第七話/小さなパトロネス

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第七話/小さなパトロネス

 こうして小さな芸術支援者(パトロネス)の計画は動き出し、アデーレとブランドンは再びティトリー子爵の屋敷へ赴いた。父は「また二人で出かけるのか」と訝っていたが、ブランドンが軍学校へ戻る日が近づいているため、アデーレとしては一緒に動ける間に、何としても話をまとめておきたかった。 「お話はわかりました。素晴らしい計画だと思います。私も、若い才能が理不尽に潰されていくのは、芸術を愛する者として非常に辛い。できる限りのお手伝いはさせていただきたいと考えておりますが……」  そこまで言うと、子爵は声を顰めた。子爵邸はこじんまりとした建物で、応接間の隣が家族の居間になっている。おそらくそこにいる妻に聞かれたくないのだろう。アデーレたちも顔を近づけ、子爵の声に耳を欹てた。 「お恥ずかしい話ですが、先立つものが自由になりません。私は婿養子でして、金のかかることは妻に決定権があるのです。大変申し訳ないのですが……」 「いえいえ、子爵に金銭的なご負担をいただくことはございません」  恐縮する子爵をブランドンが遮った。あくまでも名前を借りるだけだと念を押すと、ほっとした表情になったが、次に当然の疑問がわいてくる。 「では、経営はどなたが?」 「名義は私で、実行するのは妹のアデーレです」 「へっ」  子爵の口からおかしな声が出た。無理もない、13歳の女の子が工房の実質的な運営を担うというのだ。しかし、アデーレの計画を説明すると、次第に感心したような面持ちに変わって行った。  実は新しく立ち上げる工房は、商業施設ではなく慈善事業である。「若い芸術家の才能を支援する」というティトリー子爵の理念に、ブランドンが賛同したというのが表向きの筋書きだ。そして二人が貴族や富裕層に広く寄付を呼び掛けることで、資金を調達して初期費用に充てる。  後は工房の面々が稼いだ金から維持費を引いて、働きに応じた配分が行われる。アデーレは遠隔地にいる主宰の兄に成り代わり、その雑務を担当するということで話がまとまっていた。  なお、運営の目的は利潤追求ではなく若手の育成なので、制作料は有名な工房の半額くらいに抑える予定だ。富裕層は安価に美術品を入手でき、国の芸術水準の底上げにも貢献できるので、双方に旨味のある取引になる。きっとヴィトーの馬の絵も受注が復活するだろう。 「なるほど、慈善事業となれば貴族にとって無視することは難しくなりますな」 「ええ、額の多寡はあっても賛同の意を示すことが不文律となっていますからね。それに、美術商を介さないので値切られる心配もありません」  従来は顧客が美術商に値引きを迫り、美術商もぎりぎりまで工房と交渉するのが当たり前だった。しかし新工房では発注者と直の取引に限定する。窓口は子爵である。しかも慈善事業とあっては、金額交渉のできる猛者はいないだろう。 「確かに。寄付金を値切ったりなどしたら、それこそ末代までの恥です」 「ただし、子爵には報酬がお支払いできませんので、それだけが申し訳なく思っています」 「何を仰います。私は長年、芸術家のパトロンになりたいと願っておりました。お陰さまで、ようやく夢がかないました。私が手助けをすることで、工房から優秀な画家が巣立って行くなら、こんなに名誉なことはありません」  それは偽らざるティトリー子爵の願いであった。画家の卵を育成する事業に寄与できる。それは無関心な者にとっては骨折りだろうが、彼にとっては褒美以外の何物でもない。  その時、突然ドアがノックされ、返事をすると半白の髪を高く結い上げた女性が入って来た。子爵がびっくりして姿勢を正す。おそらく彼の奥方であろう。 「失礼いたします。私、マリー・ティトリーでございます。ご歓談中に入室しました無礼をお許しくださいませ。隣までお話が聞こえておりましたので、はしたなくも夫に意見を申し上げたく、参上いたしました」  途中で声を顰めた場面はあったが、大半の話は聞かれていたようだ。まだ縮こまっている子爵に、夫人はきっぱりとした口調で言い放った。 