エックス案件

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 株式会社孫の手。創業者長谷川康之の手によって起ち上げられた、家事代行サービス業を営む会社だ。 まだまだ駆け出しのこの会社は、日夜お客様のため、靴底を減らす毎日。その甲斐あってか、徐々に顧客数は増え、業績は前年を超え続けている。   その要因の1つに、リピート率の高さが挙げられる。今回は、本来有難いはずのリピート客に関する厄介な話だ―。 『エックス案件』  プルルルル…プルルルル… 時刻は11時を回った頃。比較的依頼の少なかった今日は、のんびりとした空気が社内を包んでいる。そこに突如鳴り響いた一本の電話。 「ちっ。」  コール音の合間に聞こえた舌打ちは、事務員朝日川のもの。 最近、とうとう喫煙ルームが撤去されてからというもの、何かにつけて舌を鳴らしまくっている。  彼女はギギギと悲鳴を上げる椅子にドスンと座り直すと、シャウエッセンを思わせる指先で受話器を持ち上げた。 「お電話ありがとうございます、株式会社孫の手でございます。」  まるで、高級ホテルを思わせる洗練された声色。聞き耳を立てていた社員達からも、毎度ながら感心の声が上がる。 「まぁ、お世話になっております。…ええ、ええ。それはまた…はい、畏まりました。失礼いたします。」  じっと受話器を握ったまま3秒。通話が完全に途絶えたのを確認すると、朝日川は放るようにして受話器を置いた。そして、固唾を飲んで見守る社員達をじろりと眺めまわすと、「エックス案件!」と言い放ったのだった。  エックス案件。それは、ブラックリスト一歩手間の要注意案件を指す。  そこにカテゴライズされる理由は数あれど、共通して言えることは、対応した社員が皆一様に遠い目をするということだった。  「依頼主、星野のぞみ様。…あの星野姉妹の長女だねぇ。」  依頼の電話後、すぐに選別された担当は遠藤薫。創業時から働く社員で、若いながらも滅多なことでは動じない彼女だが、さすがに今回は動揺を隠しきれない様子だった。 「待ってください!なぜ私が担当なんです!?」  悲痛な叫びは、社内中に響き渡った。無理もない。星野姉妹、通称ラッキースターズは、揃いもそろって問題児ばかりなのだ―。 「もう勘弁してください。この前の“3匹の子豚事件”だって、私がどれだけ苦労したことか…!」  薄らと涙さえ浮かべる遠藤が言い放った“三匹の子豚事件”。それは、未だ社内の語り草となっている超ド級の逸話である。    事の発端は、末っ子星野たまえの一言だった―。 「三匹の子豚って、末っ子が一番利口って話だよね?」  これに反論する形で始まった姉妹喧嘩は、たちまちその勢いを増し、遂には3匹の子豚それぞれの家を作って検証するという展開となったのだ。  そこで登場するのが、娘溺愛の両親である。有り余る資金を湯水のように注ぎ込み、やれ有名なデザイナーを起用せよや、こだわり抜いた最高級品をふんだんに使いなど…当初の論点は何処へやら、馬鹿親丸出しで札束をばら撒いた。  そこに駆り出されたのが、遠藤薫だったというわけだ。  激化する姉妹喧嘩を仲裁し、斜め上な発想を振りかざすデザイナーに現実を見せ、金だけでなく口も出す馬鹿親を抑える…。これは、遠藤だったから乗り越えられたこと。まさに、勲章ものの頑張りであった。  この頃の遠藤を知る者は当時を振り返り、口を揃えてこう言う。 「見間違いだろうけど、あの時遠藤さんは3人いた。」    …そんな背景を持つ星野姉妹だ。今回の案件だって、どうせ厄介ごとに決まっている。  遠藤は、それはもう必死の形相で訴えた。その光景を遠巻きに見守る社員達は、いつ自分達に火の粉が飛んでくるか気が気じゃない。