残り香のゆくえ

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 父、浩一の命日には家族三人で墓参りに訪れるのが通例になっていた。朝早くに行き墓前に手を合わせて帰るだけの簡単な行事だった。  その日は、父方の親戚も同じ時間帯に来ていた。すっかり疎遠になり、肩身の狭い母、陽子は挨拶もそこそこに帰り仕度を始めていた。  貴久は尿意を催し、一人トイレを探した。道を間違えたのか、反対方向にある、先ほどまで居た墓石が並ぶ場所に出てしまった。踵を返そうとした瞬間、誰かの話し声が耳に入った。 「陽子さん、立派よね。私なんて実の息子でも時々邪魔だって思っちゃうのに。赤の他人を一人余計に育てるなんて絶対無理よ」  親戚が話している内容が、すぐに自分達家族の事だということがわかった。見付からないように慌てて隠れる。  どうしていいかわからず、ただ立ち尽くしていた。 赤の他人……。 この言葉の意味がすぐに理解できなかった。陽子とは、母の名前で、息子とは自分達二人の事だよな、というわかりきった事実だけを貴久は頭の中で反芻する。  赤の他人という言葉だけが、まるで異物のように、貴久の脳はそれを受け入れることを拒んだ。  聞いてはいけない事を聞いた気がして、その場を一刻も早く離れたかった。だが、足が動かない。そのくせ、聴覚だけは機能していて、悪意を孕んだ声が聞こえてくる。 「子供を引き取る代わりに苦労しないだけの金が手に入ったと思えば楽なもんよね」 「言い過ぎよ。陽子さんはそんなつもりで浩一と結婚した訳じゃ……」 「そんなの誰にも分かりゃしないわよ。腹の中じゃ、思ったより早く死んでくれた、なんて思ってるんじゃないの?」 「そんなわけないでしょ。お金目当てならわざわざ、子連れバツイチの浩一なんか狙わないわよ」 「それもそうね」  おばさん連中の嫌に高い笑い声が頭の中で響く。 「貴久何してんだ?」  突然聞こえた弘の声で、貴久の心臓が早鐘を打つ。 「あっ。道間違えちゃって」  短くそれだけ答えた。弘は今の話を聞いていたのだろうか。 「母さん待ってるぞ。早く行こう」  出入り口までの道を進んで行く弘の顔を窺い知ることは出来なかった。
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