意地悪な神様

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窓を開けると、室内の気温より確実に暑いのだが、まだ、誰の肺にも触れたことがないのではと思える爽やかな風が、一気に病室に吹き込んだ。 「ああ、やっぱり、エアコンの風より、こっちのが断然良いね。」 タクミが、楽しそうに笑ってみせた。 「本気なんだな。」ケンジは、ゆっくりと確認するように聞いた。 「ああ、何度も、何度も、考え抜いた結論だ。」 タクミは、きっぱりと、そして、もう誰にも、その考えを変えさせないという目つきで答えた。 もう、それしかないのかとケンジは思ったが、実際に実行に移すには、あまりにも荷が重すぎる。 タクミの奥さんのマリコは、ただ、タクミとケンジの会話を、ややうつむき加減で聞いているだけだ。 その表情は、もう諦めたというか、どちらかというと、その問題について考えるのは、疲れはてたという感じに見える。 話を最初に聞いたのは、2日ほど前の事である。 マリコが、相談があると、ケンジのところに訪れた。 タクミを殺して欲しいと言うのだ。 いや、正確には、タクミが、自分を殺して欲しいから、それをケンジに頼んでくれと、マリコに言ったというのだ。 普通なら、自分を殺してくれなんてことを、信じる訳がない。 でも、タクミの状況と、タクミの性格を知っているケンジには、漠然と、理解できたのだ。 タクミは、交通事故で、首から下が完全にマヒした状態だ。 5年前に事故に遭ってから、その状態が続いている。 これから回復する見込みも無いと言う。 ただ、毎日、ベッドの上で横になっているだけだ。 そんな気持ちになっても仕方がないということは、弟としても思うのである。 「タクミさん、これからの将来、どんなに楽観的にイメージしても、今より良い状態になっている自分を想像できないっていうんです。これから、何十年も、このままの状態でいることに耐えられないって。それに、もし何十年も生きて、あたしが先に死んじゃったりしたら、タクミさんのお世話をする人もいなくなっちゃうし。それが怖いらしいの。」 「うん。まあ、そのところは、僕も理解できる話かな。でも、マリコさんは、それで良いのですか。」 「わたしは、タクミさんに生きていて欲しい。だって、どんな状況になっても、タクミさんの事を愛してるから。たぶん、殺してくれって言うのは、あたしのために決めたことだと思うんです。タクミさんが、寝たきりになって5年経つでしょ。その間、あたし、ずっとタクミさんのお世話をしてきた。それを見ていて、あたしのことが可哀想に思えてきたんじゃないかしら。あたしが、タクミさんの犠牲になってしまうことが嫌なんだと思うんです。」 「うん。そうかもしれないですね。」 ケンジは、兄の性格からして、そう考えるだろうなと思った。 「タクミさん、まだ50才でしょ。これから先、タクミさんが、例えば70才までなのか、80才までなのか生きるとするでしょ。そしたら、その20年とか、30年とかを、あたしは、タクミさんの犠牲になって生きることになる。ううん。あたしじゃないの、そうタクミさんは思っているの。だから、それを想像すると、殺して欲しいってなるみたいなんです。これからのあたしの人生を、もっと楽しんで欲しいって言うんです。」 「たぶん、兄の考えることは、僕も理解できるような気がします。それで、マリコさんは、どうして欲しいんですか。」 「分からないんです。ただ、あたしは、タクミさんに、ずっと生きていて欲しいし、そばにいて欲しい。でも、あたしが、そばにいることが苦痛なら、タクミさんの願いを叶えてあげることが、タクミさんの為なのかなあって思う時もあるんです。」 「じゃ、殺してもいいって思ってるんですか。」 「ええ。タクミさんと、ずっと話し合っている間に、もう、それしかないのかなと、あたしも思うようになってきたの。