ゆうれい秘書

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 午前二時。    トントン、と部屋のドアを叩く音が響いた。年老いた心療内科医がドアを開くが、誰もいない。不審に思いながらもドアを閉め、部屋の方へ振り向くと、そこに青白い顔の女が立っていた。頭と両腕をだらりと下げ、割れた前髪の隙間から見上げる瞳に生気はなかった。  西暦3000年。 『正月は家族みんなで宇宙旅行』のCMが流行したこの年、人々は浮かれていた。日本海海底で発掘した新型エネルギーにより、日本史至上最高の好景気時代を迎えていた。ロボット化が進んだ近未来社会では労働も減り、ストレスはなく、くよくよと悩む人などいない。心療内科医院は廃業同然だった。  そんなある日の深夜に医院に予約が入った。三年ぶりに聞いた予約の声は若い女からだった。 「おっと、ご予約の方ですな。ささ、奥へどうぞ」  医師はしわしわの白衣を羽織ると、久々の患者を張り切って迎え入れた。  女を診察室に案内し、椅子をすすめた。しかし、ふと見るとスカートの下から見えるはずの足がない。心なしか姿も透けて見える。医師が目を擦っていると女が口をひらいた。 「夜分遅く申し訳ございません。お察しのとおり私は幽霊です。あなたに危害を加えるつもりはありません。ただ、ご相談に乗っていただきたくて参りました」 「これは驚きました。三年ぶりの患者が幽霊とは。まあ、せっかくいらっしゃったのですし、一応お悩みをうかがいましょうか」  女は丁寧にお礼を言うと椅子に座り話し始めた。  女が言うには、自分はロボット最新技術開発の大企業、パイナップル社の社長秘書をしていた。しかし激務とストレスから病気になり、先月亡くなったばかりだという。 「あのパイナップル社にお勤めだったとは素晴らしい」 「確かに先生のおっしゃるとおり、世間的には立派な会社でしょう。パイナップル社がロボットを大量生産して以来、世の中の労働は激減し、人々にゆとりある生活をもたらしました。でも、パイナップル社の社員は逆です。陰で必死に働らかされているのです」 「なるほど、そうでしたか。それで、ご相談というのは?」 「まず、私は社長を大変恨んでおります。社長のせいで私は過労で死にました。私だけではありません。社長は社員にとても厳しい人で、こき使われて病気になり、亡くなった社員は数知れずおります」 「ほお、それはゆるせませんな」 「はい、社長に報復するまでは未練が残りあの世にも逝けません。ですから死んでから真っ先に呪うことを思いつきました。そして基本的なところから始めました。物を勝手に動かすとか、ラップ音を鳴らすとか。でも高齢の社長は物が勝手に動いても老眼でよく見えておらず、ラップ音も耳が遠くて気にならないようでした」 「心霊現象は無駄足に終わったわけですな」 「ええ。そこで死んでから友人になった死神の力を借りることにしました。私はさっそく社長にとりつくようお願いしました。死神は三日間の契約で引き受けてくれました」 「ほう、それでどうなりました?」 「死神が社長にとり憑くとすぐに、社長の乗った車が交通事故に合いました。でも、社長の乗っていた車は世界最高級車で頑丈な車でしたので、他の車がふっ飛ぶだけ。社長はまったくの無傷でした。次に死神の力が働いたのは、社長の経営する会社の工場の大爆発でした。これで社長の会社は大打撃をうけ、会社は倒産するかと思ったのですが、これもダメでした。工場は完全自動機械化がされており、人的被害は皆無だったうえ、爆発に伴う火災消化から事後処理まですべて速やかに行われ、また消失した工場の生産ラインは緊急時の補償プログラムが作動し、遅れを出すことなく解決しました。工場のひとつは失ったものの、このリスク管理能力の高さが評価され、受注が世界各国から殺到し、結局、失った工場の損失の数十倍は売上げにつながりました」 「なんて悪運の強い社長だ」 「死神にもプライドがあります。契約最後の三日目、本気を出すと言いました。社長を重い病気にして命を奪うというのです」 「でも、悪運の強い社長は病気にはならなかったのですな?」 「いいえ、病気にはなりました。死神ですから、人を病気にするくらいわけありません。ですが結論から言うと失敗でした。世界でも指折りの医者が、手術を成功させてしまいました。これは社長の人望というよりも、社長に恩を売ってコネを作ろうという人と、病で死ぬなんて許さない、生きて苦しむ姿が見たい、という人と両方の思惑が合致した結果、死神の病を退けてしまいました。死神はこんな悪魔のような人間は初めてだ、と言って自信を失いあの世に返ってしまいました」 「なるほど。それで万策尽きてここに来たわけですか。うーむ。いっそ社長に直接恨みの言葉をぶつけてみてはどうでしょう。それが一番すっきりすると思うのですが」 「私もそう思いました。だから、思い切って社長の部屋に化けて出てやったのです……!」 「ほお、死んだ秘書が夜中に現れたら少しは驚きましたかな?」 「いいえ。夜中に私のように恨みを持って化けて出る社員があまりに多くて、うんざりしていらっしゃいました。そして私にこう言ったんです。 『君、大事な仕事を途中で放り出して勝手に死ぬなんてワシはゆるした覚えはないぞ。そうだ、ちょうどいい。夜に訪ねてくる幽霊たちのスケジュール整理をしたまえ』  生きていた時にもこき使われましたが、死んでからは報酬もなく、もっとこき使われています。それが私が今日、相談したいことなんです」
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