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三話 蜜に沈む女王蟻
アカシアの精霊、ルカの話によるとこの木には栄えた国があり、女王蟻がいて、蟻たちは彼の恵みの蜜で生きていた。
けれど、ルカの女王蟻は次の女王蟻を産めず土に還り、やがて核を失った騎士も蟻も緩やかに滅びたのだと言う。
ルカを崇める蟻たちが居なくなると、アカシアの木は枯れ、アカシアの木が枯れると恵みの蜜を口にできない蟻は滅びる。
なんと美しい関係だろう、とカルデニィアは思った。
「わたくしと同じね……ルカ。貴方は死ぬのが怖くないの?」
『わたしの種子は旅立ち、あらたな木にたくされた。いずれわたしも、母と同じ運命を辿るだろう。けれど貴女が、わたしの元にきたので怖くない』
静かなルカの声に、言いしれぬ高揚感か胸に宿るのを感じた。
この美しきアカシアの精霊と、最期の刻を過ごす事ができれば、どれほど幸福な事だろう。
その腕に抱かれて、忘却の女王と名付けられた虚無の生を終えることができたのなら、その死は最高の贈り物だ。
ルカの胸に、カルデニィアの華奢な体が引き寄せられると、彼は自然に受け入れゆっくりと抱擁する。
けれど、カルデニィアは儚くも美しいアカシアの精霊を死なせると言うことに、どうしようもないくらい、罪悪感を感じた。
「ルカ……貴方に必要なものは何かしら」
『わたしの望みは奴隷とわたしの声を聞く貴女。貴女の騎士にわたしの蜜を与えるといい』
「ありがとう。……いい考えがあるわ、ルカ」
ルカの望みが自分であるという幸福は、カルデニィアが生まれて初めて、優越感に全身が震えた瞬間だった。
女王蟻を甘やかすように、直接唇から注がれるルカの蜜は、疲労した四肢に染み渡る。
そのまま絡まり合うようにして、枯れ葉の海に二人で崩れ落ちた。
突き上げる欲望のまま、美しいアカシアの精霊ルカと枯れ葉の海で交わり、ルカの侵入を許すと、カルデニィアは初めて異性の温もりを知った。
女王蟻としての禁忌を、カルデニィアは悪しき精霊の肌で破ったのだ。
ルカの与える蜜以外は、口にする気にもなれず、まるで自分が別の強い女王蟻へと変わったような気さえする。
そして、ルカを失うことが死ぬよりも恐ろしい事に思え、カルデニィアは震えた。
「貴方を助けるためなら、なんだってしましょう。愛してるわ、ルカ。わたくしが死ぬその時まで、貴方を……愛してる」
『わたしも貴女を愛してる、カルデニィア』
カルデニィアは、ルカの額に埋め込まれた琥珀の宝石と同じ、蜜の小さな壷を受け取ると、忘却の女王蟻カルデニィアの最後の騎士ジャルの元へと向かった。
まだ、彼が息絶えていない事を願いながら。
樹木に寄り掛かり、衰弱したジャルの元にカルデニィアは跪く。
その気配に気づき、ジャルは瞳を開けた。
「カルデニィア様……?」
先ほどとはうって変わり、血色が良く、みずみずしい美貌で微笑むカルデニィアに、驚いたように見つめた。
弱々しく幸薄い女王蟻カルデニィアの面影はなく、まるで別人のようにも思える。
「もう大丈夫ですわ、ジャル。これを飲みなさい。この蜜には貴方の命を繋ぐ魔力が込められているのです。そして……わたくしと閨を共にしなさい」
女王蟻としての命令に、彼女の騎士が逆らえるはずもなく、ジャルはカルデニィアに促されるまま、禁断の蜜を口にした。
✤✤✤
それから、ジャルとの間に数人の子供たちを作ると、蜜を持たせ、かつてカルディニィアを追放した帝国へと向かわせる。
忘却の女王蟻カルデニィアの子供たちは、暁の女王蟻マーリーの子供たちに擬態して混じると、アカシアの蜜をマーリーの子供たちの食事に混ぜた。
アカシアの蜜を食べ、それ以外は口にできなくなってしまった子供たちは、原因もわからないまま、次々と死んでいく。
カルデニィアの子供たちは、まるでカッコウの雛のように、本来の子供たちに成り代わり、育っていった。
そして増えゆく忘却の女王蟻の卵。
異変に気付いた無知な乳母たちが、蜜を舐めれば、彼らはアカシアの精霊ルカの蜜に飢え、いつの間にか、カルデニィアの手足となる。
そして、カルデニィアの子供たちは女王蟻が再び、この帝国に戻るのを待ち続けた。
「カルデニィア様、刻は満ちました」
「ええ、全てはわたくしと、聖霊ルカ様のために。いま、この時よりわたくしは血と腐敗の女王カルデニィアと名乗ります」
ルカの蜜を体内に入れたカルデニィアの騎士と子供たちは、強力な力を持った。帝国の女王蟻マーリーの騎士とは、比べられないほどの団結力と忠誠心を持つ。
忘却の女王蟻カルデニィアは、赤茶の纏めた髪を解くと、冷徹な女王蟻の表情になった。
彼女の騎士たちが、アカシアの棘でできた玉座を抱え、真の女王蟻がそこに座るのを待っているのだ。
自分を追放した帝国にも、暁の女王蟻マーリーにも恨みはない。
ただ、真の愛のために心は捨て、血に染まった女王蟻の残虐な仮面を被るだけだ。
アカシアの精霊を生かすために帝国を奪い、民を略奪する。
カルデニィアは、儚げな美しいアカシアの精霊の体を熱く抱擁した。
『カルデニィア、貴女の帰りを待っている』
「待っていて……ルカ……貴方の奴隷を連れ帰る。そして、わたくしに逆らう者はすべて殺す」
すべてが終わる頃、女王蟻のドレスは真っ赤な血で染まっているだろう。
この愛のためならば、血塗られた腐敗の女王蟻、と呼ばれても構わないとカルデニィアは思った。
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