だから、あたし、言ったことがあるんです。あたしが、タクミさんを殺してあげようかって。」 「それで、どう兄は言ったの。」 「ダメだって。あたしが殺したら、あたしが殺人者になってしまうって。一生、人を殺した罪を背負っていきることになってしまうからって。」 「、、、、だから、僕に、殺せって。」 「あははは。そうですよね。ケンジさんが殺したら、ケンジさんが、殺人者になってしまいますもんね。」 それまで、暗い表情だったマリコさんが、何かのツボにはまったのか、急に明るく笑いだした。 「そうそう。今気が付いたけど、マリコさんは、そう言う風に、笑っている方が良いですよ。物事、暗い気持ちで考えちゃダメだ。それにしても、兄は、厄介なことを言いだすもんですね。僕に、殺人者になれってさ。」 「ですよね。」 マリコさんは、目をキラキラさせながら、今日1番の笑顔を見せた。 「でも、分かります。兄を殺すなんてことは、この世で、僕にしか出来ないことですから。兄を殺すことを引き受けて、それを実行に移すなんてことは、血を分けた兄弟にしか出来ないのかもしれません。僕が、決断を下して、僕が実行するしかないんです。」 「ごめんなさい。こんなことを言いに来て。本当は、相談に行ったことにして、断られたって言おうかなと思ったんですが、タクミさん、最近、勘が利くというか、嘘ついてるの分かるだろうなと思って。」 「いや、来てもらって良かったですよ。ひとりで悩まないで、相談してくれて、むしろ、感謝してます。」 そして、ケンジは、しばらく考えて、答えた。 「じゃ、引き受けますよ。仕方がない。兄をこれ以上苦しめ続けるのも、可哀想だ。というか、兄が僕に頼んだ気持ち、僕も理解できるので。じゃ、兄に会いに行きます。そして、話を聞いて、兄の気持ちが本当なら、実行に移しましょう。マリコさんも、一緒にいてください。」 ということで、今、タクミの個室に、ケンジとマリコと3人でいる。 「やっぱり、ずっと窓を開けてると、汗ばんでくるね。だから、窓閉めるよ。」 マリコは、病室の窓を閉めた。 「分かった。殺すよ。仕方がない。でも、それで、僕も、兄を殺した殺人者ってことになるんだよ。」 「ごめん。それは解ってる。でも、これを頼めるのは、ケンジしかいないんだよ。」 「ああ、解ってるよ。」 ただ、そう呟いた。 「でもさ。人間って、生きる権利もあるけど、死ぬ権利もあって良いと思わないか。1度、生まれてしまったらさ、嫌でも、なんでも、ただ、生きるしか選択肢がないって、これって、極めて不条理じゃないか。」 「生きることは、善。死ぬことは、悪。」 「そういうことだ。世間のほとんどの人が、そういう価値観で生きている。それで正しいのかな。疑問に思う人いないのかな。というか、問題なのは、その価値観を他人に押し付けようとすることだ。自分の勝手な価値観を、他人に押し付けるというのは、暴力だということに気が付かないのだろうか。」 タクミは、大きくため息をついた。 「死ぬ権利かあ。生きるも死ぬも、神様まかせ。って、神様っているのかな。」 「どうなんだろうね。ああ、俺があの世に行ったら、神様がいるかどうか確認しておいてやるよ。」 「でも、いたか、いなかったか、どうしやって、僕に教えてくれる訳。」 「じゃ、もし神様がいたら、棺桶の中で、Vサインしておくよ。」 「あのさあ。もし神様がいたら、そいつを、ぶん殴ってよ。だいたい、タクミさんを、こんな目に合わせる神様なんて、あたし、要らない。」 マリコは、ちょっと興奮気味に言った。 「そうだよね。この前さ、ケイコ叔母さんがお見舞いに来てくれたんだよね。その時に、ちょっと愚痴をこぼしたら、あなたも生かされてるんだから、今、自分の出来ることがないか考えなさいって言うんだよね。じゃ、何に生かされてもらってるの?