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「あなたは彩子が他に何を食べるか知っているの?」
ふんっと鼻を鳴らす三号に、ぼくは聞いてみた。三号は一瞬、ぶたれたような顔をする。ぼくはぎょっとして「どうしたの?」と肩に触れた。三号はぱちんとぼくの手を叩く。
「……食べるものなんかお前に教えないよ」
ぼくをきつい目で見上げる三号に、「そう」と言うしかなかった。ことことと鍋が音をたてはじめる。
「あなたも食べる?」
「強者の弱者への憐みか? いらないよ」
「違う。どうせ、こんだけあっても彩子は食べきらないだろう」
「じゃあ持ってくるなよ。量さえあれば食欲湧くとでも思ってたの。本当、お前らって単純だな。いっそすがすがしいよ。バカっていいなあ、お気楽そうで」
湯気がたってくると、三号は鼻をひくひく動かしていた。ぼくはぷっと笑いそうになり、怒られそうなので咳きこむふりをした。
「どうしても、どうしても、お願いしますって言うんなら、食べてやらなくもないぜ」
「……お願いします。食べてください」
「うわ、こいつ本当に頼みやがったよ。おれが素直じゃないだけのガキとか思った? いらねえよ、こんな間抜けな食べ物」
三号はコンロから体を離すと、棚から皿と箸を取り出した。
「まあ、ここで食べないのも可哀想だから、食ってやるよ」
そう言ってぼくに皿を渡してくる。もうそろそろ温まっただろう。ぼくは三号にはんぺんを渡した。三号はぶすっと中央に箸を刺して、豪快に口元に運ぶ。むしゃむしゃと噛みながら、「彩子はどう。機嫌いい」と言った。
「それなりに。話できるし、最悪よりはマシだろう」
「ふーん。ならよかったけど、お前らも長居してないでさっさと帰れよ」
ぼくはコンロの火を消すと、「彩子は本当に病気じゃない?」と聞いてしまった。三号はきょとんとして、箸からはんぺんを落っことした。
「お前、知らないの? わかってないの?」
ぼくが頷くと、三号はぼくをバカにする目つきになる。勝ち誇るようにはんぺんを拾うと、大きな欠けらを一口で食べきった。
「教えないよ。自分で聞けば? 絶対に教えてくれないだろうけど。でもおれは知ってるよ。おれは知ってる」
「……そう」
ぼくは鍋を持って、彩子の部屋に戻ろうとする。三号が「ちょっと待てよ」と呼び止めてきた。おとなしく待っていると、「待つなよ。ほいほい言うこと聞くな」と言われる。ぼくが歩きだすと、三号は後ろからついてきた。そのまま部屋に帰るのかと思ったら、彩子の部屋までついてくる。ドアを開けると、彩子が振り向いた。三号がぼくの後ろに隠れる。
「どうした、ハイドの後ろに隠れて」
彩子が笑いかけると、三号は「彩子……」と、甘えた声を出した。三号は彩子の前では猫をかぶるのだ。ぼくたちの前で虎をかぶっている、かもしれない。ヒツジコとユキノジョウが顔を見合わせて笑っている。どうしてか、ぼくが三号に抓られた。
「彩子、おれね、これから寝ようと思う。でも、昨日、怖い夢を見たんだ。寝つきがよくなるように、何か歌って」
ちょっと黙ってから、彩子は「おいで」と手を広げた。三号はぱたぱた彩子の元に行くと、腕の中にすっぽりと収まる。胸に顔を埋めるように突っ込んで、ぎゅうっと抱きついた。彩子は三号の背中を撫でて、髪にキスをする。
「大丈夫。怖いのは今だけだ。いつか怖くならない」
そう言って、彩子は自分の体を揺り篭みたいにして、歌った。英語の曲で、よく彩子が歌っているものだ。彩子の低い声は歌になると幼く聞こえる。呟くように歌う詩は、魔法のドラゴンのことだった。魔法のドラゴンは秋の霧の中遊んでいた。小さな少年の悪い友達。魔法のドラゴンたちは遊んでいた。魔法のドラゴンは永遠に生きられるけど小さな少年はそうじゃない。魔法のドラゴンから離れ新たな遊びを見つける。少年はある夜、魔法のドラゴンの前から姿を消した。魔法のドラゴンは一生の友達を失った。怖い夢を見た子供に歌うような曲でもないけど、曲が可愛いので気にならない。ちょっと切ないけど、優しい気持ちになれる。
彩子の部屋にはベッドと棚しかない。ベッドの上には薄汚れたぬいぐるみがあって、壊れた時計が転がっている。ここには何もない。彩子が話すには、何を奪われてもいいように、何も置かないと決めているらしい。ぜんぶが他人と共用くらいに考えるほうが気分が悪くならないと言っていた。「手には持たない。代わりに心に荷物を持って、それだけは守り抜くの」と。この部屋はカーテンが閉め切られ、電気をつけている。今が何時なのか、いつでもわからない。彩子は歌っている間も、何かを憎むように耐えるように眉を寄せている。
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