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彩子は何度も何度もヒツジコを叩きながら、泣いている。いやいやするように首を左右に振って。ぼくも、ユキノジョウも、三号も、何も言えなかった。ヒツジコは宥めるように、彩子の背中をぽんぽんと叩いている。少し大人びた顔をした、ヒツジコがやけに印象的だった。子供のように彩子は泣きじゃくっている。もう彩子は何もかもがやるせなく、悔しかっただろう。
ぼくはその場を離れた。間を置いてユキノジョウと三号がついてくる。階段までくると、そこに腰を下ろす。煙草に火をつけると、苦味の中にそこはかとない、切ないような味がした。
「な、なあ」
静かな空間、不安そうな声を出したのは三号だった。
「お前らの屋台を壊したのが、あいつらだって……彩子たちは何があったんだよ」
煙草の灰を落としながら、ぼくは深い息を吐く。
「それは管理人を入れて話をする」
「なんでだよ。こうしてる間だって、あいつらが何かするかもしれないだろ」
息巻く三号に「それはないよ、もうね」と、低く柔らかい声が落ちてきた。
コンコンと階段から誰かが下りてくる。顔を上げるとまず白いコートが目に入った。金色の立髪と、手には愛くるしい人形。
管理人だ。
「ハイドを監視させてもらっていた。空からだが……こいぬ組をすぐヒツジコとともに向かわせた。ハイドたちとはすれ違いになったようだが……もう、やつらはいない」
重い、冷酷とも取れる響きだった。やつらはもういない。街のボスである管理人が言うならそういうことだろう。三号がユキノジョウにあれは誰かと耳打ちしていた。ユキノジョウに耳打ちを返され、ぶるりと震える。軽く会釈する三号に、管理人は優しく笑いかけた。だがやはり、目は笑っていない。
「ということは、武器を渡したのは誰か聞いていた?」
「いや……空からゆえそこまではな、だからハイド、街でいったい何が起こってるのか聞かせてほしい」
ぼくは煙草を捻り消すと、立ち上がる。
「ここからはそうは知られていけない話。わたしたち二人で話す」
左手で髪をかきあげ、ぼくは止まった。血の匂いがする。よく見てみると、手のひらには血がついていた。三号がそれを見上げて、「お前、怪我してるのか?」と声を上げた。ユキノジョウはぼくが血を出せないことを知っているので、目をぱちくりする。
「彩子……」
この手は彩子を抱き上げていた手だ。彩子は頬に傷を負ったが、ぼくはこの手でその頬には触れていない。
管理人がピクリと眉をあげて「彼女は血が出ているようだね。部屋を用意し、着替えを渡そう、ハイド行かないほうがいい。まずは話だ」と言った。
「管理人、それはできない」
「行くな、それは――」
言いかけている管理人を無視してぼくは走りだした。
彩子が怪我をしている。またぼくに黙って。
言わない彩子に苛立ちを覚えたし、言わせないぼくも情けなかった。でも今度は見ないふりをしない。外されることを許してくれないなら、ぼくだって同じだ。いっしょがいいのはぼくもそうなのだから。
「彩子!」
戻ると、ヒツジコと彩子が手を繋いでこちらに歩いてきていた。彩子はまだ手のひらで涙を拭いていたが、走り寄るぼくに怪訝そうな顔をする。ヒツジコも厳しい顔つきになった。また、何かがあったのか。そんな様子だ。
「彩子、怪我は大丈夫?」
「え?」
彩子は自分の頬に触れて、「彩子はこれだけだけど……浅いよ。ヒツジコの方が深い。縫ってもらわなくちゃ」と、また自分のことを隠して、他人の心配をする。
「隠さないで。血が出ている」
左手を見せても彩子は不思議そうなままだ。ただぼくは怪我をしている様子がないので、眉を寄せる。
「そこは彩子のお尻を……ん?」
目を見開いて、びくんと彩子は姿勢を正す。大慌てでヒツジコと繋いだ手を外して、サイズの大きなシャカシャカをグイッと上に引き上げた。そのまま自分の後ろを確認する。またびくんとすると、ワナワナと震えだす。
顔が真っ赤に染まり、涙目で、殺意さえありそうな彩子がいた。
「空気、読んでよ、ハイドのバカー!」
思いっきり彩子はぼくの腹に拳を打ち込んだ。予想できない攻撃に、ぼくは一歩下がると尻もちをついてしまう。ズンズンと怒ったように彩子は来た道を戻っていた。ヒツジコが額を揉み込みながら、ため息をつく。
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