って聞いたら、神様だって。じゃ、神様って、どこの神様って聞いたら、聖書に書いてある神様だっていうんだ。だから、叔母さんに言ったよ。その神様、人間を沢山殺してるよって。そしたら、怒って帰っちゃった。」 「はは。ケイコ叔母さんだね。そうそう。そんなこと言いそうだね。」 「バカだよ。バカ。」 タクミは、ちょっとふざけて言った。 「あのねえ。人の事をバカって言っちゃダメでしょ。そんなこと言うなら、殺してあげないよ。」 マリコは、優しい笑顔で、でもキッパリと言った。 「それは困るよ。もう、言いません。」 タクミは、手は動かないが、口を両手で押さえる仕草をしたように見えた。 そして、ふたりで、大声で笑った。 ケンジは、そのマリコさんの笑い顔を見て、美しいなと思った。 ケンジは、マリコさんの「殺してあげないよ。」という言葉を聞いた時に、ドキリとした。 それと同時に、ああ、この2人の間では、もう吹っ切れた問題なんだなと感じたのであった。 タクミが殺されるという、これからの事実に、ただ、淡々とその時間を待っている。 ふたりの間では、それも良いが、実行に移すのは僕なのだ。 僕だけが殺人者としての罪悪感というか、罪を背負って生きていくことになる。 ちょっとばかし、兄の我儘を恨んだ。 「じゃ、改めてこんど、殺しに来るね。」 タクミとマリコに、そう言って部屋を出た。 2週間後、病室への看護婦さんの巡回の少ない昼下がり。 ケンジとマリコは、タクミを殺すためにやって来ている。 「じゃ、本当に、いいんだね。」 「ああ、やってくれ。」 「じゃ、月に代わって、お仕置きよ。」 マリコは、持って来たセーラームーンのコスプレで、可愛い声を出した。 「ちょ、ちょっと。マリコさん。さっきから気になってたんだけど、どうして、そんなコスプレしてるんですか。気が散るでしょ。というか、これから殺人をしようと言う時に。」 「ああ、ケンジ。ごめん。それ、俺が頼んだんだ。死ぬときは、笑って死にたいってね。だから、セーラームーンのコスプレやってくれってさ。」 「もう、ややこしいこと、しないでくれるかな。僕が、殺人者になるという瞬間に。これでも、罪悪感ていうか、一生、十字架を背負って生きていくと言う覚悟を持ってきてるんだからね。」 「ああ、だから、ごめんって。」 「ケンジさん。ごめんなさい。あたしも、どうかと思うんだけど、タクミさんの最後のお願いだから、、、、恥ずかしいけど、ほら、こんなに短いミニスカート。」 そう言って、お尻をピョンと跳ねて見せた。 「きゃー、可愛い。」 タクミが、ふざけて笑った瞬間に、ケンジは、頸動脈のところを、静かに抑えた。 しばらくすると、だんだん、意識が遠ざかっていくのが分る。 今、この指を離せば、まだ兄は生きることが出来る。 でも、その生きる権利を、ケンジが奪っているのだ。 いや、奪っているのではない、頼まれたから、仕方なくやっているのだ。 ケンジは、マリコさんから、濡れたはハンカチを受け取って、それを片手で、静かにタクミの鼻と口をふさぐように置いた。 そのハンカチが、上下に動いて、タクミが苦しそうにしだしたときに、マリコは、タクミの体に覆いかぶさるようにして、そのハンカチを両手で押さえた。 その瞬間、タクミは、目をカッと見開いて、マリコを見ながら大きく首を横に振ったかと思うと、すぐに力なく息を引き取った。 「マリコさん。僕がやるっていったのに。どうして、ハンカチを押さえたんですか。」 「ええ、ケンジさんだけに、罪を着せる訳にはいかないと思ったんです。タクミさんが、殺して欲しいっていうなら、本当は、あたしが殺すべきだったんです。でも、その罪を、全部、ケンジさんに負わせるのは、あたしも耐えられなくて。というか、タクミさんという人間の死ぬと言う崇高な瞬間に、あたしも付き合うべきだと思ったの。」 