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*  静かなさざ波の音に、コンビニ袋が擦れる音が重なる。おいで、と手招きされて、躊躇いながらも砂浜に直に座る。  汐凜は袋から瓶一つを取り出して、中身を二つの小さなグラスに注いだ。小さな泡がぷかぷかと浮かぶ。 「それって」 「うん。悪い友達に準備してもらったの、新商品だって。飲みやすいって言ってたけど、分かんないや」   グラスを航理の手に握らせて、汐凜はまた悪気のない顔でもう一つのグラスを掴む。 「ここでは真面目なこと言わないこと。いい?」  まるで弟に言い聞かせる姉のような口ぶりに、航理は仕方なく頷く。汐凜は満足そうに笑って、ここは滅多に人来ないから、と言い訳のようなことを付け足した。 「グラスを口につけて。あ、まだ飲まないでね」  よく分からないまま、半ばやけになって言われた通りにする。汐凜はグラスを持ったまま、器用に航理の腕に絡んで口に運んだ。どこかで見たことがある光景だと、航理は他人事のように思った。 「きょうだい盃って知ってる?」 「多分」  汐凜の長い睫毛が俯いて、苺のように赤い唇に触れたグラスが傾く。その姿に引き寄せられて、透明な中身を口に含む。しゅわしゅわと柔らかい炭酸が弾けた。 「どう?」  飲み干すと、汐凜は腕を離して悪戯っ子のように問い掛けた。一度唾を飲み、航理はそっと目を逸らす。 「ジュースと変わらない」  甘ったるく、弱々しい炭酸。喉の奥に流したはずなのに、まだ舌の上に居座っている。 「だって、ジュースだもん」 「え?」 「あ、やっぱりお酒だと思ってた? さすがにお酒は出せないよー」 「……」 「嘘。お酒だよ」 「……は?」 「んふふっ、どっちだと思う?」 「……」  あっはは、と実に愉快そうに笑いながら航理の背中をバシバシ叩く。小さな手と細い腕のどこに力があるのか、地味に痛い。航理は顔を顰めて、汐凜の腕を掴んだ。 「そうそ。その顔がいいじゃん」 「その顔って何?」 「感情に素直で自由な顔」  汐凜の細い手首から手を離して顔を背け、海を眺める。拗ねたわけではなく、ただどう答えれば良いのか分からなかった。  いくら答えを探しても、見つからない。ふいに、視界の隅にアッシュグレージュの髪が映った。 「所詮、みんな他人なんだよね。そして航理は、他人に興味がない」  猫のように頭を預けた汐凜は、風鈴に似た涼やかな声で告げた。  何となく分かっていた事実を突き付けられて、あぁそうか、と航理はあっさり納得した。興味がないから、誰に対しても心が揺れることはない。それなら―― 「でも、あたしは他人じゃないよ。なんせ兄弟盃を交わしたんだからね」  誇らしそうな声が鼓膜を揺らして、ふっと肩の重みが消えた。視界の隅から汐凜は突然駆け出して、そのまま素足で海を蹴る。  三回、四回。無言で数える航理を振り返って、汐凜は妖しい微笑を浮かべた。 「お姉ちゃんで妹のあたしを、航理はもう裏切れないよ」  沈む夕日を背に汐凜は手招く。まるで遊んでと強請る妹のように。六年前に出会い、妹になった明鈴よりも、汐凜は甘えることに慣れているようだった。  やけに軽い足取りで近づくと、汐凜は海の中に手を突っ込んで、航理にしょっぱい海水を放り投げた。  せっかく制服が乾いたのに。キャッキャとはしゃぐ姿にため息を吐いて、航理は汐凜より大きな手で海水を掬い、汐凜にぶつけた。  興味がないから、誰に対しても心が揺れることはない。それなら――  汐凜を前にして心が揺れるのは、空虚な部分に何かが触れるのは、汐凜に興味があるから。
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