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いろいろものが積み重なった中から体温計を取り出して、ぼくは彩子の耳に当てる。三十八度と出てきて、ぼくはひっくり返りそうになった。こんな高熱なのに、彩子は歩いてきたのだ。
「家で休むべき。もう仕方ないが、わたしたちの家で眠って」
「眠る? オアシスは雨は休みなんだろう。そんなもったいない」
彩子は元気にぐしゃぐしゃと髪の毛を拭いていく。首筋から鎖骨に落ちていく雫が見えて、ぼくはタオルを伸ばしてそこも拭いてあげた。
「何がもったいない」
「遊べないじゃないか。せっかく遊びにきたのに」
と、言いながら盛大に彩子は咳をした。ユキノジョウは迷った挙句に、何故かぼくの寝巻きを選んで、ドライヤーと新しいタオルとともに彩子の横に置く。
「ねえ、もう仕方ないから、お風呂に入って体を温めて。今から入れるから。そしたら遊ぶでもなんでもいいから、ベッドに横になってよ。あー今日はヒーちゃんの家に泊まろうかなぁ」
「ん? なんでヒツジコの家が出て来るんだい」
「こんな狭い汚い家に三人じゃ寝れないよ」
そう言ってユキノジョウはぼくを睨んだ。ユキノジョウは怒らないかぎりは綺麗好きなのだが、ユキノジョウ曰くぼくはズボラだという。一応ぼくとしては取り出しやすいようにものを床に置いてるのだが「足の踏み場がない」とよく愚痴っていた。
ぼくは体を縮こませながら「片付ける、ユキノジョウの言う片付けをする」としか答えられない。それも聞かずにユキノジョウはバスルームに消えていった。
「今日は何して遊ぶ? 家にいてできることだよね」
人間の風邪はどんなものかわからないけど、ヒツジコもよく寝込むのでなんとなくはわかる。普通だったら起きてはいられないだろう。大きな目でぼくを見てくる彩子に呆れながら、ぼくはカーディガンを拾って羽織らせてやった。
「ヒツジコに薬を持ってくるように頼む。遊びの内容はそれから」
ぼくがそう言うと彩子は足をぶらぶらさせながら、髪をぱんぱんと叩いていた。
とりあえず、まだ家にいるヒツジコに連絡を取ると、彩子の体温と症状を話す。「風邪ですか。でも子供みたいですね、三十八度で歩き回れるのなんて」と笑っていた。「子供は元気な体温なの?」と聞くと「三十七度のが辛かった記憶があります。八度すぎるとテンション上がるんですよ。ユキノジョウが体温計やら何やら持ってきてね、暴れるなと怒られました」とヒツジコは懐かしそうに話した。自分もよく熱を出すからだろうか。あんまり心配しているようではない。「ふうん」とぼくが返すと「本当ハイドは心配性ですね」と笑われた。何かを言い返す前に「ま、肺炎にならないでしょう。熱さましでも持っていきます」と電話を切る。ライトな物言いに乱暴に電話を投げかけると、彩子が不思議そうな顔をした。
それから本を綺麗に揃えて本棚に入れたり、もう読まないだろうのはまとめていると、彩子が手伝おうとして床に座り出す。「ベッドにいて」と腕を掴むと、燃えるように熱かった。じんじんとした体温がぼくの手のひらを熱していく。
おとなしく彩子をベッドに座らせてあれこれしていると、ユキノジョウが「お風呂入ったよー」と呼びかけてくる。彩子は着替えとドライヤーを取ると。全身を拭きながらバスルームに向かっていった。本当に軽い足取りで、顔の赤さと咳がなかったら、平熱と全然変わらない。ピンピンしている人間もいるのだなと感心しそうになって、いや、これは呆れ返るところだろうと思い直す。
そこでふと、疑問がわいてきた。彩子はいつも何で倒れているのだろうか。殺さんと言わんばかりの勢いで部屋から追い出されたことがあるので、もう聞けやしないが気になった。いつも彩子は倒れた時はほんのりと湿って温かい。そういえば、こんな高熱とかではなかった。
ぼくは自分の手のひらを見つめた。じんじんと熱い、燃えるような体温がよみがえってくる気がして、ぼくはぎゅっと握りしめる。
「ねえ、そんなに熱が珍しいの? ヒーちゃんだって熱出すのに」
ぼうっとしているぼくに、ユキノジョウが呼びかける。保冷剤をタオルに巻きながら、パタパタと看病の用意をしていた。
「彩子は倒れる時に熱を出していない。そう思っただけ」
「そりゃあ」と言ってユキノジョウは言葉を切った。「熱じゃない理由だからでしょう? はい、それより片付け片付け。ヒーちゃんも泊まるかもしれないし、床に三人は寝れるようにして」
げしっと背中を蹴られて、ぼくは黙々と作業に戻る。
ヒツジコが熱を出した時も、額を触ったことがある。ぼくは人間じゃないので、寒さとか暑さとか同じようには感じられない。ただ熱は危険なのか感知するようにはできている。ヒツジコもびっくりするほど熱かったり、そこそこだったりするけれど、なんだか彩子の熱は手のひらに残っていた。なんでだろうなと考えていると、昨日スカートをズタズタにした彩子を思い出した。そりゃあ、コートも捨てて、裸足で、ズタズタのスカートじゃあ、風邪もひくだろう。だけど、あの時の彩子の気持ちが行き場を無くしたまま、こうしてぼくの手のひらに伝わったような感じがした。
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