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2.勝負だ
今、チャンプはご所望のカリカリをいい音を立てながら咀嚼している。
その様子を僕は口をぽかんとあけて見つめている。
「人間。お前も食え」
「あ、うん」
食べかけだった煮物に箸をつけようとして。
「……じゃなくて!」
ばん、と箸をテーブルに叩きつけていた。
「なんだ? 俺は食事は静かな方がいいのだが」
「じゃなくて! これ、夢? 夢なの? 痛い!」
自分で自分の頬を思いきりつねったらすごく痛くて涙が出た。
「お前は阿呆か」
チャンプが冷めた目で僕を見ている。
「巴はなんだってお前なんかと結婚したんだろうな。あれほど賢く美しい女だというのに」
「……あはは。それは僕にもよくわからないんだ」
一年前――高校の同窓会で久しぶりに再会した巴ちゃんは、同級生の誰よりも輝いていて。当時からあこがれていたけれど、社会人になった巴ちゃんは完全に別世界の人になっていた。それでも勇気を出して話しかけたら、なぜか連絡先を交換するに至り――そこからはとんとん拍子だった。
結婚は急だった。巴ちゃんのアメリカ赴任が決まって「せめて籍だけでも」という雰囲気になり、それで。
「というか! なんで猫なのに人間の言葉が話せるんだよ」
今は僕と巴ちゃんのなれそめについて語っている場合ではない。
猫が人間の言葉を話す――そんな小説や映画の世界のようなことが現実に起こるなんて、すぐに信じられるわけがない。
「人間よ。目の前の事実とは受け入れる他ないものだ」
空になったフードボールの前で、チャンプが満足げに前足を舐めながら言った。
「俺は人間の言葉を話せる。お前は俺の声を聞き、俺の話を理解している。それが事実だ」
と、チャンプが前足でフードボールをこんこんと叩いた。
「それよりも人間。覚えておけ。俺の食事には必ず新鮮な水を添えることを」
「あ、はい」
そういえば巴ちゃんにも水のことは言われていたっけ。
「ね。巴ちゃんはチャンプが話せることは知ってるの?」
ウォーターボールを置きながら問うと「知らない」とそっけなく返された。
「だよねえ。巴ちゃんにとってのチャンプは目に入れても痛くないかわい子ちゃんだもん」
なのにこんなふうにオス味のある低音で話されたら、ショックを受けてもおかしくない。
「俺はかわい子ちゃんじゃない。立派なオスだ」
「はいはい」
「もっと水をくれ」
「はいはい。これで満足?」
追加の水を注ぎながら「ところで、どうして僕には人間の言葉を使おうと思ったの?」と訊いたら、「食事が最悪で我慢ならなかったからだ」と言われた。「ぺらぺらしゃべってうるさいし、水を出さないし、しまいには鳥臭い飯ばかりを出されてかなわん」と。
「それともう一つ」
ぺろり、と舌を動かし、チャンプが僕を見据えた。
「人間。俺と勝負しろ」
「勝負?」
「そうだ。もしも俺が勝ったら俺の命令に従ってもらう」
すごみのある言い方に背筋がひやっとした。
「……それって簡単なこと?」
「それはお前次第だ」
そんな風に言われたら不安しかないが、猫相手におびえていては人間の沽券にかかわると思いなおす。
「じゃあ僕が勝ったら?」
「お前も俺に何か命じていい」
「だったらこのターキーのカリカリ、全部食べてもらうからね。すごく高かったんだから」
「ぐっ……。まあいいだろう。オスたるもの二言はない」
「いいよ。受けて立ちましょう」
「その心意気や、よし」
「で、どんな勝負をするの?」
「巴に関するクイズだ」
チャンプが考えた勝負というのは、遠くアメリカに住む巴がその日どんなふうに過ごしたのか、テーマを決めて当てるというものだった。
「初回のテーマは食事といこうか」
チャンプがまたフードボールをこんこんと前足で叩いた。
「昨日、巴が何を食べたのかを当てた者の勝ちだ」
なんとも子供じみた勝負で、完全に気が楽になった。
「了解。ああでも」
「なんだ?」
「あ、うん。巴ちゃんがあっちでどんなものを食べているのか、訊いたことないなって思って」
赴任したばかりで忙しそうだから、いわゆる世間話や無駄話をする雰囲気ではなくて。それで連絡は短いメッセージを送る程度に控えていたのだ。
「じゃあ僕はハンバーガーにするよ。アメリカといったらハンバーガーでしょ」
「ならば俺はコーヒーにしよう」
「ええっ! 飲み物もありなの? ずるくない?」
「ずるくはないだろう。ほら、さっさと訊け」
「はいはい。わかりましたよ」
しゃべり方のせいか、ブサカワな顔のせいか……チャンプに強く言えない自分がいる。ううん、一番の理由は僕もわかっている。チャンプは巴ちゃんの大切な猫だからだ。正直、巴ちゃんは僕よりもチャンプのことを好きだと思う。嫉妬した回数は定かではない。
「メッセージだと埒が明かないから電話をしろ」
「ええー……」
「電話だ」
確かに、メッセージだと細かいことまで訊きづらい。少しためらったものの、チャンプの顔圧、眼光の前に、思いきって電話をかけた。この時間ならあっちは朝、巴ちゃんもまだ家にいるはずだ。
『……もしもし? 尊くん?』
それは日本をたって以来の愛妻の声だった。
「あ、巴ちゃん。おはよう。ごめんね、朝の忙しい時間に。今いいかな」
『うん。大丈夫。急にどうしたの?』
「あのさ。えと。昨日、何を食べたかなって思って」
『……え?』
「あ、ごめん。忙しいのにこんな変な話をして。あの、ちょっと知りたくって。その、巴ちゃんがそっちでどんなものを食べているのか」
あわてて言うと、しばらくして巴ちゃんがくすっと笑った声が聞こえた。
『昨日はね……』
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