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授業後、その子のところに4、5人の女子が群がった。彼女の朗読がまるで人気声優のそれのようだったと騒ぐ。私は脇から、彼女の横顔を観察していた。
アニメの役柄をまくしたてられても、へえ、知らん、へえ、知らん、を繰り返している。冷たいわけじゃないけれど、へらへらもしない。予鈴が鳴るとその子はまた一人になった。
「さっき、どうして私に聞いたの」
思い切って話しかけた。その子は私を見た。
「ドイツ語だったから」
私がぽかんとしていると、手のひらで「そちらが」とでもいうように私を指した。
「ドイツにいたって言ってたじゃん」
そのことを誰かに言った記憶はなかったのでびっくりした。本当に赤子の時だけなので、自分ではいたうちに入らないと思っている。自己紹介でも言っていない。
しばらく考えて、英会話の授業で、先生の質問にぽろっと答えてしまったのを思い出した。
「ドイツにいたのは、赤ちゃんの時だけだよ」
間違ってるかもしれないから後でちゃんと辞書を引いてねと言いそえる。
「……辞書はめんどくさいからいいや」
例の低い声で笑われて、なんだか顔が熱くなった。さっきはいくら賛美されても見せなかった微笑だった。
ナツメ。面白そうな人。
クラス全員がしたはずの自己紹介で彼女は何をしゃべったか。全く記憶になかった。
その声を求めて、女子たちの挙げたアニメをレンタルし、深夜こっそり観たりもした。十四歳の少年が、他者と戦わされていたけれど、難しいうえ似ていなかった。あの優しい夜のような声はどこにもなかった。
当時私は十二歳。中学入試を終え、聖書を渡され、セーラー服に囲まれて、奇妙なところへ来たと思っていた。
彼女はそこに現れた、自分のことより知りたい他者。最初の不思議な隣人だった。
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