それはそうだろう。三匹の子豚事件だって、傍で見ている分には笑えるが、当事者になろうものなら血涙ものだ。  そんな各自の思惑渦巻く中、無情にも判決は下る。 「担当は、遠藤あんただよ。なんたって、先方たっての希望だからねぇ。」  つまらなそうに放たれた朝日川の言葉は、遠藤を崩れ落とし、他の社員の安堵を引き出した。  仕事が出来すぎるのも、それはそれで問題なのかもしれない…。かくして、遠藤薫の星野姉妹奮闘記は、第二章へとページがくられたのだった。    もう二度とこの地を踏むまい。  そう固く誓ったはずの星野邸は、相も変わらず豪奢な門と磨き上げられた鉄門扉、傍らに立つ衛兵が遠藤を出迎える。  遠藤は手短に用件を伝えると、暗澹たる気持ちで開き始めた鉄門扉を眺めた。今回は、なんだろう…。どうせくっだらない姉妹喧嘩だ。  本日何度目かのため息をつき、最後にもう一度深い深いため息をつくと、遠藤は顔を上げた。切り替えろ薫。相手が誰であれ、きっちり仕事をこなす。それがプロだ。  ピンと背筋を伸ばし、しっかりと胸を張ってインターフォンに手を伸ばす。  ピンポンパンポーン  軽やかな音色が流れ、数秒後にガチャリと扉が開けられた。中からは、にっこりと、それはそれは天使のような笑みを浮かべた悪魔、星野のぞみが顔を覗かせた。 「いらっしゃーい、待ってたわ。」  遠藤の喉は静かに上下した。  どうぞ遠慮しないで。そう促されるがままに通されたのは、立派な食堂だった。  ここ星野邸は、父親が貿易関係の社長であることもあってか、全体的に海外テイストの調度品が多い。  それは食堂とて例外ではなく、なぜかパイプオルガンがどーんと奥に控えていた。式場とかにありそうなものと言えば、大体伝わるだろうか。  しかし、オルガンだけで驚くのはまだ早い。頭上を見上げれば光り輝くシャンデリア、パイプオルガンを背に立てば存在感あるどん帳と…もはや何処かの会場だ。  のぞみは一通り食堂を見せ終えると、遠藤をソファーセットに促した。  だだっ広い食堂内にポツンと置かれたそれは、なんだか借りてきた猫のような居心地の悪さを覚えた。それ単体で見れば立派なのに、なんでまたここに置いたのか…。やはり星野家とは相容れないらしい。ニッコリと微笑むのぞみに隠れて、遠藤は小さくため息をついた。  「本日の依頼は、両親の結婚記念日に関することなの。今から約2週間後の9月20日、2人の記念日を迎えるわけだけど、うちの両親ときたら何もしなくていいって言うのよ!そんなわけにいかないじゃない?だって、2人が結婚しなければ私達だってこの世にいなかったわけだし。…と言うことで、この食堂を利用して2人にサプライズパーティーを開くことにしたの!」  遠藤は、はぁと返事しながらも内心見直していた。なんだ、ちゃんと両親を思いやれる優しい子達じゃないか。日頃の恩返しも含んでいるのかな、と思うと更に泣けてくる。  しかし続く言葉で、遠藤の顔はピシッと固まった。 「折角パーティーをするんですもの、妹達には負けない最高の演出をしたいの!と言うことでよろしくね!」  のぞみはパチンと片目をつぶると、かなえを呼んでくるわ~と席を立った。  そして現れたのが、次女かなえ。長女のぞみと違い、クールで口数の少ない彼女は、現れて早々用件を告げた。 「会場はここ。事前の取り決めによって、パイプオルガンはのぞみ姉さんが、どん帳は私、シャンデリアはたまえが使うことになった。今挙げたものを使って、それぞれの催しを完成させて欲しい。私からは以上よ。たまえを連れてくる。」  ものの数分で姿を消したかなえを見送り、遠藤は両手で顔を覆った。ちょっと…現実が受け止めきれない。  