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「ただいまー!」
麻里が元気よくドアを開けると、家の奥から優しげな声で返事があった。
「おかえり。やあ、斗真君。よく来たね」
メガネをかけた柔和そうな目を細めて、伸吾がリビングの椅子から立ち上がり、歩み寄って来た。
「……ウっス。お世話になります」
斗真はそっけなくそれだけ言うと、顔を背ける。麻里が結婚する際に初めて会ったときから、斗真は伸吾のことが苦手だった。
伸吾は麻里より三つ上の三十一歳だ。身長は一八〇センチの斗真よりさらに五センチ近くも高いのだが、ひょろひょろとした色白で、男らしさの欠片もない。
斗真が見る限り、いつもヘラヘラと笑っていて、自分の意見を言うことも滅多にない。それどころか、親戚の集まりでは気ばかり遣って、斗真の母親や麻里たちの料理の手伝いや、酔っ払った親族の介抱に追われ、その姿は体のいい召使そのものだ。女たちに顎で使われているというのに、間が抜けた幸せそうな顔でのほほんとしている。
ナメクジみてえに気概がない男だな、と斗真はいつも呆れる思いでいた。親戚は皆、麻里は良い旦那と結婚したと口々に言っているが、ある意味それは正しいに違いない。こんな男、完全に尻に敷かれているだろう。何でも麻里の言いなりのはずだ。
しかし、自分が女なら、絶対伸吾みたいな男とは結婚したくない、と斗真は思っている。伸吾は元々かなり優秀な銀行員だったという話だった。それなのに、結婚するとすぐ東京でのその職を捨てて、故郷の玉原村に麻里を連れて帰って来てしまったのだ。今の給料は当時の半分ほどじゃないだろうか、と斗真は推測している。
「結婚したら、仕事を頑張るのが夫の務めだろーが。何、男のくせに寿退社してんだよ! んなことされて喜ぶ女はいねーんだよ!」
実は斗真の初恋は麻里だった。だから、その麻里の結婚相手がこんな男なのかと落胆を通り越して、怒りを隠せずにいた。斗真は親族皆が集まっている席で、かなり堂々と伸吾の陰口を叩いているから、きっと伸吾も耳にしたことはあるに違いない。しかし、今まで斗真を前にして一度も不愉快そうな顔を見せたことはなかった。
――文句言って来たところをにらみつけて気合入れ直してやるぜ! 場合によっては胸倉ぐらいつかんでやる!
そう待ち構えるように、あえて堂々と伸吾を批判し続けていた斗真は拍子抜けした。そして、そういう伸吾の態度にもまた、「マゾか、こいつは?」と内心呆れていた。
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