第六話/知恵ある者が勝利する

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第六話/知恵ある者が勝利する

 ペルコヴィッチ伯爵家の次男ブランドンは、アデーレよりも6つ年上の19歳である。軍学校に所属し、来年卒業と同時に王立軍への入隊が決まっている。貴族の次男以下は軍属の者が少なくないが、特に妾腹のブランドンにとっては、何かと気を遣う実家暮らしよりも、寄宿舎生活の方が性に合っているようだ。 「アデーレ、また背が伸びたな。お転婆娘が、すっかりレディになってびっくりしたよ」 「もう、ブランドン兄さま、からかわないで」  アデーレのむくれ顔を見て、ブランドンが相好をくずす。軍人らしいがっしりとした体格に、アデーレと同じ薄茶色の短髪。瞳は屋敷の女中をしていた母親譲りの深いブルーグレーである。古参の使用人から聞いた話では、とても可愛らしい人だったそうだ。  ブランドンは3歳くらいのときに、ペルコヴィッチ伯爵家へ連れてこられたが、生母は今もレヴェックのどこかで暮らしているという。ひとりで父のいない子を産み、幼い我が子を手放す母親の辛さはいかばかりであっただろう。父も罪作りなことをしたものだ。 「で、何だい。相談ってのは」  家族に聞かれたくなかったので、アデーレはブランドンを放牧場へと誘った。本来なら父かセルジュに訴えるべきなのだろうが、そうするとなぜヴィトーの現状をアデーレが知っているのかを説明しないといけなくなる。  ヴィトーが屋敷を出るとき、もう彼には関わるなと約束させられたのだ。使用人と娘が仲良くしていたことが、内心では気に食わなかったのだろう。そのためアデーレは、家族の前ではヴィトーのことは忘れたふりをして過ごしている。 「……というわけなの。どうにかならないかしら」  アデーレはヴィトーの事情を説明し、ブランドンの意見を仰いだ。ブランドンはしばらく考え込んでいたが、うん、と納得したように頷いた。 「正攻法がいいだろうな。ちょっとティトリー子爵に会いに行ってみるか」 「えっ、子爵に?」  その数日後、アデーレはブランドンに連れられて、ティトリー子爵邸を訪問した。あの後ブランドンは、即座に手紙を書いて子爵に面会の約束を取り付け、父には「久々のレヴェックをアデーレと楽しんでくる」と言って家を出た。  もちろん目的は子爵に会うことだが、それは家族には伏せてある。成り行きがどうなるかわからないうちは、話を大きくしない方がいいと判断したからだ。こういう段取りに関しては、昔からブランドンは抜け目がない。 「先日は、ご迷惑をおかけしまして、何とも申し訳なくーー」  ティトリー子爵は、開口一番謝罪の言葉を口にした。伯爵家からの注文に対して、ヘインが無礼を働いたことに責任を感じているらしい。ティトリー子爵はペルコヴィッチ一族の末端に当たる家柄で、伯爵家の事業で家計を支えているため、本家筋には弱い立場だ。しかも、ヴィトーを工房に入れるよう働きかけたのは子爵なので、それを責められると思ったのだろう。しかし、今日の本題は原因となった問題の解決である。ブランドンは単刀直入に切り出した。 「そのことはもう、よろしいのです。二度とヘインには発注しないということを、兄のセルジュから聞いておりますので。ただ、ヴィトーの事でご相談がございます」 「そうでございましたか。私にできることであれば何なりと」  そこでアデーレから、工房の劣悪な就労環境について説明され、何も知らなかった子爵は、驚いて顔色を蒼白にした。 「存じませんでした。私は美術商から聞く、ヘインの工房の評判を鵜呑みにしておりました。ヘインは腕は確かなのです。しかし、弟子を育てられないのであれば、ヴィトーを斡旋するべきではなかった」  ヴィトーの画才を高く買っていただけに、残念で仕方がないという様子だ。アデーレはこの人物が、善良であることを感覚的に確信した。