父と乾杯

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 父のクシャッとなる笑顔は子どもの頃は想像がつかなかった。  父は警察官で地域の剣道教室のドンである。私は警察の道にも剣道の道にも進まなかったが、それなりに厳しく育てられたつもりである。  靴のカカトをつぶしてはいけない。  箸の持ち方は正しくなくてはいけない。  ちゃぶ台であぐらなんて許されない。  返事は如何なるときも元気よくしなくてはいけない。  他人より厳しく育てられたうえに、私の進路にまで口うるさく文句を言うものだから、いつしか私は父と口を利かなくなってしまった。  そんな私が、この夏の夜に、一緒にビールを飲んでいる。  「警部、うらやましいですなぁ。」  「はっはっは〜。コイツは俺のあとは継がなかったが、夜のほうは付き合ってくれるんだよ。はっはっは〜。」  「ちょっと、お父さん!」  父と居酒屋に行くと、たいがい仕事の関係者と鉢合わせ、私と飲んでいることを自慢される。他の人にとっては「娘と酒を呑む」ということが、とてつもなくうらやましいらしい。  いつもは、ヘベレケになった父をなんとかタクシーに乗せて、ワンメーターの自宅まで帰るのだが、今日は2人とも歩いて帰りたい気分だった。  「2人で歩くなんて、久しぶりだね。」  「そうだな。幼稚園の肝試し以来か?」  私はほろ酔い程度で普通に歩いていた。父は酒には相当強いのだが、その父が、若干千鳥足になるほどに酔っていた。  「さて、酔いを覚まして、飲み直すぞ!」  思えば、酔っていたからこそ、ここまで歩いてこれたのかも知れない。  「ただいま」  家につくと、まだ23時台だった。今日はまだ終わっていない。息をつく前に、私は「二次会」の支度をする。  コップを出し、おちょこを出し、皿と箸と、冷蔵庫にしまってある茄子の煮浸しを取り出し、レンジで温める。  (よかった。まだ腐っていない。)  私の好物は茄子だ。しかも、母が作る茄子の煮浸しが大好物だ。昔、茄子が食べられなかった私になんとか美味しく食べてもらおうと作ってくれたのが煮浸しだった。  小学生で茄子を克服させてくれたのも煮浸し。中学生で初失恋の傷みをうめてくれたのも煮浸し。高校生で父との仲を取り持ってくれたのも煮浸しだった。  どんなに嫌いでも、汚い言葉を言い合っても、「煮浸し美味しいね」で家族に戻れた。そんな煮浸しが私の家族の象徴だった。  大学生で実家を離れると、しばらく煮浸しを食べられない日々が続いた。それでも、帰省して食べる煮浸しはやっぱり家族の象徴だ。  社会に出て、「煮浸しの作り方、教えて」とお願いしたのは先月だった。初めて作った割には美味しかったが、何かが欠けていた。食べた母の「あとは、お父さんを思う気持ちだね」という声が、今もずっと、頭を駆けまわっている。  私は今日、もう一度、茄子の煮浸しを作った。こんな日が来るなんて、高校生のころは想像つかなかったけど、父を思って作った。私の煮浸しを母の煮浸しの隣に並べる。  「こっちがおまえだろ。」  父が指さす青い皿の煮浸しは正しく(まさしく)私が作った煮浸しだった。  「まだまだだな。」  そうですか。まだまだって? 私の料理の腕前ですか? 私が父を思う気持ちですか!? 心の中で父をののしるのも敬語になってしまう。そのくらい私の中で父は厳格な存在だ。父を思うほど、目は潤んでしまう。  「俺が母さんを思う気持ちさ。」  父はテーブルに置いた額縁の中の母を見つめた。その目は優しく、私なんかより盛大に、潤んでいた。  「これ、食べたら、母さんの手料理、なくなっちゃうな。」  「本当はまだ作ってくれるんじゃなかったのか?」  「コイツはまだまだおまえに及ばないんだぞ。」  父はポツリポツリ、写真の母に語りかけた。  「母さん。おまえの娘は立派だよ。」  「こんな、こんな弱っちくなった俺にちゃんと料理を出してくれるよ。」  「それに晩酌に付き合ってくれる、できた娘だよ。」  「ありがとうな。」  父は写真の母に、そして今や母の席に座る私にさかずきを持ち上げた。  さっきまで温かかった母の煮浸しが急に冷えてしまった。  「おまえが作った煮浸しも、美味いな。」  父は顔をクシャッとさせて、無理に笑っていた。  こんな顔、高校生の私には想像できなかった。  母の初盆。  父と娘だけで過ごす初めての夜だった。
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