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「……なら、藤堂。ちょっと来てもらっていいか?」
「え?」
耳朶を打つ、柔らかな声。
一瞬戸惑うが、これは斎森の『対外用』の喋り方と声だと気がついて、「どうしたの?」とわたしもよそゆきの声と表情で答える。
たぶん、水城くんの「大丈夫、気にしないで」からの続きのセリフなんだろうが、それにしても公衆の面前での呼び出しとは何を考えてるんだこいつは。
いくら『品行方正な美人』『成績優秀な才女』の皮を被っていることで減っているとはいえ、おまえと仲良くしてるように見えることでやっかむ人間はいるんだけども?
新手の嫌がらせか〜? と笑顔の下で威嚇するわたしに、これまた笑顔の下で、うるせ〜来いよと威嚇を返してくる斎森。こんなノンバーバルコミュニケーションしたくないんですけど。
「ちょっと頼みたいことがあるんだ。駄目かな?」
少し悲しげな目をしてみせる斎森。本性を知っていないところっといきそうな威力がある表情だ。チッこれだからイケメンは……。
そして、そんな彼の様子を見て哀れんだのか、相対するわたしのことをじっと見てくる周り。
あああああ視線がうるさい!
「ふふ、わたしでいいなら。力になれるかどうかわからないけど」
「そうか、ありがとう藤堂」
再びにっこり笑う斎森。
ううっ、こう言うしかできない自分が恨めしい。
じゃあ行こうか、と教室の外を顎で示す斎森に頷きを返しながら、わたしは心の中で盛大に舌打ちした。
猫かぶりはどっちだ、性悪王子め。
廊下に出て、斎森について歩く。
いったい、どこに連れて行くつもりなのか。足を止める様子はないので、人に聞かれたくない話をするのだろうか。
「行き先ぐらい言えっての……」
ぼそりと不満を零しながら、前を歩く背中を見た。
高い背丈に長い脚。細身なのに、筋肉がほどよくついていることがわかる背中。
……相変わらず、腹立たしいほどに完璧なプロポーションだ。
そのくせ、歩いているわたしと斎森の間の距離が開かないということは、斎森がわたしの歩く速度に合わせているということ。
……こういうところが、なんというか、また、むかつく。上手く言語化できないけど。
「ちょ、ちょっと。どこに行くつもり?」
「いいから来いって」
むずむずする気持ちを誤魔化すようにそう尋ねると、返ってきたのはぶっきらぼう極まりない言葉。
例に漏れずああん? という凶暴なレスポンスをしそうになったところで、突然、斎森が足を止めた。勢いあまって斎森の背中にぶつかるわたし。
「ったぁ!」
めっちゃ鼻打った! しんっじられんこいつ背中かたっ。弓道部って広背筋鍛えられるのかな……。
「おい、大丈夫か? ったくドジかよ」
「斎森が急に止まったからでしょ!」
いった〜い。むくれながらぶつけた鼻をさすっていると、不意に「ふはっ」と斎森が笑った。
「マヌケ顔」
「はァ!?」
「ちょっと見せてみ」
笑いながら、斎森がぐっとわたしの顔を掴んだ。そしてずい、と顔を近づける。
赤みがかった焦茶の瞳が目の前にきて、わたしはひゅっと息を呑んだ。
「ちょ……さ、斎森」
「あー、ちょっと赤くなってるな」
「斎森」
「ま、でもすぐ治るだろ、このくらいなら――」
「っ近いわァ!」
離せ!
そう叫んで張り手をかます。斎森は軽く目を見開き、「おっと」と言いながら、それをひらりとかわした。
そして、少し不満げに顔を顰める。
「危ないな、何するんだよ」
「何するんだはこっちのセリフだから!」
ばくばく、心臓がうるさい。
顔だけは(……まあ、だけ、じゃないのかもだが)無駄にいいんだから無闇に近づけるんじゃない。
「ったく、ほんっとに可愛くないな」
「斎森に可愛いなんて思われても嬉しくないし。むしろきもい」
「きっ……お、お前なあ……」
眉をひくつかせる斎森に、少しだけ溜飲を下げる。
しばらく経つと、うるさかった心臓も落ち着いてきた。
わたしは一度深呼吸をすると、「で?」と斎森に視線を寄越す。
そして、問う。
「――ここに、なんの用があるっていうの?」
目の前にある扉に掛かる黒のプレートに印字されている文字は、『生徒会室』。
私が連れてこられたのは、馴染みのある場所であり……副会長であるこいつの、仕事場だった。
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