第伍夜

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第伍夜

<いつも隣にいる> こんな夢を見た 夢の中でわたしは30代の主婦だ。 朝食の準備を済ませるとサイドボードの上に置いてある小さな仏壇に手を合わせてから夫を起こしに行く。 何度も何度もその首に手を掛けようと思っては息子の顔を思い出して手の位置を首元から肩に移動させて起こす。 息子を起こして三人で食卓を囲む。 本当ならもう一人このテーブルを囲むはずだった。 夫のせい そしてわたしのせいでこの世界に生まれることが出来なかったこの子の兄。 わたしはその子供にまーくんと勝手に名付けていた。 今日は俺が幼稚園に連れて行くから。 そう言って、夫は息子の手を取る。 イクメンでママ友に羨ましがられる夫。 不倫でわたしを苦しめた夫。 まーくんをわたしから奪った夫。 まーくんを妊娠中に夫は浮気をしていた。 わたしは雨の中二人が入って行ったホテルの前で出てくるのを待ち続けた。 二人が仲良く出て来た時、わたしはその場で倒れお腹の子は生まれることなく儚くなった。 わたしは夫をなじり、呪いの言葉を投げかけ続けわたしの精神もすっかり疲弊していた。 夫のせい 夫のせい まーくんが生まれてこれなかったのは わたしのせい。 離婚を伝えると夫は首を縦には振らなかった。 一生償うからと毎日、毎日わたしに土下座をしたがまーくんはもういない。 ぺたんこになったお腹をさすりながら、自責の念に駆られた。 どうしてあんなことをしてしまったんだろう。 わたしが夫をいまだに許さないのと同じく、まーくんもわたしを許さないだろう。 許されるわけがない。 雨が降るとフラッシュバックを起こして喚き散らすわたしに、謝り続ける夫。 それでも5年の時が経ち息子が生まれた。 夫は浮気をしなかった。 実際は、わたしが気がつかなかっただけかもしれないし、本当にしていないのかもしれない。 ただ、夫を信じる気持ちは全くもって無かった。 夫は積極的に育児に参加をしてくれるが、毎朝の首を締めたくなる衝動は止まることは無かった。 夫に手を引かれながら、息子は自分の部屋に向かって「まーくん行ってきます」と声を掛ける。 息子にとってのまーくんは大きなクマのぬいぐるみで、よく話を掛けたり一緒に眠ったりしている。 わたしが小さな仏壇に向かってまーくんと呼びかけているのを聞いてクマにそんな名前をつけたのかもしれない。 二人を送り出すとわたしも事務の仕事をしている歯科医院に向かう、その前に息子の部屋を覗くとクマのぬいぐるみの位置が変わっているように見えたが、単に記憶違いだろう。 仕事は2時までレセプトの作成などの仕事をしてほぼ時間内で帰らせてもらえるため息子の迎えにも十分に間に合うことができる。 息子と手を繋いで歩く。 本当ならもう片方にもまーくんがいたはずだったのに。 そう思うと、また胸が苦しくなる。 家に帰ると息子はずっとクマのまーくんに話を掛けている。 そう思っていた。 よくよく見ると、息子の視線はクマのまーくんから外れていた。 なんとなく胸騒ぎがしたことと、やはり名前の由来が気になったから聞いてみると思いもよらぬ答えが返ってきた。 まーくんが教えてくれたんだよ。まーくんもクマさんが好きなんだって。 クマさんがマーくんでは無くて? 思わずそう聞くと クマはクマさんって二人で呼んでいるんだよ。 二人? うん、いつもクマさんと一緒いる。 夜になって急に恐怖が襲ってきた。 まーくんは復讐の為に息子に近づいているのだろうか? 夫にその話をすると ごめんとだけ言うと黙り込んでしまった。 それからは、息子とクマのぬいぐるみを注意して見るようになった。そうすると、確かに不自然なことがあることに気がついた。 風もないのに落書き帳が揺れたり、クレヨンが転がったり、そういったことがあるときは息子は楽しそうに笑っていた。 些細なことに気がつくようになると、息子の周りに何か風の様な動きを感じるようになった。 ある日、息子が見当たらずトイレや風呂場まで探したが息子を見つけることができず焦っているとベランダから息子の泣き声が聞こえて来た。 急いで行ってみるとベランダで転んだのか膝を擦りむいていた。 まーくんにひっぱられた ハッとした。 もしかすると、まーくんは息子を自分の世界に連れて行こうとしているのかもしれない。 わたしのせいで、息子はまーくんに連れていかれるかもしれない。 その夜、わたしは泣きながら夫にその話をすると夫はわたしを抱きしめて、いつもの言葉を吐いた。 俺のせいでごめん 幼稚園に連れて行くのは夫と交互にしているため、今日はわたしが連れて行く日だ。 手を繋いで横断歩道を歩いていると、何かに正面から押されるような感覚を感じたと思った時急に息子が尻餅を着いた。 まーくんがダメだって 息子のその言葉を聞いた時、一瞬息子の隣にまーくんの姿が見えたように感じたその時、信号無視をした車が猛スピードで目の前を走っていった。 まーくんが息子に尻餅をつかせなければあの車に確実に轢かれていたかもしれない。 まーくんはわたしを許してくれたのだろうか? それならば、わたしも夫を許してもいいのだろうか? 青信号が点滅し始めた時、目の前には息子によく似た男の子が点滅した信号を指差して早くというジェスチャーをしている。 わたしは息子を抱っこしてからまーくんの手をとって横断歩道を渡り始めた。 ベランダの時も、こんな風に息子を助けてくれたのかもしれない。 ありがとうと伝えると、まーくんは「いつも隣にいるよ」と、満面の笑みをうかべた。 そこで目が覚めた。
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