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秘書室には数えるほどしか来たことがないけど、いつ来ても落ち着かない。
人数が少ないから元々の空間が狭いし、女子が多くて比較的わいわいしてる総務課とは、まったく雰囲気が違う。
静かっていうか、厳かっていうか。
「神崎室長」
モブローに呼ばれ、PCモニターと睨めっこしていた室長が顔を上げた。
形の良い目が長いまつ毛と一緒に瞬き、視線がゆっくりと私の上に移動する。
「室長、こちら同期で総務の模武……」
「お疲れ、模武野さん。今日、最後なんだってな?」
モブローの言葉を跳ね除けるように、神崎室長が立ち上がった。
「は、はい。実家の父が、体調を崩してしまいまして……」
「そうだったのか。それは心配だな」
「い、いえ。それほど深刻なわけではないので……」
「そうか。ならよかった」
神崎室長は眉毛を八の字にして、微笑んだ。
どうしよう。
顔が熱い。
私のことなんてきっと〝同期の三枝課長代理の下にいる後輩社員〟くらいの認識だろうと思ってた。
まさか、名乗る前に名前を呼んでもらえるなんて。
思わず『もう思い残すことはない』なんて盛大な思考に支配されそうになり、慌てて頭を振る。
「あー、しまった。支社長はちょうど会議に入ったところなんだ。1時間くらいで戻るはずだから、戻ったら知らせようか?」
「え!?」
「するだろ? 挨拶」
「あ、は、はい。でも、その、あの……」
「ん?」
「実は、室長にどうしてもお伝えしたいことがあって……」
「え、俺に?」
「少し、お時間いただけないでしょうか」
私の視線を受け止めた室長の瞳が、ぎくりと強張った。
〝イケメンすぎる秘書室長〟なんて通り名を持つ彼のことだ。
こんなやり取り、今まで何回も……ううん、何百回も経験してきてるに違いない。
きっと、私の言いたいことなんて今ので全部分かってしまったと思う。
相手にするのも面倒だから……と断られるかもしれないと不安だったけど、神崎室長はしっかりと頷いてくれた。
「模武田くん」
「はい」
「そこの打合せ室、空いてたよな?」
「はい。今日は何も入ってません」
「ちょっと借りるよ」
「……わかりました」
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