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 ところで、彩子がどのようにして友達となったのか。決定的な何かがあったというわけではない。ほんのちょっとのタイミングのズレがあれば、彩子は今ここにいなかったと思う。他人と知り合うきっかけというものはそんなものだ。出会いのそばに、「見知らぬ人」という可能性が存在している。彩子との出会いは「ぼくたち」という括りでは、いたって普通だった。わざわざ「ぼくたち」と分けるのには、「ぼく」個人ではちょっぴり変わっていたからだ。  彩子とぼくが出会ったのは秋の真ん中の季節だった。ぼくは一人で道を歩きながら夕日を眺めていた。空の赤さが物悲しく、残虐に感じるような季節だった。  というのも、この時期は、シークレット・ガーデンが、無法地帯らしく物騒なムードに包まれていたからだ。季節は冬に近かったが、寒さがやってくるという理由だけではなく、空気が張り詰めていた。そのわけは、ぼくたち子供にあった。街を歩いていると、ただ声がうるさかったというだけで、目が気に入らなかったという理由だけで激しい喧嘩になったりする。それはいつものことだったのだけど、何かが違っていた。  ぼくはほんの少しセンチメンタルな気持ちになった。夕日はいつでも綺麗だ。本当に平和……というものがこの街にあるのか疑問だが……だったころと変わらない。たぶん、百年前とも違いはないと思う。変わるのはいつもぼくたちなのだ。夕日だって、わたしは残虐なんですよーほーらセンチメンタルな気分になりなさいよーと言っているわけじゃない。ぼくが勝手に感じているだけだ。 「ねえ」  その時だ。誰かの声が聞こえたのは。  振り向いたが、背後には誰もいなかった。左右を確認しても、誰の姿もない。おかしいなと思っていると、頭上から笑い声が聞こえた。  見上げると、ビルの屋上にその「誰か」がいた。自分を探すぼくの姿がよっぽど滑稽だったのだろう。顔を半分隠して肩を揺らしている。ショートカットの赤毛と、白い肌と、気の強そうな眉。パーカに、シャカシャカを合わせている。服装は清潔とはとても言えなかったし、肌も白いのだけど小汚かった。赤い髪も痛み、重苦しく風に揺れていた。荒んだ印象を受けるのに、瞳だけが燦々と輝いている。少年と少女の中間といった容姿をしていた。このときは、どちらか判断がつかなかった。  それが、彩子だった。 「ねえ、死んでいいかな」  それは「夕日がきれいだね」というように軽いものだった。明るく、彩子はとんでもないことを吐きだしたのだけど、ぼくはぼうっと彩子を見上げるだけだった。彩子が何を言ったのか聞こえていても、わかっていなかったのだ。 「ちょうどよかった。これから、死のうかなって思ってたんだ。でも、一人は逝くのは寂しくて。きみ、見ててくれないか?」  ようやく意味が聞き取れたぼくは、「え」と声を漏らした。聞き返したわけではなかった。放心していて、言葉にできなかったのだ。  彩子は軽快に笑いながら、屋上に腰かけた。ぷらぷらと足を揺らして、ふっと上半身を前に倒す。屋上の縁を掴んでいた指がぱっと離れた。ぼくは思わず、目をつむった。バンッと何かが破裂したような決定的な音が聞こえた。その音に、ぼくは凍りついた。死んだ、誰かが、いきなり、死んだ。そう思った。しかし、弾けるような笑い声がする。目を開けてゆっくりと視線を上げると、彩子が楽しそうに笑っている。ぼくの目の前には死体なんてなかった。なぜかスイカが砕けていた。 「きみ、本当に飛び降りると思った?」  彩子は無邪気な童子のようだった。声変わりを終えていない、少年の声に似ていた。ふわっと彩子の前髪が風に流される。丸みのある額が覗いていた。それで、この子は少女だったのだと気づいた。そう思うと、無邪気な声が変に綺麗に聞こえた。  彩子が楽しそうだったので、怒りも羞恥も生まれなかった。真っ赤な夕日と、荒んだ体と、吸い込まれそうな瞳。  彩子はビルの上で、勝ち誇ったように足を揺らしている。シャカシャカが擦れて、マラカスみたいな音を奏でていた。 「しかし、どうしてあんなことをした?」  だから、ぼくと彩子の関係は、一年前から知り合いでしたよ、とでもいうようにナチュラルにはじまった。 「冬が近いのにスイカが売っていたんだ。とても珍しくてね、スイカ割りがしたくなった」 「スイカ割り?」 「しかし面子がいなかった。一人でスイカ割りをするほど虚しいものはない。どうしようかなと悩んでいる時に、きみを見つけた。屋上から落とすのも楽しそうだと思いついてしまったんだ」
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