そうこうする内に現れた末っ子たまえは、今子供を中心に人気を博する某魔女っ子アニメの衣装に身を包んでいた。 「みゃはっ☆うちから言うことは何もないのだ!後は、よろしくなのだ☆」  ぴょんぴょんと飛び跳ねては、手に持ったステッキをブンブン振り回す。恐らく、キャラの真似なのだろう。  遠藤はその姿をぼんやりと見つめ、パイプオルガン、シャンデリア、どん帳と…順に視線を移していく。…はぁ、やるしかないか…。    そこから始めった遠藤奮闘記は、涙無くしては語れない―。  まずはパーティー全体の構成からと、姉妹個別に話を聞くところから始まった。姉妹は、まるで口裏でも合わせているかのように「遠藤さんに一任する。」と言い張り、何か漠然とでもアイデアはないのかと尋ねれば、「妹や姉に知られるのが嫌だから言いたくない。」と退けた。  予想通りの反応とはいえ、だったら遠藤一人に任せるなよ…と思うが、もちろん口にはしない。これ以上事態を悪化させてみろ、発狂する。  ようやくおぼろげながら構成が見えてきたのは、記念日の一週間前のことだった。  この時点で既に、嬉しさを隠し切れない星野夫婦は、金はもちろん口も出そうと躍起になっていたが、姉妹の気持ちを慮り最後までノータッチを課した。  そうして辿り着いた記念日当日、事件が起きた。…大方の予想通り、姉妹喧嘩が勃発したのである。  その日、星野家が懇意にするイベント会社との最終確認を済ませ、遠藤が星野邸に到着したのは午前11時過ぎのことだった。  いつも通り衛兵に労われ、鉄門扉がゆっくりと開いていくのを眺めていると、1人の衛兵に声を掛けられた。 「どうやら、お嬢様方のお戯れが起きているようです。」  そっと耳打ちされた内容は、遠藤の顔色をサッと変えた。  余談だが、星野家では姉妹喧嘩のことを“お戯れ”と表現する。恐らく、彼女たちの外聞を気にしてのことだろうが、戯れと表現するには激しすぎる彼女たちの喧嘩に、いつも巻き込まれる遠藤としてはなんとも複雑な心境だ。  そんな“お戯れ”が起きていると…。遠藤は慌てて腕時計に視線を落とした。  時刻は11時4分。音響、照明を含めた最終チェックが始めるのは12時丁度。間に合うのか…?いや、間に合わせるんだ。  遠藤は、鉄門扉を押し開けるようにして走り出した。  「ほんと信じられない!星野家の恥さらし!」 「はぁ?」 「そう言うのぞみ姉こそ、頭どうなってるわけぇー?」  ノックする間も惜しく、半ば体当たりするように開けた扉の先では、案の定声高に言い争う姉妹の姿があった。 「ストーップ!」  遠藤は転がり出るように姉妹の前へと飛び出すと、両手を高く上げた。 「何をしくさっとんねん、このドアホ!今、何時や思うとんねん!ええ!?言うてみぃー!」  これぞ遠藤薫が、星野夫妻に気に入られている要因とも言える。彼女は頭に血が昇ると、バリッバリの関西弁が飛び出すのだ。  途端、姉妹はシュンと大人しくなった。  遠藤はフンっと鼻から息を吐き出し、腕を組む。どうやら、今回は喧嘩が始まって間もなかったようだ。そうでなければ幾ら遠藤が捲し立てようと暖簾に腕押し。下手すれば血の雨が降りかねない惨状と化すのだ。  遠藤はふーっと長い息を吐くと、まるで幼子に言い聞かせるように口を開いた。 「…いいですか、皆さん。今日は大切なご両親の結婚記念日ですよ?一生懸命準備した(私が)ものを台無しにするところだったんです。喧嘩の原因は聞きません(どうせ下らないから)が、その事よーくお考え下さい。いいですね?」  姉妹は大人しく頷くと、更に小さくなった。彼女達なりに状況の判断が出来たようだ。遠藤はホッと安堵の息をつくと、パンパンと手を叩いた。 「さぁ、最終チェックに移りましょう。」  