深夜のトランプ

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深夜のトランプ

 ざざーっ……。  砂浜を波が駆け下りる。  小石と小石が擦れる音で目が覚めた。 (あ、寝てた……)  高校生になった年のお盆。2年振りに母親と夏菜の家に来ていた。母は1階で叔母さんと話し込んでいる。  カーテンを開け、窓から外を見ると海の上に月が浮かんでいた。  その時……。  トントン。 「洋輔、起きてる?」  夏菜がドアから顔を覗かせた。 「あっ…、起きてるよ」 「眠れなくて。……トランプしない?」 「いいよ」  愛嬌のある顔で笑いながら入ってくる。  一人っ子どうしの自分たちにとって、互いの存在は特別だった。小さい頃は違う家に住んでる姉だと思っていたし、中学の頃は何でも相談できる貴重な女友達だった。 「このトランプ、可愛いでしょ?」 「ディズニーランドに行ったの?」 「そう」  嬉しそうに言う。 「それで、おれへのおみやげは?」 と右手を出したらパチンと弾かれた。  深夜のトランプはページワン、神経衰弱、ポーカーと続いた。小さい頃からこの家には何度も泊まりに来たけど、夜中に二人でこんなに盛り上がったのは初めてだ。 「じゃあ、今夜の最後。何か賭ける?」  たぶん軽い気持ちで夏菜は聞いた。  ぼくは、思い切って言ってみた。 「そうだな。おれが勝ったら……、そのネックレスくれる?」 「えっ、これ?」  一瞬間があいて、夏菜は言った。 「……いいけど、これ高かったんだからね」 「カッコいいよね、それ」  夏菜の首元で光るネックレスにはシルバーのトップが付いていた。 「これはね、私が高校受験の時、魔除けのつもりで買ったのよ」  シンプルで飾り気のないトップはちょっとワイルドで、女っぽい夏菜が付けると何だかアンバランスでカッコ良かった。トップには何か文字が彫ってあったが、文字までは見えない。 「だめって言われるかと思ったよ」 「いいよ。洋輔が欲しいなら、あげよう。ただし、勝ったらね」 「ようし、絶対勝つ!」  俄然気持ちが盛り上がった。 「でも、私が勝ったら、何をくれるの?」 「えっ…っと」  自分のことを考えてなかった。 「何でも……、何でもいいよ。欲しいものがあれば」 「ほんとだね」  急に悪戯っぽい目になる夏菜。 (何を持ってかれるんだろう)と内心ビビる。    勝負はポーカーで一発。  ピアノを習っていた夏菜の伸びやかな指があっという間にカードをくった。  そして、5枚ずつ配られる。  ひどい手だった。 (これじゃ勝てないかも……。折角のチャンスなのに) 「洋輔からどうぞ」  3枚カードを切り、新たに3枚を手にする。  カードをめくる時、目が合った。その目は僅かに笑っていた。 (自信有りげな目…) 「じゃ、わたしね」  夏菜は一枚切って、一枚手にする。 (一枚でいいんだ)  そして、ちらりとこちらを見て涼しげに言った。 「オープン」  カードを見せる。 「AとKの2ペア」  自信無くそう言うと、 「ふふっ」と夏菜が声を漏らした。 (やっぱりだめか……) 「わたしはね…」  意味ありげな目でカードを開ける。  パサっと音を立てて床に広がった手は、クイーンのワンペア。 「あ~あ、負けちゃった」  夏菜があっけらかんと笑う。  思わず「よし!」とガッツポーズをしてしまった。  夏菜はすっお両手を首の後に回して、頭を少し前に傾けた。 「しょうがないな」  そう言うと、ネックレスをゆっくり外す。 「夏菜のスペシャルモデルだからね」  そう言って「よく見なさい」と言わんばかりに、ぼくの目の前にぶら下げた。 〝 NATSUNA 1995 PISCES 〟  そうか。そう書いてあったのか。  1995は夏菜の生まれ年。PISCESは魚座。  揺れるシルバーのトップは邪気を跳ね返すように鈍く光っていた。 「じゃあ、約束どおり……」  そう言うと夏菜は目の前のトランプをよけ、ぐっとぼくに近づいた。それから黙ってぼくの首に両腕を回す。 (っ……)    体が固まる。  夏菜の甘い匂いが至近距離で香った。  いくら仲が良くてもこんなに近づいたことはない。  さっきまで夏菜の胸に下がっていたトップは、ぼくの胸にやって来た。 「……」    あのおしゃべりが何も言わない。  上手く()まらないのか、時間がかかっている。額が熱くなってきた。  すると…。  カチッ。  微かな音とともに繋がった、らしい。  ゆっくりと戻る夏菜。 ……とその時、ぼくの肩にかけた手が滑り、体勢を崩した夏菜は思い切りぼくに寄り掛かった。いや、正しくは抱きついた。もちろんそれは意図的ではない。  急な出来事にどうしていいのかわからなかった。 この不自然な状態から回復しなければと頭は思うが、心はこのままでいたいと願っていた。夏菜も多分、そうだったと思う。 (どうしたらいい?)  焦る心は答えを見つけられないでいる。  一瞬の沈黙を破ったのは夏菜だった。  夏菜はぼくの顔の横で小さく言った。 「大事にしてね…」  固唾を飲んで頷いた。  それから夏菜は頬を寄せ、遠慮がちにぼくを抱きしめた。  波の音しか聞こえない静かな部屋で、互いの心臓の音さえ聞こえそうな夜、 「…おまけ」 と言うと、夏菜はぼくの頬に口づけた。  瞬間、頭の中が真っ白になり、体中を電気が走った。  夏菜は目を伏せたまま、固まったぼくから後ろに下がる。そして、真っ直ぐにぼくを見た。  優しくて、照れたようなその目が、小さい頃から大好きだった。  それは天からの贈り物のような時間。  その時だ。  あの貝がらの匂いが漂った……。 (あっ)  ……いつもそこで夢は終わる。
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