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第弐夜
<黄泉比良坂>
こんな夢を見た。
夢の中でわたしは高校生だった。
蝉の声が聞こえる中、わたしは煙突から立ち上る煙を眺めている。
あの時、あの笑顔の本当の意味に気づいていたら何か変わっただろうか?
いや、わたしにはどうすることもできなかっただろう。
もう二度とあの笑顔を見ることができなくなった。
そうだろうか?
ふと、随分昔に聞いた従姉の言葉を思い出す。
「黄泉比良坂って知ってる?」
夏休みに祖母の家に一人でやって来た。
去年は受験があり来ることができなかったが今年は高校生になったということで保護者無しの気ままな旅気分で新幹線と在来線そしてバスを乗り継いでたどり着いた。
今までは、空港から父親の運転するレンタカーで来ていた為、祖母の家に行くのは結構大変なのだと痛感した。
2時間に一本のバスを降り、キャリーバッグをガラガラと音を立てながら歩いていると、ここへ来たかった理由である従姉が目の前を歩いてきた。
「久しぶり、こっちにはどれくらいいるの?」
10日くらいです。と、答えると「そう、ゆっくりできそうだね」と微笑んで隣を歩き出した。
従姉は10歳年上の初恋の人だ。と、言うかまだ現在進行中で、毎年夏に帰省する従姉に会いたいがゆえにわたしも祖母の家に来ていた。
明るく美しい従姉は隣にいるだけで幸せな気持ちになる。
でも、この時はわかっていなかった。従姉の微笑みに翳りがある事に。
気づいていれば変わっただろうか?
いや、きっと変わらなかった。
二人で並んで歩いていると祖母の家の前にスーツをパリッと着こなした30代後半か40代前半くらいの男性が立っていた。
従姉はあっと言って立ち止まると、その男性がこちらを向いて◯◯と従姉の名前を呼ぶと駆け寄って従姉を抱きしめていた。
わたしは透明人間のように二人から認知される事はなく、その場から離れて祖母の家のインターフォンを鳴らした。
祖母は嬉しそうに笑いながらわたしを迎えてくれて、ふと◯◯は?と従姉を呼んだ為、客がきた様だと言うと祖母は慌てて玄関を出ていくと、男性に向かって何かを怒鳴っていた。
祖母は疲れただろうからしばらく二階で休んでいたらいいと、簡単に布団を出してくれて先ほどの男性のことを思い出しながら横になっているといつのまにか眠ってしまっていた。
慌てて起きると、窓の外は赤みを帯びていた。
階段を降りようとした時、話し声が聞こえてきた。
どうやら、従姉の両親である伯父さんと伯母さんの声のようだ。
ドアの前で聞き耳を立てる。
先ほどの男性は従姉の恋人だったようだ。男には妻がいたが従姉とも付き合っていたこと、妻が亡くなった為、従姉ときちんと籍を入れたいと言う事だった。
従姉が不倫?
そこで聞こえてきた従姉の言葉はその場を凍り付かせた。
それは、不倫に気づいた男の妻が従姉を許さないと遺書をのこして自殺をしたということだった。
だから、一緒になれないと従姉の泣き声が聞こえてきた。
それでも男は従姉のお腹には子供がいる為、結婚をしたいと話すと、今度は伯母さんまで泣き出し、伯父さんは男に怒鳴っていた。
従姉は男にもう関わらないで欲しいと告げたあといきなり目の前のドアが開き、また“あの”微笑みをわたしに向けると外に出ていってしまった。
全開になったドアの向こうには伯父達が一斉にわたしを見て気まずそうにしていたのでわたしも居た堪れなくなり下を向いていると男が
「弟さんだね、俺は一旦東京へ帰らないといけないから何かあったらここに連絡をしてほしい」
そう言って男は名刺をわたしに渡すと出ていった。
わたしは昔、従姉と一緒に行ったことのある神社や川を探しに行ったが見つけられず、従姉が発見されたのはその日の深夜だった。
伯父達と病院に着くとすでに意識はなく医師の説明を受けた後はそのまま死亡確認をした。
お通夜には両親も駆けつけ、葬送の儀式を滞りなく済ませた。
人の口に戸は立てられず、あっという間に不倫相手の子供を身籠もって捨てられた挙句に川に入って行ったという話が小さな町に知れ渡った。
昔、従姉が神話に出てくる黄泉比良坂がこの町にもあるんだと教えてくれた。
島根にあるのは有名だが、この町にもあるのだそうだ。黄泉比良坂とはあの世とこの世の境にあり、有名な話では伊奘冉が亡くなった事を嘆いた伊弉諾がこの坂から迎えに行く話で、亡くなってから日が経ち虫が湧いた姿を見られたくない伊奘冉は坂を抜けるまで決して姿を見ないで欲しいと約束をしたが、不安にかられた伊弉諾はその約束を破ってしまう。
そのことで伊奘冉を怒らせ果てにはヨモツシコメ達に追いかけられ、妻を取り返すことができず逃げ帰ってきた。
そんな話だ。
信じているわけではないけど、もしかしたらという気持ちがあの男から貰った名刺に書いてある番号をスマホに打ち込んでいた。
“姉”は落ち着いたのでこちらに来てください。
それだけを伝えて、バス停で待ち合わせをした。
男を坂の入り口に連れてくると、
近所の目があるため、この先で待ってるそうですと言うと、男は木々に囲まれた獣道を歩いて行った。
悔しいが従姉もわたしが迎えに行くよりもあの男の方が喜ぶだろう。
わたしは男が入っていった坂の入り口でひたすら待っていると日が空をオレンジに色に染める頃、入って行った時とは明らかに違い髪は真っ白に染まり、きっちりと着込んでいたスーツは泥だらけの男が戻ってきた。
そして、男の後ろには見知らぬ女性らしきモノと小さな子供らしきモノが三人、足下や背中にしがみついていた。
ああ、従姉は一緒に戻らなかった。
男はわたしに助けてくれと手を伸ばした
ここで目が覚めた。
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