残り香のゆくえ

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 帰りの電車の中で、ずっと同じ事を考えていた。  赤の他人……。自分と弘のどちらかが、陽子とは血の繋がらない息子なのだという事実。どちらか? いや違う。貴久はすでにその答えを出していた。  浩一は、陽子と結婚する前に既にバツイチ子持ちだった。ということは、浩一の子は兄である、弘に違いなかった。そして、浩一と陽子は自分を産んだのだ。貴久が三歳の頃、浩一は事故であっけなくこの世を去った。自分が弟なのだという偽りようのない事実が、貴久の考えを確信に変えた。  つまり、弘は母である陽子とは血の繋がりがない……。  確かに、考えてみれば思い当たる節はいくつかあった。  陽子の二人への接し方に違いがあった。陽子も、母である前に一人の人間なのだ。血の繋がりのない息子を、時に疎ましく思う事もあったのかもしれない。赤の他人を育てる事に不満を感じる事があっても仕方のない事だった。  弟の貴久から見ても、弘に対しては少し厳しく思えた。例えば、口答え一つにしても、弘のそれを許す事はなかった。時に強く叱り付ける。一方で自分は叱られたという記憶はなかった。反抗期などは訪れてはいないし、陽子を困らせることはあまりない自分が、叱られる理由も特に思い付きはしなかったけれど。  一週間前の、財布の件に関してもそうだ。  貴久は、陽子に財布を失くしたと嘘をついた。全くの別件ではあるが、兄弟そろって短い期間に、財布を失くすという失態を陽子はすんなりと受け入れた。そして、意外にも陽子は貴久に新しい財布を買い与えたのだ。  弘には自分の金で買うように言い付けた陽子が、自分には新しい財布と、金まで用意してくれた。  事実を知った今になって改めて考えると、それはやはり差別のように思えてくる。  だとすると、弘が自分の財布を埋めた理由にも説明がつく。貴久は、弘を責める気にはなれなかった。  弘はいつからか、母と自分との間に血の繋がりがないという事実に気が付いていたのだろう。  それが陽子の言動からなのか、あるいは偶然なのかは貴久には知る由もない。  どちらにせよ、その事実が発覚してからは、陽子に、あるいは自分に、多大な不信感を持って過ごしていた事が容易に想像ができた。  弟だけが、愛情を一身に受けているという疎外感、劣等感を胸に抱きながら生活していたのだ。それがどれだけ辛い事なのか、貴久にはとても計り知れなかった。  このままではいけない。貴久は強く思った。  血の繋がりなどなくても三人は家族なのだ。共に暮らしてきた時間は血縁以上の繋がりを持つのだ、という事を母と兄に伝えなければ。  貴久は先に電車を降りた弘の後ろ姿を追い掛けながらそう決意した。
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