家族という名の

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今頃になって、書物ときたら、 他人ではなく自分に期待しようと、言う。 始めるのは幾つになってもでも遅くない、と 励ます。 所詮、絵空事の羅列でしかない、名言たち。 読書なんて、何の役に立つの?と、 ニーチェの名言集を放り投げた。 ポップなミュージックは耳障り。 孤独という言葉は、スタイリッシュですらある、 アーティストという名の、才能とタイミングに 恵まれた人間達が、使い過ぎたせいで。 ところが、更年期に差し掛かった平凡な主婦の 孤独の叫びに、誰が耳を貸すと言うんだろう。 視野が狭いと言われたって、当たり前だ。 ほぼ半径2kmで20年余り、生きてきたんだもの。 とにかく今まで、この私が脇目も振らず、 アンタらに尽くして貢いだものをちゃんと返せー! と叫ぶ代わりに、キッチンで野菜をぶった斬って いる。 私が差し出したものは、遠慮なく受け取っておいて、 その(ザマ)は何なのよ? 旦那も一人息子も、たったひとつの挫折を 引き摺って篭もり続けるなんて、そんな未来は、 想定していなかった。 時代や環境のせいにしないでよ! 羽振りの良い時、プライドって言葉をよく 使っていた夫だが、たぶん あんたのプライドの定義は薄っぺらいのよ、 そんな叫びは胸に押し込めて、毎日、 この家を彷徨う、亡霊達に ひたすら食事を提供し続けている私だ。 かろうじて正常な佇まいを演出し、 健全を担う役割をこうしてまた、否応なく 押し付けられているのだと、苦々しく思う。 現実は、曲でもなければ、ドラマでもない。 どうにかして自分の力で、 この惨めさから脱出しなければならない、と 野菜だか何だか、ぶった斬った後の 激しく汁が飛び散っている、キッチンを ふと我に返って他人事のように眺めた。 久しぶりに運動した後みたいな、爽快感を覚えて、 よーし今度は、肉の塊を買って来て、 ぷった斬ってやろうと、心に決めたのは、 10日前のこと。
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