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1.人間の言葉を話す猫
『先輩の奥さん、先週から海外赴任中なんですよね』
リモート会議の終盤、後輩の横田が思い出したように言った。
『新婚早々ひとりぼっちでさみしくないんですかあ?』
「別に。一緒に暮らしてる男もいるし」
素直に答える気にならなかったのは、それがあまりにも図星だったからだ。
『え? 男? ええっ?』
モニタ画面ごしでも横田の動揺が伝わってきて内心愉快になる。
『先輩、それどういうことっすかあ!』
「ふふっ。それはこういうことでーす」
ここで種明かし、同居する男、もといオス猫を抱き上げてみせる。すると横田は目を丸くし、甲高い声で叫んだ。
『うわあ、かわいい! 先輩、今度モフらせてください!』
***
「ふふっ。あの時の横田の顔、すごかったなあ」
僕が話しかけているのはさっきリモートで登場してもらった猫だ。ブサカワな顔が特徴的なエキゾチックショートヘア、名前はチャンプという。
チャンプはご機嫌にしゃべる僕をじっと見つめている。
知り合った頃からチャンプはこういう猫だった。人が話しかけると、その人の正面に移動し、座り、そしてその人の目をじっと見つめるのだ。まるで人間の言葉がわかるかのように。
今、僕はローテーブルで簡素な夕食をとっている。その向かいにはチャンプがでんと座っている。御年十歳、六キロもある大柄な体格とブサカワな顔の相乗効果で、至近距離だとなかなかの迫力だ。
「ね。今度ここに横田を連れてきてもいい?」
僕の問いかけにチャンプが小さく首を傾げた。これはイエスか、それともノーか。
「チャンプのこと、モフらせてあげてもいい?」
うーん。まだ僕にはチャンプの考えていることがよくわからない。
「……ああでも」
ひとしきり妄想で楽しんだ後、ふっと得も言われぬ感情におそわれた。
「チャンプがモフってほしいのは横田じゃなくて、巴ちゃんだよね」
巴ちゃんはチャンプの本当の飼い主だ。そして僕の妻でもある。
「ね。巴ちゃんに会いたい?」
やっぱりチャンプは何も言わない。
「僕は……会いたい。巴ちゃんに会いたい」
某有名企業で働いている巴ちゃんは、入籍後、すぐにアメリカに赴任してしまった。それが先週のこと。半年の赴任期間が終わるまでは日本に戻ってくることは難しいらしい。
愛する妻と離れ離れで暮らすのはそれなりにきつい。正直いってさみしい。一緒に暮らしたこともないって、本当に夫婦といえるのだろうか?
でも僕は巴ちゃんに本心を打ち明けたことはない。巴ちゃんは今の仕事にすごくやりがいを感じているから。だから僕もここで僕にできることをする。その筆頭がチャンプだ。妻の愛猫の世話は夫である僕がすべきことだ。
「ほら。もっと食べなよ」
カリカリの入ったフードボールをチャンプにそっと押した。新婚なのに猫相手に夕食をとる毎日に思うところはあるけど仕方ない。
「ほら。食べなって。最近食が細いんじゃない?」
一日に食べさせるカリカリの量は巴ちゃんから聞いている。だけどチャンプは僕のアパートに住みだしてから八割ほどしか食べておらず、それが微妙に気になっていた。八割ってダメなのだろうか。それとも誤差みたいなものなのだろうか。
「おかしいなあ。このカリカリ、どんな猫でもとびつくってサイトで宣伝してたのに」
けっこう高かったのに、と独りごちる。
「うーん……。明日にでも一度病院に連れて行った方がいいのかな……。ね、ほら。食べよ?」
すると、僕の再三の勧めにチャンプがようやく口をひらいた。
「お、食べる気になったんだね」
期待しながら様子を見守る僕は、この後、とんでもないことが起こることをまだ知らない。
「人間よ。俺はこの味は好まない」
そう――なんとチャンプが人間の言葉を発したのだ。
「……ん?」
驚きすぎて完全に思考が停止した僕に向かって、チャンプがまた口をひらいた。
「俺はいつものマルハチのまぐろ味を好む。新しいものになど興味はない」
いつものにゃーにゃー言う声とは正反対の、低音の渋い声だった。
***
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