罪と罰

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罪と罰

 テーマとしては「罪と罰」にしました。  誰もが知る、ドストエフスキーの有名な作品ですが、「罪と罰」というテーマでは、いくつか違った観点で語ることができるかと思います。  善と悪。罪と罰。  謝ること、償うこと。  裁くこと。許すこと。  ―― 復讐すること。  まず最初に「復讐」についてですが、読んでいて、あまりの生々しさで衝撃を受けた作品についていくつか触れたいです。  いずれも人間の業や欲望、あるいは「悪意」をありのまま描いたバイオレンス作品で、目を背けたくなるシーンも多々ありますが、バイオレンスというジャンルで括りたいわけじゃありません。  渡邊ダイスケの描く漫画『外道の歌』が、窪塚・亀梨のコンビでドラマ化されるという話ですね。数年前に、同じダイスケ氏の漫画『善悪の屑』が映画化される予定でしたが、主演の新井浩文がタイホされちゃったんで流れたという経緯がありますが‥。  映画やドラマは分かりませんが、この漫画、本当にすごいです。  暴漢に妻と子を殺された男が、同じように理不尽な目に遭った人たちのために法律を超えた復讐を請け負う、というテーマですが、単なる復讐劇として読むようなシロモノじゃないんです。  まず前提となる、人の「悪意」の描き方が半端じゃない。その人間の心のうちにある狂気の深淵を、血の匂いや臓器の音といった生々しい質感とともに暴き出すのです。そうしてその理不尽に苦しむ遺族たちの思いを、復讐という方法で形に変えていく。自然災害や病気であれば、誰かを恨むことは難しいので、自分の中で解決するしかない(それはそれで苦しいと思いますが)ですが、明らかに誰かの「悪意」で不幸を強いられたとき、例えば自分の場合、妻や親が理不尽に殺されたりしたら、絶対に犯人に対して復讐を考えると思います。そんなカタルシスがまず前提にあって、魅力の1つ。  よく言われる「そんなこと故人は望んでない!」「復讐したら憎しみが連鎖するだけだ」などという正論も踏まえた上での展開なので、読み応えがすごい。もちろん、憎しみの連鎖というのは確かにあると思うんですよね、だけどそれは、シンプルな螺旋や数珠つなぎじゃなくて、時には波紋、時には波動、場合によっては馬の鞍(ラグランジュ)やメビウスの輪っか、もしくはDNAの塩基配列より更に1,2歩ほど複雑な形をしているのかもしれない、ということ。  実はそれがこの漫画の2つ目の魅力で、後半になると複雑な人間関係(クセ者揃い)の中で、誰が誰に復讐するのか、誰が何の罪でどんな罰を受けるのか、その罰を与えるのは誰か‥。シンプルにサスペンスとしても息を呑む展開になっていて、めっちゃ面白いです。  作者の意図とは違うかもしれませんが、罪と罰のバランスも興味深いなと思った点でした。例えば危険運転致死についてはそのハードルの高さはもちろんのこと、罰として規定されている「1年以上の有期懲役」じゃ甘すぎる、という意見が一般的ですが、じゃあ何年なら妥当かというと、多分、人によって異なるでしょう。この漫画の中では残酷な復讐が行われていきますが、「ちょっと重すぎでは‥」とか「え、これはこんな軽いの?」とか、そんな小さな違和感を楽しむことができます。これが、人が人を罰することの難しさなんでしょうね。裁判員裁判であっても、カンタンに「適切な罰」に至るわけじゃない。  テレビドラマでは、復讐劇だったとしても何らかの正論っぽいものが持ち込まれて、犯人が自首しちゃったりするので、せめて創作の世界では、復讐は成功してくれないだろうか、という思いがありました。それを描いてくれているので、貴重な作品です。ひとつ突っ込んで考察を加えてほしい観点があるとしたら、「現実の世界では復讐劇なんて滅多に起きない」っていう事実。単なる我慢からなのか、その手段が無いからなのか、それとも――。遺族の「心」が辿るプロセスそのものだと思うので、そのあたりも描いてみてほしいなと、一ファンとしては思います。      この『外道の歌』は割と最近読んだのですが、それをきっかけに、過去に読んでかなり衝撃を受けた作品を2つ。  まず山本英夫の『殺し屋(イチ)』です。1998年にヤングサンデーで連載が始まりました。元いじめられっ子の主人公イチが、元ヤクザ稼業の「ジジイ」にマインドコントロールを受けて殺し屋になり、歌舞伎町の暴力団の抗争に関わっていくのですが、この気弱なイチが、強烈な性的サディズムの持ち主であるというところがミソです。  