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「見ててください」
彩子は頷いた。何度も頷いた。あの犬の尻尾みたいな、彩子の頷き方だ。
ぼくたちは指の関節を鳴らして進みでる。彩子が祈るように指を組んでいる。不安と興奮が混じった目が輝いていた。ぼくたちはその瞳に応えるように、リーゼントたちに殴りかかった。
相手は六人いた。ヒツジコは鼻血を出したし、ユキノジョウは頬が腫れたし、ぼくは口の中が切れたが、勝利した。倒れた六人を踏みつけて「すごいじゃないか」と彩子がぼくたちにハグをした。それからは流れだ。そのまま「じゃあこれで」とならずに、ぼくたちは街を歩いた。いろんな話をした。どんな内容だったのは覚えていないけど、だいたいがくだらないことだ。
「今日はいきなり死んだりしない?」
ぼくはヒツジコと並んで歩く彩子に質問した。彩子がくるりと振り返って「今日は死なないよ」と、ぼくに軽くパンチをした。ユキノジョウがなんの話という顔をしていたので、彩子との出会いを説明する。ヒツジコもユキノジョウも笑った。
「マジですか。ハイド、騙されやすいですからね」
「ねえ。聞いてよ、ちょっと前までハイドってばね、ヒーちゃんにからかわれて、魔法使いになれると思い込んでたんだよ」
彩子をからかうつもりで話したのに、いつのまにかぼくがからかわれていた。ちょっと前にヒツジコに嘘をつかれまくった話をユキノジョウが多少誇張して彩子に教える。彩子は腹を抱えて笑っていた。
「きみはアホだな。魔法使いやら、そんなことを信じるやつがいるのか?」
「……どうせわたしはアホ」
しょんぼりしてみせると、彩子がいっぱい背伸びをしてぼくの頭を撫でてきた。彩子の体からは、花粉みたいな不思議な匂いがする。なんの匂いだろうと近づくと、彩子はふいっと身を引いた。ユキノジョウの背中に乗ってけらけら笑う。
「みんな、あそこの電柱まで競争しようよ」
彩子はユキノジョウの背中にひっつきながら、そう言った。
「いいよ」とヒツジコが腰を落とす。ぼくも頷いた。彩子は背中から降りて、「ゴーゴーゴー!」と走りだした。ヒツジコもユキノジョウも刹那遅れて、彩子の後に続くように駆けだした。ぼくも走った。
彩子は速かった。ぼくは人間じゃないので、みんなよりもよっぽど速く走れる。だからみんなの表情を余裕を持って観察できた。ヒツジコは倒れようとするような姿勢で、笑いながら走っていた。ユキノジョウは拳を握りしめて、一所懸命コンクリートを蹴っていた。彩子はみんなよりも一歩先で、追いつかれまいと必死に足を前に前に伸ばしていた。あっという間に、ぼくが電柱に辿り着いた。彩子が、ユキノジョウとヒツジコがやってくる。彩子は息を切らせながら「負けたあ」と言った。みんなでげらげらと笑いあった。
こんな夜は彩子にはまだ出会っていないころから知っているような気がした。ユキノジョウが上着の襟元を直す。ヒツジコがコンクリートに膝をついた。ぼく以外はみんな額から汗を滲ませている。風が通り抜けると、彩子が目を細めて「あ」と言った。
「どうした?」
「こんな夜が昔にもあった気がする。既視感ってやつかな」
「既視感?」
ぼくが聞くと、照れくさそうに彩子が空を見上げる。
「こう涼しい風が吹いて、空を見上げるの。それで、誰かがいたんだ。この光の感じとか、知ってる。夢で見たのかな。このシーン、ずっと前から知ってる」
夜の街は、しんと静まり返っていた。車の音や誰かの声やカラスの鳴き声なんかがどこかで聞こえるはずなのに、数秒間だけなんの音もしなかった。ざああっと強風が吹いて、ぼくたちの髪を踊らせた。目の前で、枯葉が舞っている。ぼくたちは空を見上げると、なんとなく神秘的な気分になった。
ぼくたちの後ろからやってきて先に先に進んで行く風は、枯葉のせいで姿形がはっきりと見えた気がした。赤色や黄色い葉っぱがぼくたちの間を通り抜けて、暗闇に消えていく。
「こういう時、未来が見えるよね」
彩子は小さな声で囁いた。ぼくは頷いた。ヒツジコもぼんやりと寂しげに暗闇を見つめている。ユキノジョウは彩子に向かってウインクした。みんな、彩子の言った気持ちになっていた。
「スイカちゃん、キザなこと言うね」
ユキノジョウがくすりと笑うと、彩子は「彩子」と言った。
「さいこ?」
と、ぼくが聞くと彩子はくるりと一回転する。「スイカじゃないよ、名前。彩子っていうの。色彩の彩に子供の子で彩子」
「珍しい。漢字がある」
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