある。  馬鹿なことを考える者も出てくるだろう」 マリーは緊張した面持ちで頷いた。 「――怖がらせたようですまないね。  だがそれだけ、このトラックのゴーレムは凄いんだ。そして、それを動かす君も」 「わたし、これ、造った、違う。動かす、できる、だけ」 「それが凄いことなんだよ、自覚しておいた方がいい。  このトラックのゴーレムは――『トラックのゴーレム』って、長いな。  何か名前はないのかな?ゴーレムに名前を付けるゴーレムマスターは多いよ」 「名前?ないです……?」 「じゃあ、トラックで良いか?他に何か呼び名はあったりするのかな」 「呼び名……Λ▼Θ●Λ◆Σ◆、Π●ΞΞΨ◆Σ●●」 「ダンプカー?」 「はい。後ろ、屋根、ない、呼びます。あとは……Π□Σ▼Λ▼Θ●?」 「デコトラ?……ふむ、いい響きだなあ。意味は知らないけど、カッコいい」 「え?」 「え?」 ふいに訪れた沈黙。 どるるるるるるる。ゴーレムの低い駆動音だけが二人の間を支配する。 * * * * * 緩やかだが長い登り坂を抜けると、眼下に石積みの外壁で覆われた町が見えてくる。 町のあちこちから、かすかに灰色の混じった白い煙が上がっている。 『ススケムリ』の町だ。 「町が見えた。本当なら真っ先に報酬をもらって、  体を洗って食べ歩きにでも繰り出したいところなんだけど……  これから私たちは、外壁を迂回して代官の別宅に向かう」 「町、入らないですか?」 「ああ。私の仲間が何事もなく夜通し走ったなら、もう薬は代官の別宅に届いているはず。  無事を確認するには、目的地に直接出向いた方が早い」 薬を求める依頼人――『ススケムリ』を治める代官は、 難病の娘の静養のため、自身の住む屋敷とは別に、町から少し離れた土地に別宅を持っている。 もともと薬の運び先もその別宅であった。 二人が出発したのは昼過ぎであり、かつそのスタート位置は アズレッタら運送協会が本来通るはずだったルートを大きく外れていた。 デコトラがいかに常識外れの高速移動を可能とするとはいえ、先行した馬車を追い抜くには至らない。 アズレッタと別れて後、仲間たちが最短ルートを夜通し駆け抜けたのであれば、 薬はとっくにそれを必要とする少女の元へ届いているはずだった。 「デコトラを不用意に町に近づけても、大騒ぎになるだろうしね。  どういう結果が待ち受けているかはわからないけど、  いったん別宅に停めさせてもらおう。大丈夫、代官は信用できる人だ」 「はい、わかりました」 頷くマリーに力ない笑みを向け、アズレッタは銀縁の眼鏡の位置を直す。 目的地が近付くにつれ、どうしても不安が強くなっていく。 昨日の夜、狼型の魔物たちを相手に『不幸は重なる』と吐き捨てた。 そもそものきっかけ、あのような場所で鬼型に出くわしたのが相当のイレギュラーだ、 このまますんなり仕事が終わるだろうかと、嫌な予感ばかりが胸の中で大きくなる。 だが、あの鬼型の襲撃がなければ、こうしてマリーに出会うこともなかっただろうと考えると複雑だ。 自分を幸福な人間だと思っているアズレッタだが、その運にはもちろん波がある。 果たして今の自分は、幸運な流れの中にいるのか、それとも不幸に呑まれているのか。 「――大丈夫、です」 眉間にしわを寄せてうつむいているところへ、そう声をかけてきたのがマリーだった。 「仲間の人、きっと、無事、です。仕事、上手く行くます」 真剣な顔でそう言ってくれる。根拠はないのだろうが、誰かに励ましてもらえるだけで心が楽になった。 「……そうだな、きっと大丈夫だ。仲間たちは皆、優秀な戦士と運び手だ。  ありがとう、マリー」 「どういたしまして」 アズレッタは微笑んだ。先の空元気とは違う、心からの笑顔だった。 マリーがやや頬を赤らめ、正面に向き直って舵を切る。 「ああそうだ、きっと上手く行く。そうしたら私は報酬をもらって、今回の仕事は終わりだ。  そうだな、仕事が終わったらぱーっと遊ぼう。  