そしてそのマインドコントロールの根源は、「悪いヤツは殺していい」という復讐心に裏打ちされたものです。  こちらは『外道の歌』と比べると、もっとエンターテインメント色が強いかもしれませんが、やはり人の描き方には目を見張るものがあって、ほんわかした良い人しか出てこない物語に食傷気味なときは、とっても新鮮に読める内容だと思います。  なおこちらも映画化されていますが、R-18指定となっています。ストーリーそのものが反社会的とされたからだそうですが、その通りだと思います(笑) 監督は三池崇史です、やっぱねーって感じですね。  そして猿渡哲也の『あばれブン屋』も衝撃作でした‥。1996年にビジネスジャンプで掲載が始まった作品のようです。  これは復讐劇とは違いますが、圧倒的な正義感と義理人情の新聞記者が、圧倒的なガタイの良さと喧嘩っ早さで、暴力をもって悪を懲らしめていくんです。痛快なのはもちろんその正義の側(主人公)なのですが、強くて正義なんてのは珍しくも何ともありません。衝撃的すぎて忘れられないのは、やはり上述の2作と同じように「悪」の側ですね。  日本ってこんなヤバい国だったっけ!?という感覚は、バイオレンス系やヤクザものの作品を見ると思いますが、この作品もまさにそういった内容でした。そして一つ一つのエピソードが、実際に現実で起きている犯罪をモチーフにしているので、社会問題の実際を世に知らしめる役割は確かに担っていたかと思います。この点は、『外道の歌』も同様でした。豪快なようで、しっかり下調べをして、慎重に描いているのが分かり、作者には頭が下がる思いです。  これもドラマ化されていたようです。主演は、えーと、東幹久‥。あんま強そうじゃないんですけど‥笑  とにかく、こういった作品はたまに読むといいなと思いました。  善と悪。罪と罰。  謝ること、償うこと。  裁くこと。許すこと。  復讐すること。  そういえば、25歳のとき、初めてちゃんとお付き合いした人と映画館で観た映画が、東野圭吾が原作の『手紙』でした。山田孝之と玉山鉄二のヤツ。殺人を犯して服役している兄から届く手紙――。ラストは胸が締め付けられるようでした。これもやはり、人の「罪」についての物語です。  そして、実は僕が一番好きなテーマは「自分の罪」について考えるタイプのストーリーです。言葉で書くと誤解を招きそうですが、自分が誰かを傷つけてしまったり、大切なはずの人を大切にできなかったり、良くしてくれた人に不義理をしてしまったり、そんな後悔や罪悪感を描いた作品が好きなんです。  ドラえもんでも、のび太がタイムマシーンで過去に戻って、大好きなお婆ちゃんに「あっち行け!」って言う幼き自分を見るシーンがありますが、あれ、好きだったなぁ。みんな多かれ少なかれ、そういう記憶があるものでしょうか。  自分の中にも「いつか謝りたい人」は何人もいますが、時間とともにそれが、図々しいほど綺麗に昇華してしまうまでは、こういった作品に魅了される気がします。作品自体もそうですが、そういうテーマで何かを書こうとする作家の心根が、そもそも好きなんですよね。  でも、その「いつか」は永遠に来ないとも思っていて、良くも悪くも、プラマイゼロにはならないわけで、それが人生なんだよな、と思ったりします。    最後に考察を1つ。  謝ることと償うことの違いについて考えることがあります。「償う」ということは、自分が相手に空けてしまった穴を、何か少しでも埋める行為だと思います。だから相手本位である必要がある。  でも「謝る」という行為は(誤解をおそれずに言えば)自分本位であって良いし、自分本位であるべき、とすら思っています。  よくドラマで「謝罪させてください、でなければ私の気持ちが済まない!」「あんたの気持ちなんか知ったことか!」というシーンがありますが、それはその通りだなと思うんですが、  でも一方で、「気持ちが済まない」ってことは「今、あなたの許しを得ていないために苦しい」ってことで、それはきっと罪悪感そのもの(、、、、、、、)なんじゃないかって。  だからそれを伝えようという行為は―― もちろん適切な「伝え方」や「伝える時期」というものがあるので、相手のことを考えない謝罪はありえないと思いますが―― でも、謝ることの本質的な意味は、唯一、その1点にあるのではないか、と思うんです。  あなたに許されないと、私は苦しい。  けれどあなたとは、もう会うことはないでしょう。  許されないまま、苦しいまま、生きていきます。   ―― これもまた、罪と罰の物語、ですね。
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