ケンジとマリコは、急いで、その場を片付けて、誰にも見られないように、病院を出た。 勿論、疑われたときのアリバイを、ふたりで確認しあって、その場を別れる。 その甲斐もあってか、無事に自然死として、タクミを見送ることができた。 それから、1年が経った。 ケンジとマリコは、同じ家に住んでいる。 お互いに罪を背負いながら、経済的にも協力し合ううちに、ふたりの距離が近くなっていくのは、自然の流れだった。 それに、ケンジにとっても、長い独身生活の中で、ともに老いて行く時間を大切に出来るパートナーが必要だと感じていたのかもしれない。 それよりも、タクミとマリコが結婚している間も、少なからず、ケンジは、マリコさんに、淡い恋心を頂いていたのである。 ケンジとマリコは、幸せだった。 お互いに抱いている気持ちが、愛であることを確認する必要なんてない。 ただ、一緒にいることが、楽しかった。 人というのは、罪を感じることを、脳が否定する生き物なのかもしれない。 ケンジとマリコが、タクミを殺したのは、間違いなく殺人だ。 刑法上も、罪に問われて当然のことだ。 普通なら、罪悪感も抱くだろう。 でも、ケンジもマリコも、罪悪感を抱くことは無かった。 タクミが、死ぬ間際に見せた笑い顔が、ケンジとマリコに、悪いことをしていないと思わせるには十分な証拠になっていたのだ。 ただ、今でも、思いだすのが、最後に、タクミが、大きく首を横に振った意味である。 あの時の、タクミの表情は、何を意味したのだろうか。 マリコには、罪の意識を背負わせたくないと思っていたタクミだったが、最後に、マリコが、タクミの鼻と口を押えることで、殺人という罪に加担させてしまった。 これで、マリコは、一生、罪を背負って生きていくことになる。 「マリコは、俺を殺すな。」というタクミの必死の訴えだったのだろうか。 でも、それなら安心してくれ。 僕も、マリコも、それほど罪悪感を抱いていないし、兄さんが死んでくれたお陰で、僕は、マリコさんと幸せに暮らしているよ。 「恨まないでくれよ。僕は、マリコさんと幸せなんだ。」 そう言って、ケンジは、誰もいない空中に向かって両手を合わせた。 しかし、ケンジの、そんな幸せも長くは続かなかった。 マリコが、交通事故に遭ってしまったのだ。 しかも、タクミと同じように、身体がマヒしてしまって、これから先、ずっと寝たきりの状態で生きて行かなければならないという。 「あなた、あたしのお世話大変でしょ。ごめんなさい。」 「何言ってるんだよ。このぐらい何ってことないさ。一緒にいられる時間が増えたってことに感謝しなくちゃ。」 「いやだよ。そんなことに感謝できない。あたし、神様を恨んじゃう。それって、当然よね。」 「ああ、じゃ、ふたりで神様を恨もう。うん。」 ケンジは、マリコの世話を、献身的にやっていた。 それが、ケンジには、苦痛でもなんでもなかったが、マリコには、大いなる苦痛であった。 そんな生活が1年ぐらい続いた時だろうか、マリコが言った。 「やっぱり、タクミさんを殺した罰なのかなあ。だって、タクミさんと同じ状態になっちゃったもん。」 「そんなことないでしょ。」 「そうだ。タクミさんが死んだ時、あなた、タクミさんが棺桶の中でVサインしてるかどうか確認した?」 「いや、してない。だって、死んでる人間の指は動かないでしょ。」 「ふーん。そうなのかなあー。」 「ていうからには、マリコは、確認したのか。」 「うん、したよ。」 「で、どうだったの。」 「うん、指ね、3本立ててた。」 「3本って、Vサインなのか。どうなんだ。もう、ややこしいこと、しないでくれるかな、兄さんもさ。」 「だよね。どっちなんやってね。」 「そうだ、じゃ、あたしが死んだら、神様がいたら、ちゃんとVサイン出してあげる。」 そう笑顔で言った後に。 「だからさ、あたしを殺してくれないかな。」 