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麻里がホッと大きく安堵のため息をついたのを合図に、斗真は軽トラックのドアを閉めた。
「何だったんだよ、あれ?」
怪訝そうに尋ねる斗真に、麻里は車のエンジンを掛けながら答えた。
「さっきのお婆さんは野川さんって言って、村に一軒だけの食料雑貨店をやっているんだけど、その店の裏にある森も所有しているの」
「へえ。金持ちなんだな」
「こんな田舎の森だもん。言っちゃ悪いけど、価値なんてないも同然だよ。まあ、それはさておき、野川さんはちょっと変わった人で、他の村の人達と仲良くしようとしないんだ。店の客にも、『いらっしゃい』とすら言わないし、こっちが挨拶しても、無言でブスーっとした顔しているだけ。それで村の中には『食料雑貨店が一軒しかないからって殿様商売しやがって』って怒ってる人も結構いるの」
「……要するに嫌われ者なんだな」
斗真は自分の言葉にチクリと胸に痛みが走るのを感じた。
「簡単に言えばそうね。もちろん、だからと言って、村の人達が野川さんに何かすることなんて一度もなかった。でも、最近、野川さんの店舗兼自宅と裏の森を買い取りたいっていう会社を村長が見つけて来たんだ。半導体を作る工場を建てたいんだって。工場ができれば、働き口もできるし、村も潤う。過疎化がどんどん進んでいて、皆村の将来に悲観していたから、久々に明るいニュースだったの。あのぼんくらの村長にしてはお手柄だって村中で喜んだんだけど……」
「その婆さんが売らないって?」
「うん……まあ、そういうこと。絶対に売ってくれようとしないんだ。『立ち退き料がもっとつり上がるまで、売らないつもりだ!』とか、『村の皆に対する嫌がらせだから売る気がないんだ!』とか、『こんなことして、会社が他の村に工場予定地を変更したらどうすんだ!』とか、もう蜂の巣を突いたような騒ぎだよ。普段温厚な人達までヒートアップしちゃって……」
「立ち退き料って十分な額なのかよ? それと、その会社ってちゃんとしてるのか?」
「立ち退き料は店と森を合わせて、相場の三倍以上まで膨れ上がってるみたいだよ。会社の方は、『イーストヘッド』っていう結構大きな電子機器製造会社。東京まで村長と私の上司が確認して来たから大丈夫なはず。有楽町に大きな本社ビルがあったって」
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