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身体が動いた。真咲に歩み寄り、他者の興味を引かないよう間近で小声を発した。
口が勝手に動いて、言葉が出てくる。
喉の動きが違う。声帯が上がるような感じがする。ふだん使わない、高域の声音を放つ感覚があった。
「どうか元気で」
自分の声とは思えない、透明感のある女の声が喉から発せられる。
真咲の両眼が、驚きで見張られるのを修哉は見た。
「あなたたちの未来が、とても明るいものでありますように」
おそらく、真咲はこれまでとまったく違う修哉の表情を見ただろう。やわらかな笑みをたたえ、雰囲気すら変わって別人となった姿を。
真咲はまっすぐにこちらを見つめてきた。このときを逃したくないという思いをこめた声で訊ねてくる。
「お姉さん、名前は?」
「アカネ」
言い終えると、すぐさまアカネは身体から抜け出した。
修哉が自分以外の他者を宿す姿を目撃し、真咲はしばし呆けていた。そして、すごい、と漏らした。
「自分以外の人で初めて見たよ。なんか……とても感動しちゃった」
ありがとう、と言い、深々と頭を下げる。
「誰にも言わないよ」と真咲が約束する。
その時、修哉は思い出した。
ひとつだけ、真咲に疑問を口にする。
「病院の時と今日、遙香が来てた服を真咲はいつ着替えたんだ?」
意外な質問だったのか、真剣な調子で訊ねる修哉を見て、いきなり真咲が吹き出す。
「ちょっと待って、そんなことが気になるの?」
「荷物持ってないのにどこから服が出てきたのか、と……思って」
「やだなー、妙なところ気にするんだね」
ツボに入ったのか、真咲の笑いが止まらない。
「病院の時はちょうど洗濯しててさ」と笑いを必死に抑えようとするが、かえって収まらずに涙まで流している。「部屋出たついでに乾燥機かけてたのを回収して着替えた」
はぁ、と大きく息を継ぐ。ふふ、と笑い、「今日は、梶山さんと修哉さんが映画館入ってるときに、さすがに上映時間途中で抜け出してくるとは考えられなかったから、ロッカーまで戻って着替えた」
「わざわざ衣装替えしたのか」
「うん、遙香はスカート姿が好きだけど、僕は違うから」
明かしてみれば簡単でしょ、と濡れた目元を指先でぬぐう。
「じゃあね、碓氷さん」
笑いの発作が落ち着くと、真咲は片手を上げた。修哉の荷物を指さす。さっき受け取った封筒を示している。
「梶山さんに、僕の伝言渡してもらえると嬉しい」
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