きっとブランドンも同じだろう。 「子爵の伝手で、他の工房に移ることはできませんか?」  ブランドンが尋ねると、子爵は俯いてしばらく考えていたが、決心したように顔を上げた。 「それは可能です。ただ、今の話を聞く限り、他の工房でも同じことが行われているかもしれません。その辺りを、ちょっと調べさせては頂けませんでしょうか」  アデーレたちはその案を受け入れ、ティトリー子爵邸を後にした。子爵は王宮学芸員であるため、その方面の情報網は広い。きっと近いうちにヴィトーの才能を伸ばせる、健全な修行の場を見繕ってくれるだろう。  しかしアデーレは、それだけで終わらせる気はなかった。ヴィトーをひどい目に遭わせたヘインに灸をすえたかったし、他にも同じ目に遭っている弟子たちがいるとすれば、彼らの救済も行われなければならない。アデーレは持てる限りの知恵を絞って、ある一つの方法を思いついた。 「新しい工房を作る?」  翌朝、また放牧場に連れ出されたブランドンは、アデーレからの提案を聞いて目を丸くした。小さい頃からたまに突拍子もないことを言い出す妹であったが、すっかり娘らしくなった今も、その性格は変わっていないようだ。 「ええ、そうよ。もとはと言えば、有名な工房に注文が集中するのがいけないんだわ。弟子を育てて画家の数が多くなれば、それだけ親方の儲けが少なくなる。だから、弟子を育てずに使い捨てにしているってことでしょう?」 「確かにそうだが、だからと言って新しい工房を作っても仕事は来ないぞ。貴族たちは高名な工房で作られた絵が欲しいんだ。それはお前もわかっているだろう。絵の善し悪しよりも、工房の名に金を払いたがるんだよ」  その言葉を聞いて、アデーレは悪戯っぽく微笑んだ。これは妹が何やら企んでいるときの顔だと、ブランドンは気を引き締める。突拍子もないのと同じくらい、アデーレは悪巧みの名手なのだ。 「ティトリー子爵の名を冠した工房を作るのよ、お兄さま。富裕層は実より名にお金を払うのでしょう? だったら、貴族である子爵が営む工房であれば、皆さんありがたがるのではなくて? しかも、王宮学芸員のお墨付きなんですもの。作品の質も保証されているわ」  アデーレの主張は、一見筋道が通っているように思える。しかし決定的な要素が欠落していた。ブランドンはそこを指摘した。 「子爵の名を冠した工房なら、そりゃあ構えは立派だろう。しかし、中身はどうする? ヴィトーひとりじゃどうにもならんぞ。いくら名前が大事と言っても、きちんと技術を持った画家がいなくては、子爵が恥をかくだけだ」 「大丈夫、私に考えがあるの。ちょっとこれを見てちょうだい」  そう言ってアデーレは、手に持っていた紙束を突き出した。それは几帳面に書かれた計画書で、ティトリー伯爵による若手画家の品評会を催す内容が記されていた。 「品評会? 工房を作るっていうのに、なんで品評会が必要なんだい」 「才能のある若手を発掘するためよ。ヘインの工房では、腕のいい弟子ほど潰されるって聞いたわ。きっとヴィトーみたいに虐められて、夢を諦めた人は多いと思うの」  アデーレの計画はそのような人々を広く募り、鑑定眼のあるティトリー子爵に才能を発掘してもらうのが目的だ。そして使えそうな人材がいれば、新工房の働き手として契約を結ぶ。もちろん、親方たちには契約の意向がある事は隠しておく。引き抜きを防止するために、弟子たちに応募禁止を命じられては困るからだ。 「工房の経営は、誰がやるんだ? ティトリー子爵に名前を貸してもらうお願いはできるが、出資や経営までは頼めないぞ」 「二枚目を見て、お兄さま」  ブランドンが紙束をめくって、口をポカンと開けたまま固まった。そこには「名誉顧問/コンラッド・ティトリー」の次に「主宰/ブランドン・ペルコヴィッチ」の文字が書かれていた。
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