月の水

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月の水

 妻が好きだったという丸谷恵子の『月の水』という詩集があって、借りて読ませてもらって、真似したわけじゃないんですが、同じように好きになりました。  好きになったというか、思い当たる、という感じかもしれません。  その一節。  "心って砕けるんだと 初めて知った日 こなごなになった小さなかけらを ひろいながら泣いた それがある日 もとのとおりのかたちに かえっているのを見つけて 私はもっと泣いた"  悲しくて、涙は流れたはずなのに、それはもう気づけばセンチメンタルというのではなくて、すでに歩き始めてしまっている、自分にがっかりするくらいに。ちょっとドライなほど、圧倒的に逆らえない、押し寄せるリアリティの力。  こういうことって確かにあって、村上春樹の『ノルウェイの森』でも描かれていたし、あるいは高橋留美子の『めぞん一刻』でも同じだったように思います。  めぞん一刻、すごく好きな作品でしたね。音無響子というヒロインが、若くして結婚、早々にその夫を亡くして未亡人になって、やがて「管理人さん」の立場で、冴えない学生の五代くんと出会う。  んで、それからはご存知、惚れた腫れたの話です。  まわりを彩るキャラクターたちも、エネルギッシュで、まるで「生」そのもののような人ばかり。  僕が重要だな(というか好き)と思っているのが、八神いぶきという、教育実習生になった五代くんの教え子となる女子高生。五代くんのことを好きになってしまい、響子さんに宣戦布告する。  この物語の中で八神は、それまでずっと曖昧でぬるま湯、まるではっきりしなかった響子さんと五代くんの関係(まあそれがこの話の面白さでもあるのですが)を、容赦なく浮き彫りにして、露わにしてしまう役回り。  物語の後半で、ある種の起爆剤のように現れます。  これはあだち充の『タッチ』の終盤で、住友里子というアイドルが登場するのと似ているかもしれません。あれも秀逸なエッセンスだったように思います。  止まっていた自分の世界に現実が否応なく流れ込んで来て、ほとんど蹴飛ばされるように歩みを進める。  立ち止まるなんて、許してもらえないくらいに。  めぞん一刻は、基本的には悲しみから立ち直って行く過程を描くので、これはけっこう前向きな物語に思われることが多いと思います。  でも実は、「前向きに生きる素晴らしさ」よりもむしろ、「前向きに生きざるを得ない切なさ」や「前向きに生きられてしまう寂しさ」を描いているように感じます。  記憶って代謝するんですよね、良くも悪くも。代謝不良が何より辛いのかもしれません。    五代くんとの結婚式当日、響子さんの亡くなった元夫の父親が、響子さんに言う言葉。とても好きなヒトコマになりました。  ――あなたはこの日のために生まれてきたんだよ。  
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