「何を、言いだすんだ。」 「だって、あたし、これから何十年も、こうやって寝たきりなのよ。もう、耐えられないわ。やっと、タクミさんの気持ちが分かった気がする。ねえ、だから、あたしを殺して。お願い。」 ケンジは、しばらく黙っていたが、こう言った。 「ヤダよ。マリコがいない人生なんて、考えられないよ。というか、マリコがいないと寂しいよ。」 「でも、あたしは、死にたいの。あなたに、迷惑かけたくないのよ。」 「迷惑なんて、そんなこと思ってないよ。ただ、マリコに、そばにいて欲しいんだよ。」 マリコは、まだ47才。 これから先、もし80才まで生きたなら、33年間、このままの生活が続く。 詰まりは、ケンジに33年間の犠牲をしいることとイコールだ。 っていうか、あたしが80才になるまで、ケンジは生きているのだろうか。 「これが、最後のお願いなの。あたしを、殺して。」 「嫌だ。マリコがいない世界なんて、考えられないよ。」 「殺して。」 「嫌だ。」 そんなやりとりも、数か月も続くと、お互いにくたびれてしまう。 ここ数日は、それについて触れることもなくなっていた。 そして、2年後、ケンジは、肺炎をこじらせて、あっけなく死んでしまった。 その葬式にさえ立ち会えなかったマリコは、これが、タクミを殺したことの報いなんだと病室で号泣した。 マリコは、それ以来、誰にも頼る事も出来ずに、ただ、市の職員の指導に従って、病室で ただ、寝ているだけの人生を送っている。 誰も訪ねて来はしない。 ただ、ひとりベッドの上で、ただ生きているだけだ。 1年後、同じ寝たきりのマリコ。 5年後、同じ寝たきりのマリコ。 10年後、同じ寝たきりのマリコ。 もうすでに、身も心もボロボロだった。 人間は、死ぬ権利を持っていない。 それが果たして、正解なのだろうか。 生きることも、死ぬことも、自分で選択が出来る。 それでこそ、自由というものではないだろうか。 自らの命を絶つということは、本当に悪なのだろうか。 今のマリコには、死ぬことが出来ない苦しみを与えられているところの、今の状況を作り出している社会が憎かった。 ひょっとして、神様がいるのなら、マリコに、この苦しみを与え続けている理由を教えてもらいたい。 あたしが、ああ、それなら仕方がないねと思える理由ってあるの? 今の苦しみが、いつ終わるかもしれないことが辛い。 「あたしが総理大臣になったら、絶対に、死ぬ権利を持てる世の中にしてみせるわ。」 そう言った後に、急に可笑しくなって、「あははは。小学生でも言わないようなこと言ってるね。あたしが、総理大臣になったらだって。ああ、こんな時に、タクミさんやケンジさんがいたら、『マリコ、バカだなって。』笑ってくれたんだろうな。」 涙が流れたが、それを拭ってくれる人は、誰もいなかった。 そして、20年後、やっとマリコは、息を引き取ることが出来た。 「生かされてるってことは、辛いものだよね。ねえ、タクミさん。そして、ケンジさん。そうだ、あの世に行ったら、神様がいるかどうか確かめなくっちゃ。そして、もしいたら、Vサインしなきゃね。あはは。誰もあたしの棺桶、確認しないか。」 死ぬ瞬間、やっと長年の苦しみから解放される喜びで、マリコは、そんな冗談を独り言のように呟いていた。 殺してくれって頼まれて殺したケンジさんとあたしの罪と、20年間殺さずに苦しみを与え続けた神様の罪と、どっちが大きな罪なんだろう。 まずは、神様がいたなら、問い詰めなきゃね。 「ご臨終です。」 医師の声が聞こえた。 看護婦が、窓を開けたら、まだ誰の肺にも触れたことのない空気が、部屋に吹き込んで来た。 「ああ、エアコンの空気より、ずっと美味しい空気だわね。」 遠のく意識の中で、マリコは感じていた。
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