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ユキノジョウは無言でホットミルクを彩子の前に置いた。「どんな姿でも彩子は彩子だ」という答えを待っているわけじゃないことはわかっていた。ヒツジコは煙草をくわえると、天井を睨む彩子を見る。すぐ視線を外して、ライターを取り出すと手でもてあそんだ。
「きっと、綺麗なんでしょうね。彩子は彫りが深いし整っています。化粧映えするでしょうね。それこそ、シンデレラのような変わりっぷりで。灰かぶりならぬ、砂利かぶりがお姫さまになるんでしょう」
「そうさ、どんな男だって王子さまだって振り向くように綺麗になってる」
「でも、そんな彩子は、ぼくらの彩子じゃないです。伸び切ったトレーナーに、シャカシャカをあわす、人のお下がりを着ているのが彩子ですから」
彩子はようやく苦く笑うと、「ありがとう」と言って、ホットミルクを口にした。ヒツジコへの礼か、ホットミルクの礼かわからなかった。
「そんなもの着せられたら、ズタズタに引き裂いてしまえばいい」
ぼくもそう言って煙草をくわえた。彩子は熱かったのか舌を出して、冷やすように息を吸っている。ユキノジョウは「ドレスなんか、おれが着てあげるよ。自信あるよ。彩子なんかよりシンデレラになってみせるよ」と両手を広げておどけてみせる。
彩子は淡く笑うと「そうだね」と言った。
「あのね、もし、彩子がそんな姿でみんなの前に現れたら、もう、そばにいられないと思う。そんな、女の姿をした彩子が現れたら……。予感だけどね。ふと、そう思ったんだ。だから、伝えたくて」
そう言って、彩子は首を振った。ヒツジコはまだライターをいじっている。しばらく沈黙していたが、彩子がフーフーとホットミルクを冷ましているのを見て、ようやく火をつける。
ユキノジョウとヒツジコは昨日の彩子を見ていないので、どうしてそんなことを? というように顔を見合わせた。そうして両者答えを持っていないのを確認しあい、ヒツジコは煙を深く吸い込みながら、彩子と同じように首を振った。
「何を思っているのか分かりませんけど、シンデレラの彩子とぼくらが会ったとしても、そばにいられますよ。望んでいるなら、魔法をといてあげますから。十二時の鐘が鳴るように。もちろんガラスの靴なんて落とさせません」
そんなヒツジコの言葉にユキノジョウがぷっと吹き出す。くすくす笑いながら、台所へ戻って、今度は湯を沸かしだした。
「十二時の鐘が鳴るようにって、ねえ、やけに詩的な表現してるよ。ヒーちゃん」
ヒツジコは軽く笑うと彩子を見ながら言った。
「シンデレラなんて彩子が言うからですよ。十二時の鐘はつきものでしょう」
きゃらきゃらとユキノジョウとヒツジコが笑いながら言い合っている。その間、彩子は一所懸命ホットミルクを呑んでいた。まだバスルームから出て時間がたっていないからだろうか、頬が少し赤らんでいるままだ。そうして飲み終わると、カップをテーブルに置いて、ぼすっとベッドに寝っ転がる。白いシーツが彩子の肌を目立たせていた。濡れて輝く瞳を弓形にしながら、彩子が言う。
「みんな面白いね。彩子、みんなが好きだよ。みんながね。ずっとこうしていたいなぁ。時間がとまっちゃえばいいのに。だって――」
「未来は友達じゃないから?」
わざとむっとしたようにぼくは言った。彩子は枕を抱きしめると声をあげて笑いだす。本当に楽しそうな綺麗な声だった。
「ハイド、きみもわかるようになってきたじゃないか」
「わかってるわけじゃない。否定をしている。未来など誰にもわからないものだ。決めつける彩子がおかしい」
「決めつけてるわけじゃない。そうだって、街を見ていれば誰だって気づくものさ」
言い争いそうになったぼくと彩子に「はいはーい、そこまで」とユキノジョウが手を叩く。最初の頃のように三百倍にして言い返そうとしていた彩子は、ふんっと鼻を鳴らした。ぼくも煙草に火をつけて、皮肉っぽく笑ってみせる。
「ねえ、まず彩子は薬を呑んで。そしたら寝て」
ユキノジョウは水の入ったグラスと薬を彩子に渡す。起き上がって仕方なさそうに薬を呑んで、彩子は不味そうに眉を寄せる。
「つまらない。じゃあ何かお話をしてよ。一番楽しかった昔話。それを聞きながら、寝れたら寝るさ。ハイド、何かないの?」
話を振られて、ぼくはちょっとうろたえた。一番楽しかったこととは何かわからなかったからだ。しばらく天井に視線をさまよわせて、「ない」と答える。
「今が一番楽しい。だからない」
ぼくの返答に我慢できないように口元をモゴモゴさせながら、彩子は枕に顔を押し付ける。くすくすと笑っていた。
「昔話の中で楽しかったことさ。きみが、今はもう昔話だというのなら、それでもいいけど。人生で一番楽しいとは聞いていないよ」
「そういうことじゃなくて」
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