良かったら付き合ってくれないかな?  『ススケムリ』は炭が採れるから、煮込み料理が美味しいし、風呂が安い」 「ふろ……お風呂!」 「お?食いついたね。そう、お風呂。  町の公衆浴場も広くて楽しいけど……  仕事が上手く行っていれば、代官が別宅の風呂場を使わせてくれるかも。  仲間に女性は居ないから、そうなれば大浴場が二人で貸し切りだ。  旅の疲れを洗い流そうじゃないか」 「はい!」 無理にでも楽しいことを考え、口に出し、胸のもやもやを押し流そうとする。 大丈夫だ。きっと上手く行く。 仲間は皆無事でいるし、仕事は上手く行って、代官の娘も快方に向かう。 アズレッタはそう自分に言い聞かせた。 その通りとなった。 * * * * * 「風呂だ!」 「お風呂!」 勝手知ったる他人の家、別宅を維持する兵士や使用人向けの大浴場の扉を、 アズレッタとマリーはまるで遠慮せず勢いよく開いた。 アズレッタは手拭いの他は一糸まとわぬ姿であったが、材質が繊維でないものは身に付けている。 具体的には眼鏡とアクセサリーだ。 アズレッタの視力は眼鏡がなくとも生活に支障はなく、そのため彼女は逆に眼鏡に気を遣わない。 普段は服の上から身に付ける白金の腕輪と足輪は、わざわざ服を脱いでからはめ直した。 それなりに高価な品であることもあるが、その主目的は護身用である。 いざという時はこの装身具に『金属操作』の魔法をかけ、殴るなり蹴るなりするためだ。 「さあ、さっさと体を洗って湯船に浸かろう……  シャンプー……髪を洗うのは右の容器だから、石鹸で髪を洗うなよ」 「わかりました。シャンプー、わかります」 石造りの浴場では、広い湯船がほかほかと湯気を上げている。 裸のアズレッタがだいぶ早足でぺたぺた洗い場に向かい、 同じく服を着ていないマリーがいそいそとそれに続く。 結局、アズレッタが懸念していたようなことは何も起こらなかった。 「止まれ!と、止まれー!」 別宅の門前。よく磨かれた鎧に身を包んだ別宅の門番たちが、血相を変えて駆け寄ってくる。 アズレッタの予想通りの反応であった。 デコトラは人が歩くほどの速度にまでそのスピードを落としているが、 例え完全に停止していたとしても、何も知らない人間は驚くだろう。 「驚かせて申し訳ありません!アグラ運送協会です!」 扉を開け、助手席というらしい左側の席からひらりと飛び降り、 まだ距離のある門番たちにも聞こえるよう、アズレッタは大声で言った。 デコトラは近付けさせない。助手席に対して運転席という右側の席のマリーに手だけで止まれと指示を出すと、 マリーはそれを微妙に勘違いして受け取り、デコトラをするすると後ろに下がらせた。 デコトラが後ろに向かって走った事実にアズレッタは少なからず衝撃を受けたが、 今はそれよりも門番への対応だ。 アズレッタは胸元から一級衛士の身分証明、色石で飾られた首飾りを取り出しつつ、声を張る。 「アグラ運送協会です!お嬢様へのお薬の件で伺いました!」 「アズレッタさん!?無事だったのか!」 実力に加えて三英雄の孫という生まれもあり、アズレッタは一級衛士の中でも屈指の有名人であったが、 この門番らがアズレッタの顔と名前を知っていたのは、単に面識があるからだった。 当代の『ススケムリ』代官は政治的な手腕、人柄ともに誰からも高評価を受ける有能な人物であるが、 良くも悪くも体の弱い一人娘を溺愛していた。 彼女に与える薬の輸送の護衛には、私財を投げ打って一級衛士を雇っている。 代官に割と何度も雇われたアズレッタは、この別邸を守る兵の半数程度とは顔見知りだった。 「良かった、大丈夫そうだな……鬼型相手に時間稼ぎをしたそうじゃないか、心配していたんだ」 「あの車は何だ……?ゴーレム?」 「道中で偶然知り合ったゴーレムマスターのものです。  厚意でここまで乗せてもらいました。  ――私の話を知っているということは、皆はここに来たのですね?」 