春風と宿痾

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春風と宿痾

 風にあおられて宙を舞う桜の花弁に、ふと先日の邂逅(かいこう)を思い出す。  春には桜の花弁がよく映える。制服の暗い色もスーツの味気ない色も、表裏を代えながら散る薄桃色が、美しく飾り立てる。出会いも別れも、平等に染める。  そんな春、多くの人がそうするように、俺は別に興味のない大学へと進学した。学部は文学部。自分が生きる意味を求めて本を読むようになってから、ひたすら活字の中に潜るようになった人間が文学部を選ぶのはごく自然なことだ。自然なことではあったが、同時にこの道を究めようという気概があるかと言えば、首を傾げざるを得ない。なにしろ本当に極めたかった道はとうに閉ざされ、俺は道のない闇の中へ突如放り出されてしまったのだから。  当たり前にあると思っていたものが、決して当たり前などではなかったと気づくのは、いつだって失ってからだ。後悔なんて絶対に予測できないし、後悔しないように生きるなんて不可能だと知った。諦めないとか折れないとか、そんな選択肢すら与えられなかった。俺は諦めるしかなかった。  文字通り、生ける屍。生きているのに、心は時間という大河の流れについていけず、過去という上流の片隅にしがみついて今を生きていない。身体は健康そのものなのに、何をするにも力が湧いてこない。今はただ、心で轟々と燃えていた熱意の残り火だけが、未だ小さな熱を持ったまま燻り続けている。  川を挟む沿道を歩いていると、ふと川面を漂う桜の花弁に目を奪われ、その哀れな姿と今の自分の姿が重なる。自らの意思では動けず、ただ流れに身を任せるのみ。  大学は就職までの時間稼ぎ、モラトリアム。いつまでも心が過去に囚われたままでいるせいか、あるいは周囲の大多数が進学を選択したからという理由で大学へ進むことを選んだせいか、俺は流れに身を任せたまま己の漂着した場所を自身の決断による結果だと錯覚していた。自主性の欠如した生き方が油汚れのように染みついているせいで、目的がはっきりしないまま胡乱に歩いていることに気付けなかった。大学に行っても、本当にやりたいことなどとうの昔にできなくなっていることに改めて気づかされた。ここにも、求めているものはない。――そう思っていた。  だが桜の舞う春、そんな現実を悲観するだけで何もしない俺を叱責するように、美しい彼女は眩しい笑顔で言った。  わたし、ファッションモデルになるのが夢なの。  入学式の日に出会った彼女の右足は、膝から下が金属の義足だった。
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