こうして、遠藤の頭脳と類まれなる忍耐によって、その時は迎えられた。  午後5時。ステンドグラスが縁を飾る大窓からは、祝福の夕日が差し込み始めた。  会場となる食堂からは、普段食事をとる長テーブルが取り払われ、星野夫妻の為だけに用意された丸テーブルが1つと椅子が2脚。落ち着いたオフホワイトのテーブルクロス上には、その昔、夫妻がプロポーズを行ったレストランの食事を再現した。更に、全体の照明を絞ることで、テーブル上に置かれたローソクを強調させる。  夫妻が到着した。ビシッと燕尾服に身を包んだ星野氏と、その腕に手を添える夫人。この日の為に特注したという深紅のパーティードレスは、夫人の色褪せぬ美貌を良く引き立てている。  スーツ姿の遠藤に促され夫妻が席につくと、フッと照明が落とされた。真っ暗な中、揺らめくローソクの炎。その炎もフッと消えた瞬間、シャンデリアが煌々と瞬いた。  目もくらむ明るさの中、天井からふわりと舞い降りた天使…ならぬ魔女っ子は、アイテムステッキを頭上高くかかげた。 「ぼくは魔女っ子、たまえなのだ☆2人に魔法をかけるのだ~☆ビビデタマエデブー☆」  シャランラーンという効果音が鳴り響き、照明はチカチカと点滅する。 「これで2人は、28年前の今日にタイムスリップしたのだ~☆」  魔女っ子たまえに当たっていたスポットライトが消され、続いて向けられたのはどん帳。と同時に、夫妻の足元からは駆動音が聞こえ、ゆっくりと席が反転し始める。  ガチャン。固定音を合図に、どん帳がスルスルと上がっていく。 「ある所に星野道長という男がおりました…。」  舞台上には現れたのは、かなえ扮するピエロだ。  ピエロは巧みに身体を操り、星野夫妻の出会いから結婚、姉妹の誕生をコミカルに紹介していく。選りすぐりの役者を用意しただけあって、なんとも見応えのある出来だ。  話はクライマックスへと差し掛かり、壇上のピエロはひょいっと地上に降り立つと、何処からともなく花束を取り出した。そして、流れるような動きで夫人の足元に跪くと、そっと花束を差し出した。  照れたように受け取る夫人の手を引き、立ち上がらせると、視線をパイプオルガンに向けさせる。そのタイミングでパイプオルガンに照明が当たり、のぞみが演奏を開始した。  さっと現れたスタッフが手早くテーブルと椅子を片づけ、星野夫妻はピエロのエスコートによって歩き始めた。  そろそろフィナーレだ。遠藤は、控えていたスタッフに合図を送ると、彼らは音もなく持ち場に散った。  無線を持つ手が震える。最後にして最大の目玉を前に、心臓が暴れ狂う。落ち着け、落ちくのよ薫。ドキドキと喉元までせり上がる鼓動を抑え、ゆっくりと開いていく天井を視界に捉えた。 「今!」  その時、夜空に轟音が鳴り響いた。パラパラと、まるで降りかかるような大輪と“Happy Wedding!!”の文字。  遠藤の肩がふーっと下がった。 「はぁー…これで休める。」  後日、有給休暇をフルに使った遠藤が久しぶりに出勤すると、生暖かい視線が彼女に注がれた。 「なに?」  視線の意図が分からず戸惑う遠藤を、長谷川が手招いた。 「遠藤君。先日の星野様の一件だが、大層お喜びのご様子でわざわざお電話いただいたよ。よく頑張ってくれた!実はその後、星野様からお話を聞かれたご友人方から続々とオファーを頂いてね。おめでとう、君の頑張りが認められた証拠だ。この調子で、よろしく頼んだよ!」  え…? 「遠藤!社長の話聞いただろ?資料用意してるから、とっとと取りに来な!」  朝日川が何か叫んでいる。しかし、腑抜けたように立ち尽くす遠藤には何ひとつ届いていなかった―。
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