「あなた、せっかくですから工房の運営もご自分でおやりなさいませ。ペルコヴィッチ伯爵家のお手を煩わせてはなりません」 「し、しかし、いいのかい? いつもは私が何かするたびに、反対するではないか」 「それは、あなたが儲からない株に投資したり、怪しげな宗教に寄付したりするからでございましょう。小言のひとつも言いたくなりますわ。しかし、今回は社会的に意義のあることですし、貴族や富裕層から寄付を募るとなれば、年長者であるあなたが率先して行動を起こすべきことです」  要約すれば、若いブランドンやアデーレにお膳立てされて動くのは体裁が悪いので、事業の指揮を自分で執れということだ。子爵は叱られた犬のような顔をしている。それだけで、この夫婦の力関係がわかろうというものだ。 「家内はこう言っておりますが……、如何でしょう。私に、一任していただけますかな」  もちろんアデーレたちは大賛成である。寄宿生活のブランドンと、まだ成人していないアデーレ。二人でどこまでやれるか不安だったが、芸術界の重鎮であるティトリー子爵が矢面に立ってくれるなら、願ったり叶ったりである。 「私も陰ながら、お手伝いしますわ。主人はずっと、芸術は眺めるのが専門でしたけど、その趣味が少しでも世の中のお役に立てるなら、我が家にとっても名誉なことです」  ティトリー子爵夫人も、そう約束してくれた。ちょっと凄みのあるご夫人ではあるが、夫に好きなことをやらせてやりたいという愛情が感じられる。実際、彼女はそれから領内の各工房を回って、貴族の圧力で有無を言わせず全ての若手に応募を約束させた。親方から隠ぺいされないよう、名前を控えて応募作品とすり合わせを行う念の入りようだ。  その結果、子爵のお眼鏡にかなった6名の若手が選ばれ、新工房「C・ティトリー芸術研究院」が始動した。もちろんヴィトーもその一人である。嬉しいことに、若い彼らの監督として、引退した親方たちが無償で協力を申し出てくれた。儲け一辺倒のヘインのような者ばかりでなく、心から芸術を愛する先達もいるということである。  アデーレがヴィトーと再会できたのは、研究院ができた数日後のこと。ヴィトーは最後に会った時より随分と痩せていたが、ようやく最近はまともな生活に戻って、精神的にも落ち着いたようだ。それを聞いて、アデーレはやっと心の靄が晴れた気がした。 「君のおかげだ、ありがとう」 「私は、自分がやりたいことをしただけよ」  週二回のレヴェック通いは続いているものの、昔のように二人で気安く会うことは今後も叶わないだろう。しかし、ヴィトーが好きな絵を思い切り描ける暮らしをしているだけで、アデーレにはこの上ない幸せを感じられた。  また、アデーレは研究院への支援も積極的に行った。家族には内緒だったので、金銭的な貢献はほとんどできなかったが、彼女が企画した「ポルトレを描くサロン」は、領内だけでなく王都からも客が押し寄せ、一週間の期間を10日に延長するほどの成功を収めた。  これは以前に、伯爵家のパーティーで行われた余興を模したもので、若手画家たちの名を広める宣伝効果が絶大だった。特にヴィトーは、奥様方から引きも切らない人気であったらしい。そのため、恒例行事として季節ごとのポルトレ・サロンが行われることとなり、研究院は多額の寄付を得ることとなった。  もちろん、困ったことも少なからずあった。最も面倒だったのは、弟子を引き抜かれたことに腹を立てたヘインが、たびたび研究院に乗り込んでは暴れたことだ。しかし数回目で子爵が手配した警備員に取り押さえられ、貴族が主宰する事業を妨害した罪で厳罰が下った。大金を積んで何とか釈放されたようだが、もうこれに懲りて二度と研究院には関わらないはずだ。  そんな日々の中で、ヴィトーは確実に秘められた才能を開花させていった。この頃から彼は公私ともに「ミロスラヴ」を名乗るようになり、世間の認識もやせっぽちの少年ヴィトーから、新進気鋭の画家ミロスラヴへと変化していった。  Season2――完――
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