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明るい緑色の空の下、草原に涼やかな風が渡った。
『ユヅカの髪は太陽に照らされると、金色に光って、綺麗だな』
誰よりも大好きな兄にそう言われた髪を吹き上げられ、少女はごく小さな悲鳴をあげながら、頭をおさえる。肩のところでゆるくふたつに結わいた杏子色の髪は、しばらく風に遊ばれていたが、やがて落ち着きを取り戻した。
無意識の内にきつくつむってしまっていた目を開く。一時の強風など知らぬとばかり、草原に散った羊たちは悠々と草を食み続ける。その身体はもこもこの毛に覆われて丸い塊のようになり、毛刈りの季節が近づいている事を如実に示していた。
ユヅカが属するシェルテ族が養う羊は、良い草を食べて良質の毛を得られる。女衆がその毛を使って編み上げた織物を、男衆が他所へ持っていけば、次の一年をゆうに過ごせるだけの穀物や酒、保存食と引き換えにできるのだ。
用事で他部族のもとへ行っている兄が帰ってきたら、周囲の家の男手も借りて、一斉に毛を刈ろう。そう考えて草原の羊たちを見やり、昨年末生まれた一番小さな仔羊の姿が見えない事に、ユヅカは気づいた。
慌てて周囲に視線を巡らせる。小さなもこもこの塊が、ぴょんぴょん跳ねるように、群れからはぐれてゆく。
「ちび、ちびさん! そっちは駄目!」
ユヅカは思わず大声をあげて駆け出していた。向こうは『果て』だ。空の緑と地面の緑が交わり、文字通りそこでぶつかる『果て』。その先には決して行けない。大人の羊たちはそれを察知しているのか、草原から離れる事は無いが、幼いものには危機感が無いようだ。
膝丈スカートの裾が翻り、足にまつわりつくのが鬱陶しい。仔羊はユヅカの焦りなど知らぬとばかり、ぴょこぴょこ軽い足取りで『果て』へ向かってゆく。
だが、追走劇もそこまでだった。『果て』に行く先を阻まれ、戸惑いながら足を止めた仔羊を、少女は抱きすくめるように両腕で包み込む。
「まったく、もう」
ユヅカがほうと溜息をついても、仔羊はつぶらな瞳をこちらにまっすぐ向けるだけ。何がいけないのかわからない、といった態をしている。その無垢な顔がなんだかおかしくて、叱りつけようという意図はあっという間に宙に溶けて消えてしまった。
「こっちは無しよ。さあ、皆のところへ帰りましょう」
腕をほどいて仔羊の頭を撫でた時、ぴしり、と草原には不似合いな軋んだ音が耳に届く。ユヅカは不審に思って振り返り、そして、目を見開き息を呑んだ。
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