アズレッタと話しながらも、門番たちの視線はちらちらとその背後、 停止状態にありながらも低く鳴動するデコトラの方へと向けられている。 恐らくは、その中でこちらを見守るマリーにも。 門番としても人としても無理からぬことであろうとは思うが、 アズレッタは門番たちの好奇心を適当に遮って、目下最大の懸念について尋ねる。 「お薬は、届きましたか?お嬢様の容体は……」 門番は一瞬、沈黙した。一瞬だけだった。すぐに白い歯を剥き出して笑い、 「――ああ、大丈夫だ!明け方に届いたそうだよ!  あれから一日も経っていないというのに、もうわずかながら回復の兆しがお見えだ!  このまま適切に薬を投与されたなら、  今度こそお嬢様の病は完治するであろうと、お医者様が話していた!」 「――そう、ですか。もう大丈夫ですか」 アズレッタが言った。ため息とともに口にした言葉を自分の耳でよく聴いて確かめ、噛み締める。 「そうですか……!」 整った顔をくしゃりと歪め、アズレッタはぐっと両拳を握った。 「私が運送協会で剣を振るのは、こういう仕事のためなんだ」 桶の湯で身体の泡を流し、アズレッタが笑う。 仲間たちはアズレッタ捜索の準備を整えるため、今は町にいるそうだ。 運送協会の拠点はもちろん『ススケムリ』にもあるので、連絡を取るのは容易である。 別宅にいた代官が当然のように人を向かわせてくれた。 夜にはこの別宅で慰労会を開いてくれるという。 依頼人から過度の歓待を受けることに対し、アグラ運送協会は決して良い顔をしないが、 一方でそれは厳密なルールというわけでもない、状況次第でどうとでも扱われる細やかな方針である。 仕事に対してある程度自身の裁量が認められる一級衛士であればなおさらだ。 宴会まで体を休めて欲しいと言われ、アズレッタが言い出すまでもなく風呂場を貸してもらい、今に至る。 「もっと有名になりたい。大勢の人からちやほやされたい。  それも剣と魔法で、自分の強さで。私の力を、大陸中の人から認めてもらいたい。  でも、そのために道行く人に片っ端から喧嘩を売って、辻斬りとして最強を目指すのも違うだろう?  私が強くなって、英雄を目指す過程で、多くの人が笑ってくれたら良いと思う。  ……自分が人を救ったことを実感するのは、何度経験してもたまらない」 「立派、思います」 名誉よりも報酬を重視する性質の同僚や、協会の幹部候補であるアズレッタの弟などは、 これを語ると何とも微妙な顔をしたものであるが、 アズレッタの熱っぽい演説をマリーは微笑んで聞き、頷いた。 そんな調子だから、アズレッタはますます気を良くしてしまう。 「ありがとう!風呂好きに悪い人はいないな!  お礼に背中でも流そうか!」 「え!?あ、いや、わたし……わたし、は……」 アズレッタの申し出にマリーはたっぷりと沈黙して、やがて 「……お願いします……!」 「受けるのか」 力強く頷いた。 ぱっと見てそれとわかるほどに顔が赤くなっている。恥ずかしがりなのかも知れない。 「別に無理にとは言わないけど――」 「いえ、ぜひ!お願いします!」 その割に食いついてきたのは気になるが。 よその地方からやって来た旅人には、一週間くらい体を洗わない者もたまにいるが、 アズレッタは入浴文化の行き届いた領都生まれの領都育ちであり、 また単純に風呂好きでもあった。理由がなければ毎日入る。 「思えばいちいち浸かれるほどの湯を沸かすなどとは贅沢な話だが……  それを意識させないでくれる『ススケムリ』には、感謝しないわけにはいかないな」 軽く結い上げた銀髪の上に手拭いを乗せ、肩まで湯に漬かってぼんやり虚空を見つめていたアズレッタが言った。 その隣で気持ち良さそうに足を伸ばしていたマリーが、アズレッタの方へ顔を向ける。 「『ススケムリ』……この町、でしたか?」 「ああ。この辺りには炭型の魔物が出るんだ」 「炭……?」 「こう……手に収まるか収まらないかくらいの木炭が、  人の頭くらいの球体に固まっていて、真ん中に一つ目がある。  