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「街灯は登り棒ではないけど」
「そうなの?」
彩子は簡単にてっぺんまで登りきると、街灯に腰かけた。バランスがとれないのか、手がぷるぷると震えている。自慢げにぼくを見下ろして、ふんっと鼻を鳴らした。
「あなたは、なんでも、おもちゃのように考える」
スイカも街灯も同じように遊び道具にする彩子の姿勢に、ぼくはふっと笑った。彩子は何度も頷いた。うれしい時には何度も首を振るのが、彩子の癖のようだった。犬の尻尾のようにわかりやすい。そういった仕草は、こちらを笑顔にさせる。
「ずぅっと遊んでいようって、決めたんだ」
「遊ぶ?」
「そう。子供のころに約束したの。自分と約束したの」
子供のくせに、彩子は「子供のころ」と言った。その顔は街灯によって照らされて、影と光にくっきり分かれていた。微笑み、何かを懐かしむような顔だった。北風が吹いても彩子は気持ちよさそうに目を細めている。
これが「ぼく」と彩子の出会いだった。
彩子と出会ったはいいが、その時点ではぼくは名前も住んでいる場所も知ることはなかった。ちょっと話をして別れた他人、でもなんか心に残るやつ、程度の感覚だった。だから「もういっかい話をしてもいいかな」と思っても探すまではいかず、そのうち日々に紛れてしまうだろうと思っていた。
彩子と出会って、一週間後くらいだった。例によってぼくたちは三人で集まり、行く当てもなく街を歩いていた。時間は日付が変わったころだったけど、どこかに入って騒ぐような気分になれなかった。雨上がりで、地面は濡れていて水たまりがそこらにあった。ヒツジコがわざと水たまりに足を突っ込んで、ぱしゃっと水を飛ばしてくる。それに文句を言ったり言わなかったりしていた。沈黙のほうが多かったかもしれない。
ぼんやりとしていたら、「どいてー」と後ろから叫び声が聞こえた。続いてばたばたと忙しい足音が耳に届いた。
思わず振り返ると、彩子の頭がすぐそばにあった。立ち止まろうとしたのか、そのまま突き飛ばそうとしたのか、両方の気持ちがあったのか、彩子はそのままぼくに激突した。ぼくは避けられなかった。結果、二人ですっころぶことになった。彩子のリュックからばらばらと荷物が散る。古いカメラ、煙草、ライター、ペットボトル、それと鏡。彩子はぼくの体の上に乗っかった状態で、「ごめんなさい」と声を漏らした。ぼくは彩子の顔を見て「スイカ」と言った。彩子もぼくに乗ったままじっと顔を見て「あ、スイカ」と言った。
「なんですか、知り合いですか?」
ヒツジコが彩子に手を差し伸べた。「ありがと」と言って彩子がヒツジコの手を取る。ぼくも立ち上がって、濡れた服の汚れを叩いた。遠くからバイクの爆音が聞こえてくる。
彩子は顔を上げて、また走り出そうとする。ぼくはその手を引いた。ぐいっとそのまま彩子がぼくの胸に倒れる。
「どうしたの?」
そうぼくが聞くと、彩子は「ごめん、ありがとう。逃げなくちゃ」と早口で言った。ユキノジョウが「逃げる?」と小首を傾げる。
「変なリーゼント野郎、喧嘩売ってきたんだ」
「きみ一人に?」
ユキノジョウがびっくりしていた。ヒツジコは知っているやつだったのか、「あいつはそうでしょうよ」と舌打ちをする。気づいたら、わかりやすい威嚇音を立てた改造車がぼくたちを囲んでいた。彩子が困ったような顔で「ごめん、逃げていいよ」とぼくの手を振り払おうとする。バイクからリーゼントの男が降りてくる。
「お前、ヒツジコと仲間だったのか」
と、リーゼントがどうしてかうれしそうな顔をした。「そいつ、弱いぜ。残念だったな」
ヒツジコはかちんときたようだ。「女相手に数人でかかるなんて真似はできませんしね」と穏やかに笑う。ヒツジコのようなタイプの人間は鋭くなるよりも柔らかいほうが、よっぽど怒っているものだ。ユキノジョウがやれやれという顔をして、彩子に拾った荷物を渡していた。
「ええと、スイカちゃん……だっけ? おれらが加勢するよ」
にっこりとしたユキノジョウに、リーゼントの仲間が口笛を吹く。「ガールボーイが加勢だってよ。何してくれるのかな。おれのものなめてくれるとか?」と誰かが言うと、リーゼント一同が下品な声で笑った。どの時代でも国でも「お前の母ちゃんでべそ」と「おれのナニをなめろ」というのは最低な貶し文句だ。ユキノジョウはリーゼントを睨みつける。
「というわけで、わたしたちはあなたの味方」
そうぼくは彩子の肩を叩いた。眉を寄せていた彩子がきょとんとして、それから、この場に合わないような声で笑った。その声はリーゼントたちのプライドを傷つけたようだった。楽しそうに身を乗り出した彩子をヒツジコが押し戻す。
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