続・模武たちの平行線

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 神崎室長には、お願いして先に出て行ってもらった。  思い残すことはもうなくなったけれど、号泣した代償に真っ赤に腫れた目が残ってしまったから。  室長はやっぱり室長らしく「氷、取ってこようか」なんて優しく言ってくれたけど、断った。  人口密度の減った打合わせ室は、なんだかすごく広く感じる。  動かない空気を吸ったり吐いたりしていると、カチャリと扉が開いた。 「お疲れ様でーす」 「モブロー……」 「なんだ、泣いてんのかよ」  ノックもせずに入ってきたモブローは、すごく機嫌が悪かった。  二本握っていたペットボトルのうち一本を投げてよこし、打合わせテーブルの端っこに乱暴に腰掛ける。 「室長なら、泣かすことはないと思ってたのに」  もしかして、心配してくれてたんだろうか。 「室長のせいじゃないよ。完全に私のわがままで告白したんだから」  自分のけじめのための告白だったし、今考えると、いくら気持ちが高ぶってたと言っても「抱いて」なんて……セクハラで訴えられてもおかしくない台詞だ。 「別に、告白はわがままじゃないだろ」  拗ねた子供みたいな声が聞こえて顔を上げると、目の前に水色のハンカチが差し出された。  いかにも「ポケットに突っ込んでました」と言わんばかりに皺くちゃだ。 「いらない」 「は?」 「それ、絶対汗拭いたやつじゃん。それに、ハンカチならもうもらった」  モブローは驚いたように目を見開いてから、「拭いてないし」と不貞腐れた。  私はちょっとだけ笑って、グレーのハンカチにもう一度顔を埋める。  室長のハンカチは、涙や鼻水でぐっちゃぐちゃになってもまだいい匂いがする。   「あああああああああ!」  モブローが全身で飛び跳ねるのもお構いなしに、叫んだ。 「好きだったなあああああぁぁぁ!」  顔も。  声も。  仕事してる姿も。  全部、  全部、 「好きだったよぉ……」  吸水力なんてとっくに限界を突破しているハンカチの上に、どんどん涙を追加していく。 「うん……俺も」  穏やかな空気にふいに混じった低い声が、私の嗚咽を止めた。 「……は?」  不貞腐れてたはずのモブローの横顔が、今度はひどく黄昏ている。  え、ちょっと待って。  なんでフラれた私よりも辛そうな顔してるの? 「モブロー、もしかして……」 「俺は、のぞみんが羨ましいよ」  私の言葉を遮って、モブローが眉毛で八の字を描いた。  揺れる視線に「その先は言葉にするな」と訴えられ、仕方なく紡ぎかけていた言葉を入れ替える。 「……フラれたのに?」 「告白したからフラれたんだろ。堂々と室長に告れるだけで、俺はのぞみんが羨ましい」 「モブローも堂々と告ればいいじゃん。室長なら、偏見とかないと思うけど」  そういう問題じゃない、とモブローがぼやく。  弱虫。  そう揶揄いかけて、やめた。  私だって、今日までなにも言えなかったのは、怖かったからだ。  失うものはなにもないーーそう思えなければ、きっとずっと言えないままだった。  押し黙った私を見て、モブローが小さく笑う。 「失恋したもの同士、付き合っちゃう?」 「え、絶対やだ」  即答すると、モブローが「ガーン」という顔になった。  いや、なんでよ。  流した涙も乾かないうちに次に乗り換えるほど軽い女だと思ったか、バカめ。 「私は、地元で素敵な出会いをするの」 「室長よりかっこいい人と?」 「そう!」 「そっか」  モブローは、皺くちゃのハンカチをポケットにしまった。 「俺はやっぱりのぞみんが羨ましい」  肩をすくめて笑い、モブローはドアノブに手をかけた。  ゆっくりと大きくなっていく扉の向こうには、新しい世界が待っている。  そこに、もう神崎室長はいない。  モブローの前を横切り、外へ出た。  背後で扉が閉まる音がして、この恋がいよいよ幕を下ろしたことを知る。  胸いっぱいに息を吸い、ゆっくりと吐いた。 「モブロー」 「ん?」 「元気でね」 「のぞみんもな」  しっかりと頷き、私は、歩き始めた。  新しい明日へと向かって。  fin
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