目のついた炭の塊」 「……変、です」 「確かに変だが、実際そういうのがいるんだよ、この辺には。  油断してると体当たりされて、複数匹がかりで動きを抑え込まれる。  で、そこで自ら発火して洒落にならない大火傷をさせてくるんだ。  ――でもまあ、これもカマキリ型と同じ、そんなに強い魔物じゃない」 こちらから火を点けてやるとよく燃える。自発的に火が点いた場合も最終的に灰になる。 そしてわざわざそんなことをしなくとも、思いきり叩くか何かして、一つ目を潰してやれば死ぬ。 「火が点く前に上手いこと倒して、何の役にも立たない目玉を取り除いてやれば――  後にはバケツ一杯の量がある炭が残されるわけだ。  そんなに質が良い炭ではないのだけれど、木を蒸したり石炭を拾うよりよほど楽」 「なるほど……炭、火、たくさん使える、ですね」 「うん。単価は安いけど安定して金になるから、  駆け出しの傭兵が炭型を倒して食い扶持を稼いだりする」 「へえ……」 旧帝国に入浴の文化があったかは知らないが、あろうとなかろうと同じこと。 いつの時代も、この付近で炭型の魔物と戦った人間は、相応に身体が汚れただろう。何せ相手は炭の塊だ。 汚れた体を洗う必要があり、手元には大量の炭。 それは湯に漬かる習慣も生まれようというものだとアズレッタは思う。 『ススケムリ』において炭型の魔物から奪った炭は、入浴という風習とともに領内全域に広まったのだ。 浸かるために湯を沸かした最初の偉大な罰当たりに思いを馳せた後、 「さて」 アズレッタはマリーへ体ごと向き直った。 水面が波打って歪ませるマリーの身体を見た。 なかなか男受けのする女体だと思う。 あの襟の大きな紫の服を着ているときは分かりづらかったが、 筋張ったアズレッタの肉体と比較すると柔らかなボリュームがある。 太っているとは言い難いが、間違っても細くはない。抱き心地は良さそうだ。 顔もこの辺りの人間とは大きく異なる造りではあるが、決して整っていないでもなく、 あとはもう少し年齢を重ねて色気がついてくれば、世の男性は放っておかないのではなかろうか。 が、アズレッタは別に性的興味や悪ふざけでマリーの裸を観察しているわけではない。 どうも自分は色恋そのものに興味が薄い性分らしいとアズレッタは思っている。 これまで誰かに恋い焦がれたことはないし、その手の話を嫌悪も好みもしない。 「な、何ですか……?」 マリーが困ったように笑い、やや体を引く。 「いや、すまない。君が聞けば不快に思うようなことを考えていた」 「へ……!?それは、その、あー……つまり……?」 「その傷、誰に殴られた?」 ばしゃあ。派手に水しぶきを上げて、マリーが両腕で自分の身体を隠す。 それは完治自体はだいぶ前にしているようで、注意しなければ気付かない程度には薄いものであったが、 これまでの人生の多くを戦いに費やしてきたアズレッタには、それが何なのかわかってしまう。 「故郷に未練がないと言っても、同意なく連れて来られた異国の地だ。  一度は元居た国に帰すのが幸せかとも考えたのだけど……  その身体を見てしまうと、やや安直だったように思う」 マリーの身体には非常にうっすらと、しかし無数のあざがあった。 恐らくは他の人間から受けた打撲の痕、内出血の名残だ。 「……何度も言うが君は私の命の恩人だ。  君に危機が迫っているなら、私はそれを何とかしてあげたいと思う」 明らかに次に話す言葉を選んでいるマリーへ、アズレッタはすっと右手を差し出した。 何となく彼女の出自については察しがついている。 詳しい話はのんびり聞き出せば良いと思っていた。 だが、仮にも戦闘能力のないマリーが、こうも誰かに殴られるような事情があるというなら話は別だ。 「今後の話をしよう。君の力になりたい」
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