12 一人称を演じる

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 そもそも私は誰かに対して、こんな風に語ったことがあっただろうか。  そんな記憶はなかった。夏目にさえ、私は一人称で気持ちを語ったことはなかった。  多分、学園生活というものは、演じるべき項目が多すぎるのだ。だから誰からも要請されない「本心」を演じることは後回しにされる。  そのうち、自分が何者なのか、分からなくなってしまう。そう、私のように。  しのぶれど色に出にけり。私たちはそんな真心を理想とする。互いに、演技ではない何かが漏れ出すのをじっと待っている。自他共に信じるに足る真心を、縋るように待っている。  でも通常、演じられない本心は、ただ消えていく。世界は舞台で、人は役者。シェイクスピアの言う通り。演じられない部分は消えるだけ。
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